終わりなき対話 Ⅱ 限界−経験 / モーリス・ブランショ(筑摩書房)三五年の歳月が流れて  長い迂路を経て再び近づいていたブランショ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年9月4日

三五年の歳月が流れて 
長い迂路を経て再び近づいていたブランショ

終わりなき対話 Ⅱ 限界−経験
著 者:モーリス・ブランショ
出版社:筑摩書房
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原書の出版は一九六九年である。評者がその分厚い重みをこの手で感じ取ったのはいつのことであったか。少なくとも三五年の歳月がそれから流れたということは間違いない。いつ邦訳が出るのかと待ちわびていた時期もあった。しかし、いつ頃からか本書を手に取ることはめっきり少なくなり、邦訳を待望することももはやなくなっていた。そんなとき、まさに思いがけず本書の邦訳第一巻が送られてきたのだ。そして、今度は第二巻が。思いがけず、と書いたが、実を言うと、長い迂路を経て評者はブランショに再び近づいていたのだ。レヴィナスの思考にとって「リズム」「リズムの欠如からなるリズム」「不整脈」といった観念がいかに重要であったかということに遅ればせながら気づき、この観点から思想史のある局面を読み直そうと試みるうちに、「どんな魂もリズム的な結ぼれなのだから」というマラルメの言葉に誘れて、ブランショの『文学空間』や『来るべき書物』を久々に繙いたのだが、そのとき、「すべてはリズムである。人間の運命はまるごとただひとつの天上のリズムであり、それは、芸術作品がひとつの比類のないリズムであるのと同様なのだ。」というヘルダーリンの言葉がそこで引かれていることを初めて発見したのだ。

この言葉は『終わりなき対話』邦訳第一巻所収の「言葉を語ることは見ることではない」でも引用されている(九三頁)。訳者によると、初出時にはそこには「リズムは言葉の旋回[トゥール]である」と記されていたようだが、おそらくハイデガーの言う「ケーレ」(曲がり角、ループ、転換、旋回などを意味する)の訳語として選ばれた「トゥール」(一周、旋回、調子、縁、順番などを意味する)という語と「トゥールナン」(曲がり角)などその周辺の語群が、ここで「終わりなき対話[間の維持、アントルティアン]」と呼ばれているものの分裂的生成――それは「エクリチュールの描線」(本書一七八頁)でもある――を表わしているのだろう。「間」の創造は、シモーヌ・ヴェイユの言う「脱創造」の、「ツィムツム」にも似た収縮によって可能になる。この点については、邦訳第一巻の掉尾に収められた「中断――リーマン面のうえにいるように」での「中断」「間歇」「中休み」「裂け目」「ずれ」などをめぐる叙述をもぜひとも参照されたい。

この「裂け目」は「砂漠」とも「地獄」とも呼ばれている。ニーチェは「砂漠が広がる」と言い、ハイデガーは「砂漠」を「思考するべき思考されざるもの」と呼んだ。それはまた人間たちの「断片」が散らばる戦場でもあって、ツァラトゥストラはそこで踊るのだ(邦訳第一巻冒頭に掲げられた題辞のひとつを参照)。では、これらの「断片」は、ロベール・アンテルム『人類』論に記された「人間は破壊できないものである、だが、それは破壊されうる」(本書九五、一〇五頁)という言葉の正しさを証示しているのだろうか。必ずしもそうではない。誰なのか分からない対話者のひとりは実際、「私はこの警句を疑い続ける」(本書一〇五頁)と言っているのだから。もうひとりの名もなき対話者は、「人間は破壊できないものであり、そしてそれは、人間の破壊には限りがないという意味だということを」(同右)一瞬心に留めるべきだとそれに応じる。

経験はいずれも「限界―経験」であるが、限界に限界はない。限界ないし線は「無際限」(アンデフィニ)であり、限界のないものは逃れ去り捕まえることができない。限りなき人間の破壊に「徹底的なニヒリズム」を見たもうひとりの対話者の言を、もうひとりの対話者が首肯しつつも、ニヒリズムが容易に捕まえられるとは思わないと警告するのもそのためである。精神分析的対話にもブランショは限界のこのような逆説を読み取っていくのだが、何よりもそれは「日常とは発見することがもっとも困難なものである」(本書三〇二頁)、「日常は逃れ去る」(本書三一二頁)という事態と深く結びついている。アンリ・ルフェーブルもまた「リズム」の哲学者であったことを銘記されたいが、まさに「終わりなき対話」[無限の対話]とは「日常性」という「限界―経験」の「無際限」であって、だからこそ、パスカル的「無限」をめぐるブランショの考察を介してなお、私たちは、デカルトにおける「無限」と「無際限」との区別をいま一度思考しなければならないのだろう。(湯浅博雄・岩野卓司・上田和彦・大森晋輔・西山達也・西山雄二訳)
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2017年9月1日 新聞掲載(第3205号)
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終わりなき対話 Ⅱ 限界−経験/筑摩書房
終わりなき対話 Ⅱ 限界−経験
著 者:モーリス・ブランショ
出版社:筑摩書房
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