青山真治・伊藤洋司対談 "映画ベスト300"を語ろう 『映画時評集成 2004~2016』刊行を前に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年9月7日

青山真治・伊藤洋司対談
"映画ベスト300"を語ろう
『映画時評集成 2004~2016』刊行を前に

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リュミエール兄弟によって発明された「シネマ」(映画)の歴史は、サイレントからトーキーを経て、デジタル映像など技術の進化とともに発展してきた。フランス、イタリア、ドイツ、アメリカ、そして日本、中国語圏、インド、エジプト、ブラジル、多くの国で優れた監督、作品を産んできた。どれだけの映画がこれまで製作されてきたのだろうか。「映画ベスト三〇〇」をめぐって、映画監督の青山真治氏と、本紙映画時評を担当する伊藤洋司氏(中央大学教授)に対談をしてもらった。本対談は、今冬刊行予定の伊藤洋司『映画時評集成 2004~2016』(読書人刊行)に収録される「わが人生のベスト三〇〇」のために語りおろされた。それを抄録する。 (編集部)

フォード、ムルナウ、ルノワール

伊藤
 今回は、対談を引き受けてくださって、ありがとうございます。経緯を説明しますと、『週刊読書人』での映画時評をまとめて刊行するにあたって、「映画ベスト一〇〇」のリストとコメントを巻末に付けないかという提案を最初にいただきました。引き受けたものの、正直、最初は悩みました。ひとつには、そういうリストを作ると、カノンとして機能してしまい、良くないんじゃないかと思ったんですね。とはいえ、時間をかけて一旦百本まで絞り込んだんです。四〇本ぐらいまでは、コメントも付けました。けれども書いているうちに、絶対にダメだ、こんなことはやっちゃいけないと思いだしたんです。
青山
 それは、百本に絞るのは無理だということなのか、あるいは、世の中に対して示すのが嫌だということなのか、どちらなんでしょう。つまり、いみじくも今仰ったけれど、伊藤さんが作ったリストがカノンとして教育的な効果を果たしてしまう。そのことに抵抗があったとか?
伊藤
 カノンの危惧は今もありますが、何よりも、百本は数として不可能だったということです。無理矢理百本にはしてみたんですが、重要な映画がいっぱい抜け落ちていました。ただ、一度引き受けた以上、やりとげねばなりません。途中でやめるなら、最初から断るべきです。そこで、一回全部をチャラにして、百本に拘らずに、完全に自分の好みで選び直そうと思ったんですね。あくまで個人的に好きな映画ということで選ぶのであれば、なんとか許されるんじゃないか。そうすると、七百本を超えてしまいました(笑)。この数ではさすがに許されないので、そこから絞り込むための基準を考えました。そこで考えついたのは、できるだけ映画史的にばらつきがないように、一年に数本ずつ選ぶということです。映画が誕生した頃は別にして、抜けている年がないとか、ひとつの年に偏りすぎないとか、そういう枷を設ければ、ある映画を落とす理由になりますから。
青山
 一九三六年から三九年ぐらいまでは、絶対に複数本になりますよね。落とすのが難しい。
伊藤
 そうやって一年に五本までにすると決めたりするうちに、かなり重要な映画が落ちていきました。最終的には三百本まで絞って、これで許してもらうことにしました。単行本の他の作業もあったので、結果的には一年かかってしまいました。
青山
 この話をいただいたとき「僕も三百本選ばせてください」と恐れ知らずに申し出たんですが、伊藤さんのように厳密に選んだというよりは、作家ごとにまとめて、ひとり三本までと決めて選んでいきました。上から順番に三本ずつ、同じ監督が並んでいるのが、最初の百本ぐらいです。その後二本になったり一本になったり、結構自由に選んでいった感じです。
伊藤
 最初が、フォード、ムルナウ、ルノワールですね。
青山
 僕の場合、去年まで京都造形芸術大学の映画学科で、実際に映画を作ろうという人たち向けの授業をしていて、必ず一年に二回は見る作品は何かという基準で考えて、最初に『駅馬車』をパッと書いちゃったんです。それでフォードで三本ということで、あとは『長い灰色の線』と『太陽は光り輝く』が出てきた。じゃあ次にムルナウ、ルノワールという感じで選んでいきました。選んでいく中で、そう言えばグリフィスを入れてなかったなと時代を遡ってみたり、思いつきで挙げていきながら、ある監督が現われては、その作品を三本残していく。だから年代もバラバラです。
伊藤
 ジョン・フォードに関しては、まったく重なっていないんですよね。僕は『誉の名手』『香も高きケンタッキー』『荒野の決闘』『静かなる男』の四本を選びました。
青山
 『静かなる男』も、授業で必ず見せます。最初にふたりが出逢うシーンのカット割りを、「なんだこれって思わない?」と、学生に問いながら見せる。
伊藤
 僕も、授業で同じシーンを見せるんです。大学一年生のとき、蓮實重彥さんのゼミで、そこを見せてもらって、その体験が強烈だったんです。『長い灰色の線』は、少し意外でした。タイロン・パワー主演ですね。
青山
 これは、本当に個人的な理由から入れたものです。多分、一生涯で、あんなに泣いたことはないというぐらいに泣いた映画なんです。
伊藤
 『太陽は光り輝く』は順当ですよね。
青山
 『プリースト判事』のリメイクですね。後半に出てくる、葬式の楽団のシーンがたまらない。ステピン・フェチットという黒人俳優が出ているんですが、彼のファンなんです。それと冒頭の裁判のところで、息子だったか孫だったかが、バンジョーを弾くんですよね。あれが又素晴らしいので、フォードというと、この三本にしちゃいますね。
伊藤
 迷う余地がまったくないわけですね。
青山
 ええ。伊藤さんは、ムルナウが結構多いですね。
伊藤
 ムルナウは、青山さんが挙げられたのとまったく同じです。『吸血鬼ノスフェラトゥ』『サンライズ』『都会の女』。『都会の女』を挙げてくださったのは嬉しかった。
青山
 『都会の女』には近年になって衝撃を受けました。こんなにすごい映画が、今まで観られていなかったのはまずいぞと思ったな。
伊藤
 男女が草原を走っていくのを、横移動で撮るんですよね。あれが本当にいいですね。
青山
 『吸血鬼ノスフェラトゥ』については、これも授業の関係から選びました。この映画がいかに変なのか、学生に説明するんですね。カットの寄り引きも含めて、なぜここで俯瞰に入るかとか、逆側に入るかとか。つまり怪奇映画という形式におけるカット割りとは何なのかということです。その授業の趣旨は「クローズアップをどう撮るか」ですが、それを説明するために『ノスフェラトゥ』は、毎年一回は観ます。
伊藤
 是非その授業を受けてみたい。僕の場合、文学部や経済学部の学生に教えているせいか、なぜここでこのショットが入るのか説明しても、みんなポカンとしちゃうんですよ。本当に映画をやりたい学生には、青山さんの授業はたまらないでしょうね。
青山
 これくらいは知っておかないといけない。それを教える題材としては、『駅馬車』の最初の二十分と『吸血鬼ノスフェラトウ』の導入部分はベストなんです。
シネマテークの思い出

