池上永一ロングインタビュー 戦後ボリビアに生きた沖縄人の激動 『ヒストリア』(KADOKAWA)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年8月31日

池上永一ロングインタビュー
戦後ボリビアに生きた沖縄人の激動
『ヒストリア』(KADOKAWA)刊行を機に

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ヒストリア(池上 永一)KADOKAWA
ヒストリア
池上 永一
KADOKAWA
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『風車祭』『テンペスト』『黙示録』など、多く沖縄を舞台にした小説を書いてきた池上永一氏が、六〇〇ページを超える超大作『ヒストリア』(KADOKAWA)を上梓した。今作は構想二〇年、ボリビアをメイン舞台に、初めて沖縄戦と、沖縄人の目から見た戦後を描く。南米を生き抜いた女性の一代記であり、チェ・ゲバラやボリビア革命、キューバ危機など、実在の人物や史実とフィクションとの交錯や、ボリビア風土記としても味わうことができる良質のエンターテインメントだ。残暑を吹き飛ばす痛快な読書のおともとして。チェ・ゲバラ没後五〇年の今秋、南米に思いをはせる一助にも。新作刊行を機に、自著について、池上氏にたっぷりと語っていただいた。 (編集部)

ゲバラに負けない魅力的な主人公の誕生

 ――第二次世界大戦後、沖縄から南米ボリビアへ渡った、知花煉という女性の一代記。その激動の人生をすっかり夢中になって読みました。
池上
 知花煉のような女性は好きですか?

――はい。自分が煉のように生きるのは難しいですが、目が離せませんでした。
池上
 よかった! 僕は、登場人物の女性に過激な愛情を持っているのか、清純なお嬢さんでは物足りないんです(笑)。

――どんな存在として煉を描こうと思われたのですか。
池上
 とにかく魅力的に書こう、というところがスタートです。第二次世界大戦後のボリビアのアイコンといえば、チェ・ゲバラで、ボリビアを書くとなれば、ゲバラを登場させないわけにはいかないんですよ。

ゲバラは第四章から登場させると決めていたので、それまでに主人公の煉を徹底的に磨き上げないと、彼のスター性に負ける、と思ったんです。

――煉は沖縄戦で爆撃にあって、体に対し七つあると言われるマブイ(魂)を落とし、二人の煉に分裂してしまっているのですが、そのうちの一人がゲバラと恋をするんですよね。
池上
 ゲバラはかっこいいからガールフレンドが数々いて、恋の逸話も多々残っています。だから清純な日本の女の子が、ゲバラを好きになりました、というのでは、弄ばれただけになってしまう。そうはしたくなかったので、煉にはゲバラに負けないように、一体何なんだコイツは、と呆れながらも応援したくなるような、心をつかまえて離さない主人公になってほしかった。

僕の中では知花煉は、小悪魔的な色香と企みに満ちた峰不二子かな(笑)。

――なるほど。そう言われると、髪をさっと束ねてパンティに挿していたマガジンを髪留めにするシーンなどは、不二子を髣髴とさせますね。
池上
 沖縄戦から始まる一章では、死ぬはずの目に合いながら生き残った煉が、死体からきれいな服や靴や総レースのブラジャーを奪います。夥しい死の側にいて、装う欲望を謳歌しているんだから、逞しいというか、罪深いというか……。一方で薬や食料が入った背嚢を目当てに、日本兵との苦いファーストキスも味わう。罪と後悔を携えて、煉の新しい人生は始まっていくんです。

――家族を殺され、人間の尊厳を粉々に破壊され、乙女の純情を踏みにじられる中、なんとも過激な主人公の誕生ですよね。

戦後の闇市でパラシュートの上質な綿を手に入れ、染め上げて、最先端の形のワンピースを作って着たり、CICから逃れるために、見ず知らずの男の妻になって偽名でボリビアに渡ったり。その後も煉の半生は、富豪から貧民まで上がったり下がったり。

本当にいろいろなことが起こるのですが、中でも私がびっくりしたのは、一〇〇〇ドルのファイトマネーのために、チョリータ・プロレスのリングに上がったこと。「これでも空襲と艦砲射撃と火炎放射器のなかを掻い潜ってきた女だ」と威勢はいいけれど、案の定、異形のプロレス女王・カルメンの必殺技、バッド・プレスでペチャンコ(笑)。無茶なことを、と思いながら、魅了された読者が多いのではないでしょうか。

