ここまでの俺の軌跡は二〇〇円のUSBにすべておさまる  桑原憂太郎『ドント・ルック・バック』(2014)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね 第49回
2016年8月12日

ここまでの俺の軌跡は二〇〇円のUSBにすべておさまる  桑原憂太郎『ドント・ルック・バック』(2014)

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二〇〇円のUSBメモリとはまたずいぶん安い。容量もそうとう小さいものだろう。そして「俺」が歩んできた人生の軌跡は、そんな安メモリで余裕にまかなえるレベルのものだったのだ。なお歌集にて語られている「俺の軌跡」とは、教員生活である。日夜身を粉にして、精神をすり減らして一生懸命働いてきた日々のまとめのように、その記録をすべて収めた小さなUSBが目の前にある。山ほどの業務日誌を書きためていた時代とは、仕事への充実感もまったく違うのだろう。なんだか自分の人生そのものがちっぽけだと言われているかのようだ。

デジタルな記録媒体が登場して以降、小さくて安価なのに大量の情報を詰め込めるスマートメディアを通して人間の営みのはかなさに思いを馳せるという短歌がたびたび作られている。フロッピーディスク、DVD―ROM、そして近年のUSBメモリと、メディアが変わり小さくなるほどに、現代短歌の方も追いかけて表現を更新している。松木秀の歌集『親切な郷愁』(2013)にも、〈ヒトゲノムだったら五人分入るUSBメモリが二千円〉という歌が入っている。短歌はけっこう技術変革に敏感な文芸形式なのである。考えようによっては、短歌もまた一般庶民の記憶や思考を封じ込めながら変貌を重ねてゆく、日本限定の記録媒体の一種なのだといえなくもないのかもしれない。
2016年8月12日 新聞掲載(第3152号)
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