伊藤
 次のルノワールが、青山さんは『ゲームの規則』『素晴しき放浪者』『十字路の夜』です。
青山
 『十字路の夜』はごく最近観たんですよ。あれは途中、何巻目かが消失しているんですよね。だから話がよくわからないんだけど、世界で一番凄いノワールだと思います。
伊藤
 『十字路の夜』は挙げなかったんですが、『素晴しき放浪者』と『ゲームの規則』が重なっています。それから『ピクニック』『恋多き女』と、僕はルノワールで四本挙げました。実は『十字路の夜』も考えたんです。パリのシネマテーク・フランセーズで観たんですが、そのちょっと前に、日本で上映されたらしくて、三、四時間並んだという噂が流れてきました。これはまずいと思って、一時間前にいったら、誰もいなかった。結局は、ガラガラの中で観ました(笑)。
青山
 シネマテークの話で思い出しました。ドン・シーゲル特集をやっているとき、観ていない作品をまとめて何本か観たんです。『殺し屋ネルソン』は、多分伊藤さんと一緒に見ている(笑)。
伊藤
 ドン・シーゲルの全作上映は通いつめて、すべて観ました。初期の『暗黒の鉄格子』や『中国決死行』、『USタイガー攻撃隊』なども良かった。
青山
 パリにお住まいらしき日本人が、場内に三人くらいいて、そのひとりが伊藤さんだった。以前お会いしたとき、あぁ、あの時の『殺し屋ネルソン』の人だと思った(笑)。
伊藤
 留学中は、シャイヨー宮ともう一箇所にあったシネマテークのどちらかに、上映のない月曜と火曜以外は毎日いました。
青山
 僕はあそこが好きだったんですが、今はもうなくなりましたね。
伊藤
 ベルシーに移りました。ルノワールに戻ると、僕は『ピクニック』も大好きなんです。
青山
 『ピクニック』を入れなかった理由は、特にないんです。ひとり三本という鉄則のために、『十字路の夜』を入れることによって、はずれただけです。だから、実質的には重なっているとも言える。『ゲームの規則』は、逆に授業では見せたくないんですよ。あの字幕と映像では、あまりいい体験にはならない気がするからです。たとえば「コロニー」にいくと書いてある。おそらく「領地」だとわかるけれど、なかなか学生には意味が通じない。地名のように見えて、でも説明するのも面倒だし、それ以外も凄い台詞がたくさんあるのにどうも意味が取りにくくて、これではよくないなということで見せたくないんです。
伊藤
 そういう場合、僕は字幕にダメ出ししながら話します。アルドリッチの『キッスで殺せ』にも、いいところで変な字幕がありますよね。僕が授業でよく取り上げるのは、『素晴しき放浪者』です。川に二回落ちたり、窓越しの望遠鏡による出会いがあったりして、話を膨らませやすいので、繰り返し見せています。
青山
 大学では、「最初の二十分」という授業を、何週間かにわたってやっていました。第一週目が『駅馬車』で、その次が『市民ケーン』。本当は『ゲームの規則』を見せて同じ年に撮られた二本の映画の「最初の二十分」が、ほぼ同じ構造になっているのを立証してみせたかったんですけどね。単に自分がエバりたいだけかもしれませんが(笑)。『ゲームの規則』は、最初ラジオから入りますよね。『駅馬車』も、「ジェロニモによって電線が切られた」という情報が流れるところからはじまる。そして次から次へと登場人物が出てくる。そうした順番も似ているんです。二十分で切って観ると、編集といい、台本といい、そっくりなんですね。冒頭二十分で登場人物をすべて紹介するように、全世界的に規則として決っていたと思えるぐらい似ている。
伊藤
 よくそんなことに気づきますね。面白いなあ。どちらも一九三九年ですよね。それから、ルノワールのあとが小津安二郎です。ここはまったく重なっていません。青山さんが『その夜の妻』『早春』『秋日和』。僕が『晩春』『東京物語』『小早川家の秋』。本当は、僕は『早春』がメチャクチャ好きなんです。お好み焼き屋のシーンなんか素晴らしくて、授業でいつも見せています。『早春』は悩んだのですが、個人的な思い入れがあまりに強いかなと思って、あえてはずしました。 
岡田茉莉子とリリアン・ギッシュ