五章の途中まで中心となって動くのはマブイの煉で、その後本体の煉に体を取り返されますが、短絡的で「雌犬」なマブイの煉も、憎めなくて好きでした。
池上
 マブイの煉の方が、エキセントリックでより現世的なんだよね。精神性と断絶されているから、男を利用するわ、体を粗末に扱うわ。

でも商売上手で頭がいいし、移民政策の土地を男顔負けで開拓するし。こちらの良しあしの判断基準や思惑をどんどん超えてくる。いや~本当に元気だよね、今回の主人公は(笑)。

――煉の元気は、池上さんの思惑も超えるほどなんですね(笑)。
ボリビア――沖縄の 歴史の暗部を描く

池上 僕はそもそも沖縄戦を描くことに抵抗があったんです。これまで、様々な時代の沖縄を書いてきましたが、沖縄文学の上の世代の書き手とは、断絶があるんですよね。エンターテインメントとして沖縄を描くためには、テーマ性も大事だけれど、それ以上にテーマが霞むぐらい魅力的な人物が必要だと思っていて。つまり沖縄戦についても、そのテーマ性に寄り添って書くタイプではない。
しかも沖縄戦は、書きつくされている感があります。先行例をトレースするのでは書く意味がない。新しい知見で臨むことができないのであれば……とこれまで書いてきませんでした。

一方で、デビュー当時からずっと、ボリビアを書きたいという気持ちがありました。しかしボリビアを描くためには、沖縄戦を避けては通れないんですよね。長らく書く自信はありませんでしたが、いつか必ず、と決めていました。

――ボリビアを書きたいと思うきっかけは何だったのですか。
池上
 戦後の沖縄からボリビアへの移民政策について知ったこと、あるいはそれをある時まで全く知らなかったことかな。

明治時代のブラジルやハワイへの移民に関しては、よく知られていますよね。ある種のフロンティア・スピリットとして語られてきたし、今でも日系人が多いことが周知されている。でも戦後の移民政策は、沖縄の歴史の中で、巧妙に隠蔽されてきたというのか……。つまり、米軍基地を作るために耕地が奪われ、生活できなくなった人たちを、米軍の政策で琉球政府が、体よくよその国に送り込んだ、ということなんです。地上の楽園を謳い文句に、移民は豊かさへの近道だと錯覚させ、生活環境やインフラが二百年遅れていることなど、過酷な状況は伝えなかったでしょう。

それを知った時、沖縄のいろいろな人に話を聞いて回ろうとしました。が、反応は重く、戦後移民政策には触るなと言わんばかりでした。第二次世界大戦後の移民の歴史は暗部であり、語ってはいけない禁忌のように扱われていました。でもどうしても見過ごせない。これを書かなければ、僕の中で沖縄を捉えたことにはならないんですよね。

これまで沖縄は、被害者として戦争の悲惨さを訴えることができる立場にいました。ところが戦後の移民政策については、当時の琉球政府が加害側に回ったところがあって、被害者の立場が加害者に転じるというのは、認めたくないことだったのではないかと。

それで、いつかはボリビアをテーマに書こうと思いながら、機が熟すまで、他の角度から沖縄にアプローチしてきたのです。例えば琉球王朝の時代まで遡り、華々しく美しく、最初から最後まで、速射連発のスターマインばかりの花火大会みたいに、民族の輝かしい部分を書きました。沖縄の人たちが喜んでくれたのはうれしかったけど、あの時代はもういいかな(笑)。
――『テンペスト』で華々しい民族の歴史を書き尽し、満を持しての『ヒストリア』ということですね。

思い続けてきたボリビアに着手する直接のきっかけはあったのですか。
池上
 二〇一四年だったか、ボリビアに行くしかない、と思える状況が訪れました。クリーニング屋を変えたんですね。新規のときは名前を登録するでしょう。僕の本名を見て店の人が「沖縄の方ですね」と。その人の名札を見たら「○□○□(沖縄姓)」とあったので、「あなたも沖縄ですよね」と応えたら、「いえ、私はボリビア」って。家からこんなに近いところで、ずっと行きたかったボリビアのコロニア・オキナワの人と知り合った。これはゴーサインだろうと。それでボリビアへ行きました。
戦争は終わっていない 今までと違う沖縄戦を


