芥川賞について話をしよう第12弾(小谷野敦×小澤英実)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年9月14日

芥川賞について話をしよう第12弾(小谷野敦×小澤英実)

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第157回芥川賞は、沼田真佑「影裏」に決定した。その他の候補作は以下の四作。今村夏子「星の子」、温又柔「真ん中の子どもたち」、古川真人「四時過ぎの船」。小谷野敦氏と小澤英実氏による恒例の「芥川賞について話をしよう」第12弾をお送りする。 (編集部)

今村夏子シフト?

小澤 英実氏
小谷野
 今回は候補作が四作で、戦後初めてのことでしたね。最初に、小澤さんに、候補作全体を見て、どんな印象を持ったのか、聞かせてもらえますか。
小澤
 選出作を見て、これが俗に言うシフトかと思いました。前回は小谷野さんが「山下澄人シフトだ」とおっしゃってましたけど、私はある特定の作家を受賞させる布陣なんていうのは深読みだろうと訝ってたんですね。でも今回の並びを見ると、どうみても「今村夏子シフト」にしか思えない。しかし実際の作品をみると、今村さんの「星の子」は過去作に比べて落ちると思いました。私はデビュー以来ずっと今村夏子推しでしたが、今作での受賞は難しいと思いました。むしろ、前回あまり評価できなかった古川真人の「四時過ぎの船」と、初候補の沼田真佑の「影裏」がよかった。受賞作の「影裏」は読めば読むほど味が出てくるスルメみたいな作品で、読み直すたびに評価が高くなりました。
小谷野
 とにかく温又柔の「真ん中の子どもたち」が酷かった。温にだけは受賞して欲しくないと、そればかり考えていました。あとは、小澤さんも言われたけれど、前回の「あひる」がよかったわりに、「星の子」がまったく駄目でしたね。まず長過ぎる、冗長。六割の長さでいい。
小澤
 「あひる」は、選評でも「短い」と指摘されていましたが、それで長く書いたら今度は長過ぎると言われる。世知辛いですね(笑)。ただ今回大幅に株を落とした宮本輝氏は、候補作が年々長くなってると文句を言いつつ、今村作品にかんしては「長い小説だが、それだけの長さを必要とする素材でもある」と評価していましたね。
小谷野
 要するに、今回は、前の作品と込みで、合わせ技で授賞するという考え方を取らなかった。阿部和重の「グランド・フィナーレ」の場合、業績込みで授賞したわけです。そういうことをやる時とやらない時があって、それが恣意的なのはよくないと思いますね。
小澤
 選考会がすごく荒れたと、言われていますよね。選評などから推測するに、「星の子」と「影裏」の同時受賞になりかけたのが、最終的にひっくり返って、沼田真佑の単独受賞になったようですね。
小谷野
 そこは微妙ですね。最初から「星の子」には、そんなに票は入っていなかったんだけれど、小川洋子と川上弘美が強く推したという感じなんじゃないか。
小澤
 髙樹のぶ子と島田雅彦はネガティブな評価でしたね。
小谷野
 「星の子」で描かれた新興宗教の話は、本人の実体験を元にしているんですかね。つまり、フィクションなのかどうか。
小澤
 どうなんでしょう。「あひる」にも宗教の要素が入っていましたし、今村さんの重要なテーマだとは思いますが、「星の子」ではどれか特定の宗教について描いているというよりは、我々のイメージする新興宗教の要素を、いろいろ取り込んで書いてますよね。それが逆に戯画的過ぎて、いかにもステレオタイプの新興宗教のイメージになってしまったのがよくなかったんじゃないかと思っています。
小谷野
 最後に主人公が、新興宗教から抜けるのがクライマックスになるんだと思ったら、そうではない。ここは拍子抜けしました。
小澤
 抜けないところがいいと思うんですよ。本人は現状に満足もしていないけれど、反発も悲観もしていない。姉のまーちゃんは両親に反抗して、いなくなりますが、主人公のちーちゃんは、幼いからかもしれませんが、そうした自己決定権もないまま、大人が与える環境に翻弄されている。ただ、両親が信仰する新興宗教のシステムの中で、そこそこの幸せも感じている。最後に抜けてしまうところで終わったら、わりとよくあるストーリーになってしまう。
小谷野
 結局、あまり面白い小説ではないとしか言いようがない。
小澤
 最後のシーンなんか、すごくいいと思いますよ。自然に囲まれた星空の下で、両親のあいだにはさまれて、主人公が両側から強く抱きしめられる。これも「真ん中の子ども」の話なんですね。それに細かいディテールがいちいち面白い。「金星のめぐみ」という名前の水をタオルに浸して、おしぼりみたいにして頭にのせておくと、病気が治るとか、結構笑えないですか。
小谷野
 そういうのはホラーの臭いがしてしまって、笑うというよりも怖い。
宗教と家族の問題