『散り行く花』のリリアン・ギッシュ
青山
 僕は逆に、『小早川家の秋』には個人的な妄執みたいなものがあって、はずしました。京都に去年一年住んだんですが、京都にいくことも全部ひっくるめて、『小早川家の秋』のあのノリ、中村鴈治郎のあり方が、自分の体に密着しているぐらい好きすぎて、はずしました。それよりは小津だったら『秋日和』だなと思って、こちらを入れたんです。
伊藤
 中村鴈治郎が素晴らしいし、新珠三千代もいいですよね。『秋日和』は、みんながあまりに褒めるので、ちょっと怖くて挙げられませんでした。僕はまだ、この映画を本当にはわかっていないんじゃないかと思ってしまって。本当は『東京暮色』も入れたかったんですが、こちらも勇気がなくて、この三本にしました。有馬稲子がいいんですけど。
青山
 リストを作るとき、僕は、意外に女優に拘って選んでいた気がするんですね。で、ここでもう岡田茉莉子さんを出してしまおうと、ふと考えて『秋日和』があがってきました。それに並んですぐ思いついたのが、次に挙げたグリフィスの『スージーの真心』です。岡田さんとリリアン・ギッシュが、自分の中でオーバーラップしたせいで、すらすらと書き込むことができた。
伊藤
 グリフィスだと、僕は『散り行く花』ですね。
青山
 グリフィスは、『東への道』が重なっていますね。
伊藤
 それと青山さんが挙げているのが『スージーの真心』と『嵐の孤児』。僕は二本だけです。『東への道』は、最後にリリアン・ギッシュが流氷にのって流されていくのが、たまりません。『散り行く花』と『東への道』は、リリアン・ギッシュが魅力的な二本です。
青山
 『嵐の孤児』は、多分最初に観たグリフィスですね。アテネの特集だったと思います。いまだに映画の中の雨の描写が結構好きなんですが、あの映画では、パッと傘を差したら、その乾いた黒いこうもり傘に、巨大な雨粒がボタボタボタって降り注ぐ。一瞬で終わってしまうロングショットなんですけど、あんな描写があり得るんだと感心した記憶があります。
伊藤
 それはすごいことを聞いたなあ。観直さないといけない。
青山
 そんなことを言いはじめると、僕は、観なければいけない映画がたくさんある。伊藤さんが最初に挙げられた、映画草創期の十八本、これはほとんど観ていませんから。観ているのは、『誉の名手』『男性と女性』『散り行く花』くらいですよ。完全な勉強不足です。
伊藤
 いやいや、青山さんの挙げられた三百本のリストを見て、僕は本当に感心したんです。全然知らない題名がいくつもありましたから。特に最後のほうに。話を戻すと、グリフィスのあとが、シュトロハイムです。『グリード』が唯一重なっています。僕はその一本しか挙げていません。青山さんは、加えて『愚なる妻』と『クィーン・ケリー』を挙げています。
青山
 『クィーン・ケリー』は、『サンセット大通り』で引用されていますよね。あれを観て、その全体像がいつか知りたいと思っていたんです。超ロングバージョンを観て、度肝を抜かれました。この人は頭がおかしいと思った(笑)。
伊藤
 一本一本すごい記憶力ですね。
三人のディーヴァ