――実際にボリビアを訪れてみていかがでしたか。
池上
 秘された歴史だったせいか、漠然とですが、ボリビアに行った人たちは悲惨な末路を迎えたのだろう、とイメージしていました。ところがコロニア・オキナワに行ってみると、日系二世の富豪が誕生していて、一般の日本人とは比較にならないほど豊かな生活を送っていたんです。驚きました。

もちろん、開拓がうまくいくまで三度も土地を移っていますし、うるま病という近年まで原因不明だった病で亡くなる人も、開拓がうまくいかず失踪する人もいたわけですが。

彼らが他の地域の日系人と違うのは、第一言語に日本語を選択してきたことです。ブラジルもペルーでも、日本語を捨て現地化することを選んだけれど、コロニア・オキナワという、東京二十三区ほどの広さの、周囲から隔絶されたコミュニティ内では日本語を使って生活しています。日本式の教育を受け、NHKワールドを見て育っていますし、朝の連ドラもリアルタイムで見ている。二重国籍で、日本のパスポートも持っています。そのために日本にちょっときたつもりが、二十年居続けてしまった、という人もいるの。

――全く知りませんでした。
池上
 アイデンティティは完全に日本人なのに、ルーツである沖縄の人たちは彼らのことを知らないんです。そんな、戦後の混沌期に地球の裏側へ行き、逞しく生きて忘れられてしまった沖縄の人たちの話を書いてみたい、と取材をして改めて思ったんですよね。

今回の物語のメイン舞台はボリビアですが、知花煉という女性の目を借りることで、戦後史の中で見捨てられた人々の立場から、改めて沖縄を見てみようとしています。煉の目は、沖縄の戦後を捉えなおすのにとても役に立ったし、自分の中の沖縄戦の歴史が更新されたと思いました。

ヒメユリ部隊のように、無垢なミヤラビ(乙女)が、一方的に暴力に踏みにじられ、ただただ悲劇的に死んでいく話ではなく、ちょっとビッチでガージュー(強情)な女の子が逞しく美しくのし上がっていく。そんな、今までと違う沖縄戦が書けたらいいな、と。

――今まで読んできた戦争ものは、死んでいく命が哀切で、悲劇の美しさと人間の醜さがあり、でもどこかで過去に起こったこと、という感覚がありました。

しかしこの小説では、戦争は終わってない、という現実を突きつけられ、ハッとしました。第二次世界大戦後、日本は憲法九条により戦争を放棄したけれど、なおも沖縄はベトナム戦争や日中戦争のアメリカの前線基地として使われていた。沖縄では戦争が終わっていなかったし、今も終わっていないと。
池上
 沖縄という場所は複雑ですよね。建前では、戦争は終っているし、日本への復帰を果たしたとされている。経済的に豊かにもなった。でも沖縄の戦後を終わったものとして語ろうとすると、いろいろな矛盾に躓くことになるのです。ベトナムに向けてひっきりなしに飛びたつ飛行機、ミサイルを輸送するトレーラー、基地のオレンジ色の光。僕自身も自覚的ではなかったのですが、ボリビアに移民した知花煉の眼で、改めて沖縄を見たとき、変わってない、終わっていないと。

――書く中で、そのことに気づいたのですか。
池上
 煉の戦争はどこで終わるんだろう、と書きながらずっと考えていたのね。チョリータ・プロレスをしたり、新しい商売を始めたり、空賊になって飛行機を飛ばしたり、密輸でCICに追われたり……書いている瞬間、瞬間は楽しいんです。おぉ、ディオールの8ラインに着換えた~、とかね。でもコントロールする役割もあるから、一方ではこの物語はどこで終わるんだろう、どこが折り返し地点なのかと、ずっと緊張していたんです。

沖縄返還の年に煉を里帰りさせますが、僕の結論は、一九七二年と二〇一五年は全く変わらない、というものでした。「戦争は終わっていない」、これが現在の沖縄の全容を表す言葉だと。

