原稿の下に隠されしもの 遠藤周作から寺山修司まで / 久松 健一(笠間書院)探偵のマトリョーシカ  緻密にして大胆極まりない論の展開に興奮|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年9月4日

探偵のマトリョーシカ 
緻密にして大胆極まりない論の展開に興奮

原稿の下に隠されしもの 遠藤周作から寺山修司まで
著 者:久松 健一
出版社:笠間書院
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遠藤周作と寺山修司。このふたりには共通点がある。履歴詐称と剽窃である。

後者については、盗作を大目に見られている点で共通している、という方がいい。ただ、程度問題として両者にはひらきがある。

遠藤の汚点は、『沈黙』まえがき中の書簡である。研究書の翻訳の引き写しなのだ。遠藤はこの点について頬かむりをしている。遠藤に余罪はないが、見ようによっては代表作の発想の源とも見なせる部分に問題があるわけである。このことはもっと広く情報公開されてよい。研究の進捗にもつながる。

一方、寺山の「盗癖」は有名だ。それなりに批判も浴びている。たとえば、

一本のマツチをすれば湖は霧  昭和16 

めつむれば祖國は蒼き海の上 同 

これは冨澤赤黄男かきお句集『天の狼』の二句。

マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや 昭和32 

こちらは寺山の代表作。

寺山の場合、この程度の類似は序の口である。自分が選者だった青少年誌への投稿から表現を平然と盗むなど、目に余る。

この不愉快な話題をとりあげる久松の姿勢は、深く考え抜かれている。剽窃は悪、という単純な正義感ではない。模倣こそ創作の根源、という原理にも与さない。久松はオリジナルとその模倣という二項間の問題と見えるものを、オリジナルに先行する作品、模倣作を真似た作品の連鎖の中に置き直す。そして個々の作品の価値を、その都度結果として生じる「オリジナリティー」に見る。類似作品群を、久松は「マトリョーシカ」に喩える。あの奇妙な魅力のあるロシア人形だ。

久松の見方の根底には、テクストは引用のモザイクであるという間テクスト性の理論(クリステヴァ)がある。が、久松の読みは理論臭のつよいものではない。むしろ地道な調査研究の実感に即している。

その頂点をなすのが、寺山の歌人としての公式デビューとなった、50首公募に応じた作品群『チェホフ祭』にまつわる謎の解明である。綿密に復元した原稿をベースとする多角的考察は、選者中井英夫らの思惑と天才少年寺山の出会いに秘められたドラマを、ときに大胆な想像をまじえて、立体的に再現していく。

先に履歴詐称と言ったが、寺山の場合、たとえば少年時代のボクシング経験なるものは虚飾のひとつだという。寺山には後年日本ボクシング界のスターたちと並んで撮った一葉の写真がある。久松は、そこに写る寺山のほんの小さな身ぶりから、ボクシング経験のないことを見抜く。名探偵ぶりに、鳥肌が立つ瞬間だ。

遠藤周作の「秘密」に迫って行くくだりでも、久松は社会派推理小説中の刑事も顔負けの粘り腰を見せる。種明かしはエチケットに反するので詳述は避ける。ただ、最終的に明かされる「秘密」は信仰に関わるものなので、ドロドロした実人生の秘密を期待すると肩透かしを食う。その点が惜しい、という感想を持ちかけた。

ところが、『テレーズ・デスケールー』遠藤訳の分析から日本語論へ、日本的宗教論へと考察が加速していくあたりから、本書は別の次元に達する。緻密にして大胆極まりない論の展開に、わたしは興奮を覚えた。

両人の研究者は必読。読書の楽しみをもとめる方なら、どなたにでも薦めたい。失望することはないはずだ。
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年9月1日 新聞掲載(第3205号)
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原稿の下に隠されしもの 遠藤周作から寺山修司まで/笠間書院
原稿の下に隠されしもの 遠藤周作から寺山修司まで
著 者:久松 健一
出版社:笠間書院
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