青山
 今日は、おうかがいしようと思ったことがあるんです。『読書人』で堀禎一君と対談をされていましたよね(六月三十日号)。すごく面白い話があって、ドゥルーズ批判をしている。伊藤さんは、こんな発言をされています。「ドゥルーズが称揚するのは、常に表象以前のもの、潜在的なもの、画面に映っていないものです。彼の『シネマ』が提示するのは、反表象の反シネマであり、僕らはこれをそのまま認めるわけにはいきません。でもこうした問題に対処できなかったから、日本のシネフィルは、この二〇年間影響力を失い続けてきたのです」。まさに、そういうことだったんだろうと思います。つまり、ショットの記憶というものが、あたかも必要ないと考えられるようになってしまったということですよね。
伊藤
 特にこの二〇年間は、そちらの方向になっています。
青山
 蓮實さんが「ショット」について強調していたけれど、それが何のことか、最早わからなくなってしまっているわけですね。
伊藤
 ただ、僕も若い頃は、「ショットの記憶」で勝負していたんですが、今はそれもかなり怪しくなっています。記憶がごちゃ混ぜになってしまっているところがあって、もしかしたら違う映画を挙げている可能性さえあります。
青山
 逆に言うと、伊藤さんみたいにシネマテークに通いつづけて、どの映画のどのショットだったのかが最早わからないという、すべての記憶がごっちゃになるぐらいの経験こそが必要だと、僕は思うんですよ。それと、伊藤さんのリストを見ていると、最初にサイレント作品がバーンと並んでいますよね。自分はそういう体系化ができていない。僕の場合、大まかに言って、最初の方は、サイレント時代からやっている人たち、次はサイレントをやらなかったけれど大きな存在の人たちみたいな括りで挙げていったんです。そこから徐々に現在に近づいていく。
伊藤
 リュミエール兄弟から年代順に並べていますから、体系的に見えるだけだと思います。最初に挙げた一九一〇年代までの十八本のサイレントは、パリで観たものが多いですね。当時は、帰国したらもう観られないだろうと思っていましたから、上映があれば、何をおいても観にいっていました。
青山
 堀君と話していたマリオ・カゼリーニの『されどわが愛は死なず』、これはどういう映画なんですか。
伊藤
 ある女優が御曹司と恋に落ちるんだけど、彼女の生い立ちには秘密があって、という話です。確か蓮實さんも、『批評空間』で昔、絶賛していました。
青山
 手紙を書くシーンの描写の仕方について論じていたものかな?
伊藤
 それです。駅のカフェのシーンですが、ホームの縦構図で、ヒロインが画面の手前に座って、テーブルで別れの手紙を書いている。このショットを蓮實さんが大絶賛していました。
青山
 それは、いい話を聞いた。僕は観ていないので、頭の中で、どんなショットなのかなと思い描いていたんです。そう言えば、今年に入ってから、ゴダールの『コケティッシュな女』がYouTubeに上がったんですよね。あの冒頭が、部屋の中で手紙を書く女だった。その撮り方が、メチャクチャうまいんです。最初の劇映画のはずですが、新人ゴダールはすごくうまい。
伊藤
 『されどわが愛は死なず』の手紙のショットは、最後の方に出てくるんですが、あのショットだけ異質な構図で、びっくりします。蓮實さんが注目したのはよくわかります。ただ、ああいう突出したショットだけでなく、室内の何気ない引きの固定ショットがどれも完璧で、映画のどの瞬間も素晴らしいんですよ。
青山
 イタリア映画というと、僕は、完全にロッセリーニ以降なんです。それ以前はまったく観ていないと思います。その辺りのイタリア映画が、どんなに強力なものだったのか、是非知りたいですね。
伊藤
 すごいディーヴァが三人いますよね。『されどわが愛は知らず』のリタ・ボレッリは抑制のきいた演技がよくて、素晴らしい。次に、フランチェスカ・ベルティーニは『アッスンタ・スピーナ』の主演だけでなく、共同監督と共同脚本もしています。あとはピナ・メニケリ。彼女はジョヴァンニ・パストローネの『王家の虎』や『火』で圧倒的な演技をしました。『火』は淀川さんが絶賛していましたね。やはり、この三人でしょうか。
青山
 淀川さんと山田宏一さんと蓮實さんの鼎談でも、淀川さんが、イタリアのディーヴァたちがどんなに素晴らしかったかという話をなさっていましたよね。蓮實さんも観てはいるんでしょうけれど、あまり直接的な体験とはおっしゃらず、アンナ・マニャーニ辺りからの話ではじまる。
伊藤
 蓮實さんと話していたときも、「あの頃のイタリア映画は、あまり観ていません」と謙遜しておっしゃっていました。僕もほんのわずかしか観ていませんよ。
青山
 さっき岡田茉利子さんの話をちょっとしましたが、岡田さんを皮切りに、「女優の映画」を考えているうちに、中盤ぐらいから、アンナ・マニャーニ特集になってしまったんです。一四八番のヴィスコンティ『われら女性』、その次のパゾリーニ『マンマ・ローマ』とか、次々にマニャーニの映画が頭に浮かんだ。それで一旦戻って、ルノワールは『黄金の馬車』にしようかなとか、マニャーニだけで随分迷いました。
伊藤
 アンナ・マニャーニは『噴火山の女』というウィリアム・ディターレの映画に出ていますが、この映画って、ロッセリーニがバーグマン主演で撮った『ストロンボリ 神の土地』に対抗して製作されたんですよね。バーグマンに嫉妬して。同時期に撮影して、ロケ地もすぐそばだったんですよ。『ストロンボリ』と比較するとさすがにつらいんですが、ディターレ版もなかなかいいです。
青山
 彼女の映画は、イタリア時代とアメリカ時代と両方観たくて、いろいろ探しているんですが、なかなか日本版DVDがないんですよね。ディターレのは観たいなあ。アメリカだと『蛇皮の服を着た男』くらいか。『バラの刺青』なんて早く出ないものか。
伊藤
 ディーヴァに戻りますが、『されどわが愛は知らず』のリタ・ボレッリは、ニノ・オクシリアの『サタンのラプソディ』も主演しています。これが妖艶な演技で、素晴らしいんです。シネマテーク・フランセーズで修復された綺麗なプリントで観たんですが、本当によかった。日本では誰も話題にしてくれないので、悔しい思いをしているんです。ニノ・オクシリアの映画では、『青い血』がフランチェスカ・ベルティーニ主演で、『パパ』がピナ・メニケリ主演で、どちらもいいんです。
青山
 観たいなあ……。このアウグスト・ジェニーナの『さらば青春』も、イタリア映画ですか。
伊藤
 そうです。これは学生時代に、竹橋のフィルムセンターで観ました。「発掘された名画たち 小宮登美次郎コレクション」という特集上映に毎回通って、そこで観た一本です。学生と下宿先の娘の恋の話で、愛する男の乗る汽車を女が陸橋の上から見送るラストが切なくて、泣きました。女優はマリア・ヤコビーニ。ジェニーナは後に別のキャストでリメイクしていますね。ジェニーナの監督作では、『ミス・ヨーロッパ』も大好きです。
青山
 そのあとのエドゥアルド・ベンチヴェンガ『マリューテ』もイタリア映画?
伊藤
 これは十分にも満たない短篇ですが、どのショットも強烈で、シネマテークで観て衝撃を受けたので入れました。やはり、主演のフランチェスカ・ベルティーニが素晴らしいんです。こういう映画を、日本でちゃんと上映して欲しいんですね。
青山
 日本ではほとんど知られていないと思いますから、大いに喧伝すべきですよ。
伊藤
 ただ、最近はインターネットにあがっていたりするんですよね。当時は、これを逃したら一生観られないと思っていたので、なんとしてでも上映に駆けつけました。それが今では、ネットであっさり観て語られたりして、悔しいです(笑)。
『香も高きケンタッキー』