でも「戦争は終わっていない」、そう思えたら、すっきりしましたね。終わったかのように偽って語ろうとするから苦しい。自分たちは「終戦」「平和」という偽りの認知を植え付けられていたのだ、と。

――煉は事あるごとに「戦争は終わったのよ」と、自分に言い聞かせるように繰り返してきた。でも結局、終わっていなかったんですね……。
池上
 悲しいよね。でも原点に戻って、「戦争は終わっていない」という必要があるのではないかと思ったんです。
英雄とは何か革命とは何か

池上
 煉は沖縄戦が起こったがために、ボリビアに行くことになり、波乱もあったけどボリビアで生きてきた誇りも持っている。今後もボリビアで生きて、死んでいこうと思っている。でもどこかで、故郷に錦を飾りたいという思いを抱えていた。そうして沖縄に戻ってみたら、移民した自分たちのことなどすっかり忘れられていた。

そのやりきれなさは、現在七〇代後半になる、コロニア・オキナワの移民一世たちも感じています。二世が功成り名を遂げた誇らしさの一方で、沖縄へのわだかまりが依然としてあるんです。

二世たちも、沖縄が自分たちを黙殺していることは、ある種の棘として抱えています。

三世になると、いい距離感で日本と接していて、「カンバ・フロホ(怠け者のボリビア人たち)」「カンバーニャ(地元の可愛い娘)」と軽口を叩きながら、混沌としたボリビアに対する愛着も持っている。ただ、あるときアイデンティティについて尋ねられたことがありました。彼らは住んでいる場所が違うだけで、日本語が第一言語だし、サブカルチャーも同じ、全くの日本人なのに、ボリビアの中では、「ハポネス」と扱われ、日本に来ればボリビア人だと言われる。僕は、日本人だとかボリビア人だとかではなくて、一人のウチナーンチュでいいのではないか、と答えたのですが。そうした周囲の反応に触れたとき、アイデンティティが揺れることがあるようです。

――小説にコロニア・オキナワの三世は出てきませんが、物語は現在につながっているんですね。

この物語の中に「英雄」という言葉がたくさん出てくるのですが、英雄的に死んでいこうとした日本兵たちも、革命を掲げる安里や伊計などの共産主義者たちも、あのチェ・ゲバラでさえ、英雄的には描かれていませんでしたね。
池上
 僕はゲバラを英雄的に書くつもりだったんです。でもボリビアに行くと裏切られますよ。ボリビアはゲバラを全く愛していない。

ゲバラが処刑されたイゲラ村に、長い時間をかけて行きました。ゲバラの最期の地を訪れるというので、僕の心の中ではドラムロールが鳴っていました。でも着いたのは、富士山の山頂みたいな寂しい村で、文化祭レベルの歪んだオブジェがあるばかり。落書きだらけの納屋に小学校で座るような小さな木の椅子が置かれている。その納屋が裁判所で、粗末な椅子はゲバラが銃殺されたときに座っていたものだというんです。人間の尊厳などひとかけらも感じられない場所。悲劇に浸ることを拒むような、英雄性が少しも感じられない粗末な死。ショックでしたね。

それから、ゲバラの遺体が運ばれたバジェグランデという土地の博物館にも行ったんです。確かにゲバラの遺品や写真がいくつかあったけど、土器や旧石器時代の矢じりなども一緒に展示されている。つまりゲバラは、彼らの風土とは何の連続性もない異質なもの。矢じりやネアンデルタール人と同じように認識されている。

ゲバラはヒーローで、かっこよく描こうと日本人なら思う。でもボリビアでゲバラを追えば追うほど、ヒロイズムが失われていく。悩みましたが、それが一つの事実ならば、ボリビア人の認識を、そのまま反映させよう、と思ったんです。

――ゲバラでさえ、見る角度、見る人によってはただのハンサムな男で、英雄という言葉の多くは、物事を美化し隠蔽する方便として使われているのではないか、そんなことを思いました。

