大田南畝『狂歌百人一首』(1843) 今回から「パロディ編」です! 秋の田のかりほの庵の歌がるたとりぞこなつて雪は降りつつ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2017年9月5日

今回から「パロディ編」です!
秋の田のかりほの庵の歌がるたとりぞこなつて雪は降りつつ
大田南畝『狂歌百人一首』(1843)

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江戸時代の狂歌には、先達の名歌をパロディ化した「もじり歌」が多くみられる。蜀山人こと大田南畝は、江戸幕府の官僚でありながら当代随一の狂歌師という顔もあった人物。他の狂歌師と異なる点は、国学や漢学の豊かな素養を背景にしながら狂歌を作った点にある。ただのユーモア作家ではなく、知性も評価されていたのだ。
 そして南畝には、小倉百人一首の全ての歌をパロディ化した本すらある。この歌は百人一首1番の天智天皇の歌のパロディなのだが、下句は「わかころもてはつゆにぬれつつ(我が衣手は露に濡れつつ)」。15番の光孝天皇の歌の下句「わかころもてにゆきはふりつつ(我が衣手に雪は降りつつ)」と、とても紛らわしい。間違って「雪は降りつつ」の札をとってしまってお手つき、というわけだ。和歌の話をしていると見せかけて、実は百人一首のかるたの話をしていたのだというオチである。江戸時代にはすでに百人一首かるたがポピュラーな遊びであったことを教えてくれる。
 明治以降の短歌改革によって短歌が文芸ジャンルとしての自由さを獲得した結果、狂歌というジャンルは短歌に吸収されてなくなってしまった。しかし近現代短歌にも、狂歌的な精神は今なお息づいている。特に口語短歌の成熟には、狂歌によって培われた言文一致の方法論が不可欠だっただろう。今回からしばらく、現代短歌の粋といえる、「パロディ」の手法を取り入れた短歌を紹介していこうと思う。

2017年9月1日 新聞掲載(第3205号)
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