青山
 伊藤さんは、ルビッチは何を挙げてらしたんでしたっけ?
伊藤
 『結婚哲学』『陽気な巴里っ子』『街角』と、変な選択ですね。
青山
 僕は悩みに悩んで、結局『生きるべきか死ぬべきか』『天使』『天国は待ってくれる』の三本にしました。サイレントを入れられなかった。
伊藤
 僕はルビッチをわかっていないのかもしれませんが、サイレントの方が好きなんです。
青山
 自分もサイレント時代が好きなはずなんだけど、なぜか選びきれなかった。
伊藤
 『結婚哲学』と『陽気な巴里っ子』は学生の頃、アテネフランセでいつもやっていました。こんな面白い映画があるのかと思いました。
青山
 『陽気な巴里っ子』は最高ですよね。その辺りどうもあきらめて、この三本になってしまったんだな。『結婚哲学』と同年に撮られた『ボリシェビキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』、これはボリス・バルネット主演ですよね。僕もバルネットで探っていって、『ミス・メンド』と『青い青い海』を挙げたんだ。
伊藤
 『ミス・メンド』はフョードル・オツェプとの共同監督作ですよね。バルネットの処女作でしょうか。
青山
 最初の監督作品だったと思います。やたら長いんですよね。しかも異常な活劇で、これ絶対に人死んでるよっていうぐらい激しいものだった(笑)。
伊藤
 僕は、バルネットでは『帽子箱を持った少女』と、青山さんと同じく『青い青い海』です。
青山
 『青い青い海』は絶対に重なりますよね。
伊藤
 ボリス・バルネットは、一九四五年に『ダーク・イズ・ザ・ナイト』というのを撮っていて、これもすごく面白いんです。ドイツ軍占領下の村で、ヒロインが兵士たちを屋根裏部屋に匿う話で、兵士の呻き声が聞こえないように娘が大声で歌ったりするんですね。
青山
 二〇〇〇年代に入ってからだったと思いますが、ロカルノ映画祭で、戦後のロシア映画の特集があって、バルネットのカラー作品を観た記憶があります。コルホーズを舞台にしていて、ものすごく変な映画です。あのときに驚いたのが、ロシアのスタンダードサイズが、正方形よりちょっと横が短いんじゃないかっていうぐらい縦長に見える画面だった(笑)。もちろん個人的な印象ですが、スクリーンがおかしいんじゃないかと疑いました。藁を積んだ馬車が走るのをパンでずっと追っかける。雄大な景色なのに、なぜか縦長なんです。おかしいなこれと思いながら観ていました。伊藤さんが次に挙げられた『香も高きケンタッキー』、これが自分の中での欠落としては一番痛い。二年ほど前に上映がありましたよね。でも、他に予定があっていけなかった。
伊藤
 二回やって、そのうちの一回が丁度大学の仕事のない日だったので、観られました。
青山
 あのときは、わが身を呪いましたよ。なんでこんな時に限って予定が入っているのか。
伊藤
 馬が語る映画なんですよ。見逃したらいけないと思って、何時間も前にいったら、一番でした(笑)。
青山
 伊藤さんは、そのパターンが多いですね(笑)。パリのシネマテークで何度かお見かけしたときも、大抵一番前に並んでいる。
『散り行く花』のリリアン・ギッシュ