革命は、暴力による政治的衝突であり、つまりは戦争だ、革命が貧しい人を豊かにすることはない、皆を平等に貧しくするだけだ、誰も英雄なんて求めていない。そんなことを煉が言いますが、それも一つの真実かもしれない、と。
池上
 ボリビアで見たものは、僕にとっては、しばらくうまく頭が整理できないような現実でした。しかし、見目麗しく、医者という地位があり、ブエノスアイレスの裕福な家庭の子息でもある、そういうエルネストという若者がゲリラに身を投じたところに、人々は熱狂したわけですよね。そしてキューバ革命は一度は成功したけれど、それは実際にはカストロの功績で、ゲバラは後ろにいたイケメン。カストロがブルゾンちえみだとすると、ゲバラはwithBだと思う(笑)。南米でカストロが圧倒的なリスペクトを集めるのは、国民を導く理念がはっきりしていて、革命後のキューバの運営に心血を注いだから。ゲバラは、と言えば革命というお祭り騒ぎが好きだっただけかもしれない。

ビン・ラーディンの殺害された場所は公表されない。同じようにゲバラも、逃げて逃げて逃げて逃げて、窮乏の末にアメリカに討ち殺された。聖地にならないように、ゲバラの遺体のある場所も、隠蔽されたんですよね。

そもそもボリビアの日系人は政治運動に関心がありません。そこが日系ペルー人との違いだよね。ペルーではフジモリ大統領が誕生したり、政治の内部まで食い込んでいくけれど、ボリビアの日系人はもっと実利的で、実業家への道を歩むんです。
豊かな大地の貧しい人びと、ボリビアの特異性


――ボリビアという土地の特異性について、煉がゲバラに語るシーンがありましたね。ボリビアという国土は存在しない。ボリビアではコミュニティごとに断絶していて、コミュニティ内に自治があると。
池上
 それは現在も変わっていません。コロニア・オキナワという豊かに発展したコミュニティは、安定した自治を獲得しています。その恩恵に与かろうと、沖縄人一人に対して十人のボリビアーノスが周辺に住み、収穫期など人手がいるときに手伝いをしている。

ボリビアーノスは他の時期には、生産的なことはしていないようですね。はじめに、リュウキュウ通りを見た時、たくさんのバイクが走っていてなんて賑やかなんだろう、と思ったんです。でもしばらくすると、あのチョッキのおじさん、さっきも通ったな、と。実は客を乗せていない空のバイクタクシーが、何度も何度も一本道を往復している。無駄だよね(笑)。でもそれが、彼らがイメージする仕事なんです。

――「カンバ・フロホ」ですね(笑)。
池上
 僕は結構好きなんですけどね、ボリビアーノスたちの怠慢な生き方も(笑)。考えてみたら、これまでも秩序だった物語を書いたことがなかったし、この国のでたらめさは、性に合っている。これまでの作品も案外皆、ボリビアみたい。大丈夫だ、この国のことを書ける、とボリビアに実際に行ってみて思った(笑)。 

――極彩色な華々しさと、グランデーロやマブイのような異世界の混沌、圧倒的な大自然、ボリビアは「気」が強いんですね。
池上
 ボリビアの一大耕作地、アマゾン熱帯平原は土の力がとても強い地域で、栄養に富んだ土は、何もしなくても日本の有機農法よりも甘い食べ物を生み出す。作物に味があるんです。ボリビアは「南米の最貧国」と言われるのですが、食べ物は放っておいてもたくさんできる。腐って捨てる物の方が多いくらい。食うや食わずやの日本の戦後と比較すると、ボリビアは貧しく、金はないけれど、飢えることはなかった。

――「サンタクルスの第一印象は土煙のなかに熟れた果物のような香りのする街」という描写がありましたよね。
池上
 鉄道や高速道路が整備されていないから流通できないんです。所有者の分からない畑では、オレンジが鈴なりになって、ただただ腐っていく。

食べ物だけでなく、石油はあるし、鉱物資源は銅に錫に鉄鉱石、現在はリチウムも注目されている。それからポトシ銀山もある。大地はこんなにも豊かなのに、人びとは貧しい生活をしているんです。

外資系資本による富の収奪を阻止するために、革命が起こる。でも革命すれば富が得られるかというと、実は一次資源のままでは金にならないんですよね。商品として価値を生み出すためには、資源価値を安定的に供給するために、先物取引で変動が起こらないようにすること、品質を一定にすること、販路を開拓する力、流通網の整備や損害保険など、知財のノウハウが必要です。知財のノウハウは先進国が握っていて、ボリビアには資源だけがあるという状況だから、歪みが生まれます。