小澤
 「あひる」では不思議さとホラーがうまく同居してましたよね。笑いについては「作者がどこまで意図しているのか」という指摘もあるようですが、私は、意図的に面白く書いているんじゃないかと思います。ちーちゃんの両親が緑のジャージを着て、夕方の公園で、頭の上のタオルに水をかけ合っているシーンなんて、最高ですよ。固有名詞の選びもじわじわくる。
小谷野
 私には、その面白さがまったくわからない。「金星のめぐみ」でしたっけ? あの水が、ただの水道水となんら変わらないことを、親戚のおじさんが証明するわけでしょ。あれで、なぜいんちきだと気づかないのか。両親は何を考えているのか、そこが内部から説明されていない。読んでいて不全感が残るんです。そもそも私は『宗教に関心がなければいけないのか』という本を書いているぐらいだから、新興宗教に入れ込む人たちの気持ちがよくわからない。入信するのは大体、子供が死んだとか不幸な目にあった人ですよね。でも、この人たちはそうでもない。なぜ教団にいつづけるのかが、さっぱりわからないんですよ。
小澤
 後半で、彼女のあとを追って合宿に来ちゃう信者じゃない人が出てきますけど、入信のきっかけなんてほんとにひょんなことで、入っても町内会みたいな感じでフィットしちゃう人もいるんじゃないかってことが書かれてるんじゃないですか。隣の新興宗教というか。それに両親の入信の理由は最初のほうで説明されていますよね。ちーちゃんは幼い頃に病弱で、湿疹によるかゆみの症状が酷かった。あらゆる民間療法を試しても治らなかったのが、父親の同僚から貰った水で体を清めることによって治癒する。なおかつ両親も風邪ひとつひかなくなった。そこから信仰がはじまる。
小谷野
 でも、ただの水ですよ。さっきも言ったけれど、雄三おじさんが、ある時、「金星のめぐみ」の水と公園の水道水を入れ替える。それとも気づかずに、「特別な儀式で清められた水」だとか言って、効果があると思い込んで飲んでいる。
小澤
 われわれも、サプリメントとか水素水とか、プラシーボ効果かもしれないけど好んで飲んだりするじゃないですか。
小谷野
 私は近代主義者だから、それはまったくない。まだサプリメントならば、わかりますよ。何かしらの効果はある。でも、水ですからね。だから読んでいて、今村さん自身、今でもこの手の話を信じているんじゃないかと思った。それこそ怖い話です。
小澤
 ただ、さっきの話とも繋がりますが、ユーモアの入れ方をみると、対象とは距離を取った視点で、宗教と家族という二つのフィクションに介入しようとしていると思いますよ。一般的には、親が新興宗教に入っていると、信心を強要される子どもは可哀想だという見方が強い。でも子どもの視点から見ると、自分が可哀想だという意識もない。教団の中では、学校よりも友人が多かったりして、楽しい世界ですらある。しかし、その世界はちょっと歪んでいる。子どもの置かれた世界の複雑さが、すごくリアルに響く。
小谷野
 主人公は最後、中学三年生になっていますよね。ならば、もうちょっと自我に目覚めて、親に反発してもよさそうなものでしょ。でも、そんな素振りは一切ない。幼稚過ぎないですか。というか、物語を書いているのは大人なわけですよね。振り返って過去のこととして書いているのであれば、そういう視点が欲しい。
小澤
 その点は、選評でも指摘されていましたね。「この文体では、少女の視点でしか書けないのではないかと危惧する」と、髙樹さんが書いている。逆に言うと、これだけ子どもの視点で書ききれる作家は、今村さん以外にいない。ふつうは子どもの視点に作家の視点が透けてみえてしまう。ぎょっとするほど穴あきだらけで、ピュアでグロテスク。そういう子ども特有の世界の編集の仕方を描くのが天才的にうまい人だと思うんです。
小谷野
 私にはそうは思えなかった。
小澤
 そうですか。あと、今村さんは、子どもの剥き出しの欲望みたいなものの描き方が最高ですね。「こちらあみ子」でも、主人公が好きな子にベチャベチャになめたクッキーをあげちゃうところがすごく強烈でしたけど、今回も南先生への想いをどう吐き出していいかわからなくて、似顔絵を何枚も何枚も描いたりする。女の子の生々しいリビドーみたいものを描くのが本当にうまい。
小谷野
 村田沙耶香も、そうですよね。
小澤
 はい。ただ、村田さんのエロは潔癖さが混在していて、少し性質が違う。今村さんの書き方って、やっぱりひたすら気持ち悪くないですか。
小谷野
 本当に気持ち悪いかどうかは、もう少し読まないと、まだわかりませんね。いろいろ謎多き人だとは思いますがね。
小澤
 そうですね。今後の作品で三度目の正直を狙いたいです。小谷野さんは「星の子」を「冗長」と批判されましたが、温さんの「真ん中の子どもたち」はいかがですか。こちらも「長い」と、何人かの選考委員から指摘されています。
小谷野
 最後まで読むのが苦痛だった。表現が稚拙だし、島田雅彦が言っている通りで、エッセイのノベライズでしかない。
小澤
 そうですね。
『もしドラ』みたいな小説