伊藤
 ジャック・ベッケルも重なっていませんね。『現金に手を出すな』『肉体の冠』『穴』と挙げられていて、僕が『偽れる装い』と『エドワールとキャロリーヌ』。
青山
 ベッケルはホークスと一緒で、僕の場合、どれを選んでもいい。
伊藤
 『現金に手を出すな』と『穴』、これは男性的な選択ですよね。やっぱり青山さんの三百本を見ていると、男を感じますね。
青山
 だから、あえて「女優、女優」と考えながら選んでいったんです。そうでなければ、もっとマッチョなリストになっていた(笑)。『現金に手を出すな』も、はっきり覚えているのが、蓮實さんの授業ですね。『大砂塵』と合わせて取り上げて、「この二本には、どんな共通点があると思いますか?」という質問があった。多分四十分間だったと思いますが、ほとんど時間的省略がないという指摘だったと思います。『現金』ならば最初の一夜、『大砂塵』なら、襲撃犯の一味がやってきてから帰るところまで、ほとんど省略なしで時間が流れる。
伊藤
 『現金』はわかるのですが、『大砂塵』はどうだったかな。よく覚えていません。
青山
 最初、鉄道工事の崖を発破で吹っ飛ばすところからはじまるんですが、スターリング・ヘイドンが慌てていると、今度は崖の下で馬車が襲われている。そのまま崖を降りていって、ジョーン・クロフォードの店にたどり着く。そこから夜までが、ほとんど時間的省略がない。
伊藤
 それは気づきませんでした。
青山
 僕もわからなかった。誰も答えられなかったんじゃないか。映画っていうのは省略で成立しているはずなのに、この二本には時間的省略がほとんどない。それが、あの授業の主眼でした、
伊藤
 その『大砂塵』も、挙げていらっしゃいますね。ニコラス・レイでは、あとは『危険な場所』と『ラスティ・メン』。『ラスティ・メン』を挙げてくるとは思いませんでした。
青山
 『さすらい』のヴェンダース繋がりと言ってしまうと変ですが、床下に潜って、缶を開けて懐かしのものを見るシーンがありますよね。僕は『月の砂漠』の中で、床下にまでは潜らせなかったんだけれど、戸棚を開けると、子どもの頃の缶が出てくるシーンで引用しているんです。『危険な場所で』は、押しも押されぬ大傑作だと思います。
伊藤
 『危険な場所で』は、アイダ・ルピノがよくて入れたかったんですが、結局『夜の人々』になりました。僕は「犯罪者逃亡もの」が大好きなんです。ラングの『暗黒街の弾痕』とか、ルイスの『拳銃魔』とか。なので、どうしても『夜の人々』がはずせませんでした。
青山
 『夜の人々』に関しては、十年ぐらい前から、授業で取り上げてきたんですよ。最初に主人公が刑務所を脱獄して、兄貴の家にいく。あのシーンの全カット分析をやりつづけてきました。学生にはこう言うんです。「君たちの映画は、なんで人が座ったり立ったりしないのか」と。
伊藤
 ニコラス・レイって、その演出がうまいですよね。それだけで切り返しが面白くなる。『暗黒街の女』にもそういう場面があります。足の怪我を使ってやるんですよね。
青山
 一番顕著なのは、『夜の人々』の中で、ファーリー・グレンジャーがストーブに火を点けるシーンですね。ボウイとキーチでストーブに火を点けようとしている。テーブルに一人、立っている人が一人、基本的に三つの視点が高低差を作る。これが豊かな演出というもんじゃないかと、学生に向かって話すわけです。
伊藤
 目の高さを変えるだけで、室内の会話のシーンが生き生きとしてくるんですよね。今言われて思い出しました。今日はその話を聞けてよかった。青山さんは、批評家よりもずっと映画をきちんと観ていて、分析も本当に素晴らしい。それに比べると、日本の映画評論家は、どれだけ映画を観ているのか。これでは、まったく敵わない。
青山
 映画美学校で教えはじめたときから、そのことは話していました。ただ僕の場合、批評家の目線というよりも、あくまでも作り手として考えているだけだから、ちょっと違う分析の仕方になるんだと思いますね。
八〇年代、一緒の時間を過ごす