僕が訪れた時には、ベネズエラ元大統領のチャベスの影響で、ボリビアも社会主義国になっていたけれど、富の再分配はうまくいってなかった。貧しいボリビアーノスの人々に食糧を無償で配給するんだけど、国民のほとんどが貧しいんだから、配給を続けたら国は貧しくなるばかりですよね。

五十年先を見据えて教育や人的資源の育成に政策が向かわない限り、貧困からは抜け出せない。革命では真の豊かさは生まれないんです。

ボリビアにおいて、国とはかくあるべきという思いは、ことごとく裏切られます。例えば郵便物を今まで十回ぐらいボリビアに送ったけれど、一度もまともに届いていない。でも届かせる仕組みはある――賄賂です。運転免許証も賄賂で買う。政府機能は壊滅していて、法整備を求めても、期待できない。そういう中で唯一機能しているのが、コミュニティなんです。

考えようによっては、ボリビアという国は、パラダイスです。法は機能しないけれど、それゆえに自己主張した者勝ちで、個人の才覚でのし上がっていける世界です。
煉の目から見る世界 多彩な登場人物たち


――お話を聞いていると、改めて『ヒストリア』は、知花煉の一代記のみならず、ボリビアの風土記、南米の国家論でもあると感じます。

今回、ボリビアという土地を舞台に、アメリカ人のムーア大将や、ナチスの残党のクラウス・バルビー、ヨーゼフ・メンゲレ、ブラジルと日本とボリビアの三重国籍を持つカルロスとセーザルのイノウエ兄弟や、沖縄のエリートだった伊計と安里、アルゼンチンのゲバラ、チョリータのカルメンなど、様々な国の個性豊かな人びとが出てきます。登場人物を描くとき、背後に国を意識して、書き分けているのでしょうか。
池上
 それは意識していなかったかな。煉を中心に、煉との関わりの中で、自然に形成されてきた気がします。

煉の一人称で進む物語なので、側にいるイノウエ兄弟にはカウンターパートとして聞き役になってもらわないと、物語がまわらない。煉は次々、事を起こす役割だから、それに対して「アキサミヨー」でも「ハッサヨー」でも、何かしらリアクションが欲しいんです。ツッコみながらも、やさしく受け入れてくれるのがイノウエ兄弟。

ムーア大将やバルビーは歴史上に実際に居た人物なので、動かせない時代的な背景があります。恐ろしい人体実験を繰り返したヨーゼフ・メンゲレを始め、ナチスの残党が、当時のボリビアには結構潜伏していました。コミュニティ外には全く無関心な土地だから、潜伏しやすかったのでしょうね。

しかし、本当にクラウス・バルビーという人は、複雑な人物です。元ナチスの親衛隊が、CIC(アメリカ陸軍防諜部隊)にいるというのが、ボリビアの混沌の象徴ですよ。さらにCICをクビになったあと、ボリビア政府の軍事顧問になっている。彼は、所属によってアイデンティティが変わるのではなく、確固たるアイデンティティが先にあって、組織がアイデンティティに適合しなくなったら、ポイッと捨てる。そういう人物だと思っています。知花煉の最大の敵にして、本当の暴力を知る男。容赦ないが感情では動かない男。手ごわくて、煉は決して勝てないんだけど、何かしら負けっぱなしでない爪痕を残したい、そんなふうに対峙させていました。

僕はバルビーに殴られて、黙っていない煉が好きなんだよね(笑)。顔を容赦なく殴られて、奥歯がとれ、消毒させろとスピリタスを口に含み、ライターで炎を敵に吐きかけたりね。

――全く大人しくしていない(笑)。バルビーとメンゲレの密談の場にも、行かなくていいのに乗り込んで行くから、ひやひやさせられました。
池上
 僕は、やっぱり丁重に扱わなければいけないお嬢さんよりも、野放しにしても何とかのし上がろうとする女の子が好きみたい。自分を魅力的に見せる服に着換えて、人生を果敢に勝ち上がろうとする、ちょっとビッチな子が。そして勇敢だけれど何度も負ける。相手の方が常に一枚上手なんだけど、ちょっと刺し返す。余計な一刺しを企むから、もっとひどい目に遭うんだけどね(笑)。

――煉はくり返し負けますよね。ボリビアの自然にも何度も負けながら、泣かずに唇を噛みしめて、血を流しながら立ち上がる。

私が好きだった煉の言葉は、三度目の正直でコロニア・オキナワに移動する道中、泥濘に足をとられながら、前へ前へと進み、「本当の私は足跡だけが知っていて、その姿を見ることができる者は後から来る者だけだった」というもの。事実を語ったに過ぎないのかもしれませんが、何度負けても未来だけを真っ直ぐ見据える覚悟が覗えるようで、清々しかった。
池上
 いつもは、三人称他視点で群像劇にすることが多いのだけど、今回は煉を中心に据えて、とにかく魅力的に描きたい、という思いがあって一人称を選びました。

僕は煉のこね回す屁理屈も、大好きです。一見論理的に語るじゃない。書いている途中で、本当に正しいか? と思わなくもないんだけど、ねじ伏せる勢いがあるし、なんか憎めない。でも物のたとえ方が、ちょっと下品だったりするでしょう。

――共産主義者は股間に星のついた赤いパンツを穿いていてダサい。資本主義者は洗ってない金ぴかのパンツで下品な上に臭い。私はどっちも穿かない、オーダーメイドのレースのビスチェよ! とスカートをまくって見せるシーンとか(笑)。
池上
 あっちゃ~育ち悪いなぁ、って思いながら書いていたりするのよ。でもケッタイな話しぶりに引きこまれるところもあって、もっと言え、もっと言え、とどこかで楽しみにしている。

僕の肉声ではああいう言い回しはできないんです。煉というキャラクターに没入していってようやく出てくる。だから書いているときは、煉のケッタイなものの考え方や、今度はどこから引用してくるんだ、みたいなことに驚きながら、感心している。

――書きながら、客観的にそんなことを思っているんですね。
池上
 感心したり、驚いたり、あちゃ~と思ったりね(笑)。共産主義者について語るところで「私有財産を持たない人生を素直に受けいれられる人は、生理用品の代わりに丸めた新聞紙を突っ込んで間に合わせたことを小粋に思う人だ」とか言い出すじゃない。

――ドギツいことをサラッと言っていましたね。
池上
 おいおい何を言い出すんだ、とドキッとするよね。生活の極めて卑近なところにイデオロギーを持ってきて、だから共産主義は嫌と決めつける。正しいかのか、理解できているのか分からないけれど、実体験や生活に根差した煉の直線的な思考回路も好きなんですよね。

――それにしても、一人の目からこれだけ壮大な物語が描かれるのは、すごいですよね。
池上
 とにかく知花煉に魅力的に生きて欲しいというのが、僕のただ一つの願いで。逆に言うと、一人称という形式を取ってしまった以上、最初から最後まで、彼女が魅力的に語り、行動しない限り、成り立たないんです。三人称他視点ならば、カメラが変わるたびに動きが出るけれど、一人称はモーメントを与えにくい。語り手の思考がグルりと廻らない限り、一人称は動かない。物語の動力は、煉の思考でしかないことが書きながら、分かってきたんです。エンターテインメントだから、スピード感も欲しいので、どんどんイベントして盛り上げてよね、あちこちに出かけてよね、と。僕からは、「ここらで、最新モードに着替えましょうか」という提案はできるのだけど、ケッタイな物言いは操作できないので、面白い屁理屈頼んだよ、と煉に委ねるしかないんです。

――池上さんと登場人物との距離感は面白いですね。
食べ物とファッションと音楽、駆け抜けた戦後


――そして、戦争のさなかにも着飾ろうとしていた煉は、その後のファッションにも気合が入ってましたよね。マブイの方の煉はちょっとやりすぎて、イヴ・サン・ローランのヌードルックで人々を絶句させてもいましたが(笑)。
池上
 服は、当時のファッション誌をいろいろ読んで、次はマリー・クワントのミニスカートがいいなとか、ソニア・リキエルのチュニックでどうだとか、カトリーヌ・ドヌーブばりの黒のカクテルドレスは、絶対に着たがるだろう、とかね。それにしても、スカート丈の栄枯盛衰は、ものすごく速いんですね。ミニスカートだったのが、あっという間にマキシ丈まで来る。あの時代はとにかく、政治もファッションも野心的なの。現代はファストファッションで、安いものを着る時代になっているけれど、当時は新しいもの、誰も着たことがないもの、というところに焦点があった。奇抜なアイデアがどんどん投入され、ミニスカートのように定着したものもあるけれど、ヌードルックはさすがに定着しなかったね(笑)。