伊藤
 ニコラス・レイも、シネマテークで全作上映をやったときにすべて観ましたが、こうやって指摘されるまで、なかなか細かいところを思い出せません。『孤独な場所で』『マカオ』『追われる男』『理由なき反抗』『黒の報酬』『無法の王者ジェシイ・ジェイムス』『にがい勝利』『エヴァグレイズを渡る風』、全部いいなあ。
青山
 『にがい勝利』で思い出しました。僕が挙げたリストのニコラス・レイ近辺の監督で言うと、その前に、ジョセフ・ロージーが三本並んでいますね。『風景の中の人物』『銃殺』『召使』。『にがい勝利』と『風景の中の人物』、それとアルトマンの『クインテット』、あの三本に共通する技があるんです。後ろから襲って、顎を上げて、ナイフで喉元を切り裂く。三本とも、この殺し方をやるんです。これは今のアメリカ映画では、倫理上禁止されているそうです。時代劇でもダメみたいですね。『クインテット』は、ヴィットリオ・ガスマンが切るんじゃなかったかな。アルトマンは『クインテット』ではなく、僕は変な作品を入れてますね。『バード★シット』と『突撃!O・Cとスティッグス/お笑い黙示録』(笑)。本当に傑作だと思いますが、誰も信じてくれない。
伊藤
 『バード★シット』はいいですよね。僕はもっと変なものを入れています(笑)。『フール・フォア・ラブ』。高校生のときに観ました。主演のサム・シェパードとキム・ベイシンガーがいいんですよ。
青山
 その辺りの伊藤さんが挙げられた八〇年代のリストを見ていると、まさに一緒の時間を過ごした感じがしますね。アルトマンは、この前PFFで特集をやったとき、『わが心のジミー・ディーン』が上映されたんです。あれも素晴らしかった。もう一回観たいですね。 (以下単行本に収録)

*本対談の完全版(四万四〇〇〇字)は、青山真治/伊藤洋司選「映画ベスト三〇〇」とともに、今冬刊行(予定)の、伊藤洋司著『映画時評集成 2004~2016』(四六判・五〇〇頁・二七〇〇円・読書人刊)に収録される。

青山真治×伊藤洋司選「映画ベスト三〇〇」

◇青山真治選「ベスト三〇〇」(30番まで)

(1)駅馬車(ジョン・フォード・一九三九)
(2)長い灰色の線(同・一九五五)
(3)太陽は光り輝く(同・一九五三)
(4)吸血鬼ノスフェラトゥ(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ・一九二二)
(5)サンライズ(同・一九二七)
(6)都会の女(同・一九三〇)
(7)ゲームの規則(ジャン・ルノワール・一九三二)
(8)素晴しき放浪者(同・一九三九)
(9)十字路の夜(同・一九三二)
(10)その夜の妻(小津安二郎・一九三〇)
(11)早春(同・一九五六)
(12)秋日和(同・一九六〇)
(13)スージーの真心(デイヴィッド・W・グリフィス・一九一九)
(14)嵐の孤児(同・一九二一)
(15)東への道(同・一九二〇)
(16)愚なる妻(エリッヒ・フォン・シュトロハイム・一九二二)
(17)クィーン・ケリー(同・一九二九)
(18)グリード(同・一九二四)
(19)浪華悲歌(溝口健二・一九三六)
(20)残菊物語(同・一九三九)
(21)雨月物語(同・一九五三)
(22)汚名(アルフレッド・ヒッチコック・一九四六)
(23)めまい(同・一九五八)
(24)マーニー(同・一九七二)
(25)コンドル(ハワード・ホークス・一九三九)
(26)赤ちゃん教育(同・一九三八)
(27)脱出(同・一九四四)
(28)港の女(ラオール・ウォルシュ・一九二八)
(29)いちごブロンド(同・一九四一)
(30)鉄腕ジム(同・一九四二)

◇伊藤洋司選「ベスト三〇〇」(年代順/18番まで)

海水浴の後のシャワー(ルイ・リュミエール・一八九七)
着替えは無理(ジョルジュ・メリエス・一九〇〇)
おもしろい話(ジェームズ・ウィリアムソン・一九〇四)
チーズトースト狂の夢(エドウィン・S・ポーター・一九〇六)
隣の下宿人たち(エミール・コール・一九〇九)
カメラマンの復讐(ヴワディスワフ・スタレーヴィチ・一九一二)
されどわが愛は死なず(マリオ・カゼリーニ・一九一三)
ポーリンの危難(ルイ・J・ガスニエ&ドナルド・マッケンジイ・一九一四)
アッスンタ・スピーナ(フランチェスカ・ベルティーニ&グスタヴォ・セレーナ・一九一五)
吸血ギャング団(ルイ・フイヤード・一九一五)
王家の虎(ジョヴァンニ・パストローネ・一九一六)
人生には人生を(エヴゲニー・バウエル・一九一六)
サタンのラプソディ(ニノ・オクシリア・一九一七)
譽の名手(ジョン・フォード・一九一七)
さらば青春(アウグスト・ジェニーナ・一九一八)
マリューテ(エドゥアルド・ベンチヴェンガ・一九一八)
男性と女性(セシル・B・デミル・一九一九)
散り行く花(デイヴィッド・W・グリフィス・一九一九)

2017年9月1日 新聞掲載(第3205号)
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