――最先端のファッションを誰よりも先に着る、という煉の執念からは、戦争で文明や尊厳を全て奪われた怒りや、戦争は終わったんだ、私はこうして生きている、という意志表明も感じました。

それから、料理がどれもとてもおいしそうで。沖縄の伝統料理や、ボリビア料理を、アレンジして再現する手際。何度も間一髪の危ない目に遭う、その緊張をほぐす役割も、イノウエ兄弟やカルメン、移民団の人びととの絆を深める役割も、瞑想の役割も、料理が担っていましたね。
池上
 執筆者視点から言うと、ファッションも料理も、時代と土地を感じさせるアイコンです。作中に出てくる料理は、実際に自分で作ってみるんですよ。初めはレシピ通りに作るのですが、それではごく普通なんです。そこでレシピの調和から何かを引くと、鮮烈な味が生まれる。レシピの中で何を省略するかが、僕の試行錯誤ですね。

――チーチャという現地の飲み物を、コーンの代わりに小麦粉を焦がすことで滑らかな飲み心地にしたり、海のないボリビアで、鰹節の代わりに牛スネからイノシン酸の旨味を抽出し、豚肉との合わせ出汁で作った沖縄そばも、とてもおいしそうでした。煉が未来を模索しながら三日煮込んだパタスカという豚の顔の料理は、「幸せな未来を保証する」味だと。料理は過去と未来をつなぐ現在の象徴だとも思いました。
池上
 食べ物とファッションと、それから音楽。できるだけ時代を感じさせるものを入れて、描いていくんです。そうしたカルチャーの積み重ねで、物語が魅力的に生きてくると思っています。

煉たちが駆け抜けた戦後は、政治のめまぐるしさと同じように、サブカルチャーも過激に変わっていく時代。以前は、今より、三倍ぐらい早い生き方だったのだろう、と思います。

――カルメンのキャラクターも最高です。強くて、料理上手で、篤志家で。そのカルメンの必殺技は‘Siquita muchana!’(あたしのデカいケツにキスしな!)という決め台詞と共にお見舞いされるバッド・プレス。これはどのように生まれた決め台詞ですか。
池上
 日系の子たちに、いろいろなスペイン語を教えてもらったんです。初めは、お行儀のいい言葉だったけど、だんだんスラングが出てきて、「地獄へ堕ちろ」はどういうのかときいたら‘Vetealinfierno’だって。カッコイイ、何かの必殺技みたいだね、というと、必殺技は‘Siquitamuchana!’ですよって。これはスペイン語ではなく、インディヘナの使うケチュア語らしいのですが。スペイン語で「ケツ」というのは直接的過ぎるから、インディヘナの言葉に隠して使っているのだそうです。

――実際のスラングですか、どの場面でも、ビシっと決まっていました。

他にも、キューバ危機の、核戦争に怯えるハバナの街で、イブライム・フェレールが泰然と暗闇の舞台に立っているシーンとか、イノウエ商会の最新式黒電話が天井近くの神棚に祀ってあって、脚立に乗り爪先立ちで電話を受けるシーンとか、伊計にやったことを吐かせるために、言うまでロマネ・コンティを少しずつ溢していくシーンとか、心に残るシーンがたくさんありました。

そのようにして、構想二〇年の小説が書き上ったときは、どんな気持でしたか。
池上
 書き上ったことを喜ぶ間もなく、とにかく寝たい、という感じだったかな。執筆中は寝ていないもので……。

――そんなに没入して執筆されるのですか!

この物語を読むことで、知花煉という別の女性の人生を、生きさせてもらった気がしています。お話ありがとうございました。 (おわり)

2017年8月25日 新聞掲載(第3204号)
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