小谷野 敦氏
小谷野
 まず前提として、十九歳の主人公が通っている中国語の専門学校・漢語学院というのが、いまひとつ、どんな学校なのかよくわからない。学校の庭で体育の授業をやっていたりする、そういう描写があるけれど、そんな専門学校ってあるんですか。そもそも、この学校に、なんのために入学して、何になるつもりかとか、説明がない。わからないところが多すぎるんです。結局のところ、自分は、おかあさんが台湾人で、おとうさんが日本人で、「みんなと違う特別な」人間だと言いたいわけですよね。そのことを小説で書いているんだけれど、十九歳になって突如として、いろんなことに目覚めたみたいに受けとめられる。一体全体、あなたはそれまで何を考え、生きてきたんですかと聞きたくなりますね。たとえば高校時代まで、何をしていたのか。まったくわからない。ちょっとは書いてあるんですよ。高校生の時から付き合っている「彗」という男の子がいる。その彼が、彼女の母親が日本人ではなく台湾出身であることを知り、地図帳で台湾がどこにあるかを探したとか。台湾の位置もわからない高校生ってレベルが低すぎる。古本屋で、エルジェの『タンタンの冒険』を見つけて喜ぶところも、なんだか幼稚な印象しかない。別に絵本だっていいけれど、他にどんな本を読んできたのかとか、一切書かれていない。それで、いきなり留学先で、龍舜哉という男と寝ちゃう話になる。さらに酷いのは、台湾が政治的にも言語的にも複雑だっていうことを、これだけ長い小説を通して言おうとしているんだろうけれど、そんなことは常識でしょ。もし知らない人がいたとしても、小説は啓蒙のためにあるわけではない。本人は、政治的なことを真面目に考えているつもりなんでしょう。でも、結局は自分の周囲のことしか見ていないし、わかっていない。政治的に無知な感じがしましたね。あと両親が中国人だという青年の言葉にはっとしたりするけれど、在日朝鮮韓国人のことをどう思っているのか。まあ、よくも候補にしたなという感じです。『すばる』っぽい小説ではあって、なにしろレベルが低い。「天皇陛下のお誕生日」なんて言葉が出てくる小説は初めて見た。右翼かと思ってしまう。
小澤
 『すばる』は、他の文芸誌とは別の路線を打ち出していて、いいんじゃないですか。温さんのことは応援したいので、あまり悪口を言いたくはないんですが、今作に関しては、小説としてはやはり厳しい。『台湾生まれ 日本語育ち』という日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したエッセイのほうが遙かに面白かった。大枠ではその本の内容の小説化になっていて、小説として面白くない。読んでいて、『もしドラ』とか『ザ・コーチ』みたいだとずっと思っていたんですよね。何かを小説にしてわかりやすく伝える。メッセージはよくても、小説がそれを伝える手段に還元されてしまう。
小谷野
 基本的な小説技術が、まだないですね。
小澤
 私自身、北京で半年間客員教授をしていた時に、留学生用の中国語の授業に出ていたので、ここで書かれているようなエピソードは自分もした体験がたくさんあって、すごく面白く読んだんです。でも、ここで焦点となっているような母語と国語の問題や言語のグラデーションというのは、情報としてなら多くの人が聞いたことがあると思うんですね。とくに自分は英語を教えているので、英語に移し替えるとさらによく聞く話だなと思ってしまった。英語だとネイティブにも人種の訛りがあるし、第二外国語として習得した人の英語や、二世、三世の英語、その他様々あって、複数形の「イングリッシーズ」という概念も定着してきている。だから「情報として」以外の発見だとか小説としての読む楽しみがあればよかったんだけれど、わたしにはそれがなかった。もちろん、英語とは違う中国語ならではの面白さとかもあるんです。漢語学院で最初に習う例文に「あなたは中国人ですか、それとも日本人ですか?」「わたしは日本人です。中国人ではありません」とかいうのがあるんですが、まず自分の帰属する国家を叩きこまれるんですよね。私もまさにこうした例文を何度も何度も唱和させられましたし、そこはいかにも中国的だなと思いました。でもこの作品で一番よかったのは、小川洋子さんと山田詠美さんも挙げていた、「洩れる声がことばにならずに音でしかない段階に留まっていることを堪能する」という龍舜哉という青年とセックスする時の一節です。そういう「ことばにならないもの」をもっと掬い取って膨らませてほしかった。
小谷野
 そこを膨らませる技術は、まだありませんね。所詮は作り物だから。
小澤
 村上龍が選評で言っている、小説で「言いたいこと/伝えたいこと」の区分で言うと、わたしにはこの作品は「言いたいこと」を強く感じました。小論文の試験問題にして「筆者の言いたいことは何か?」という問いが作りやすい。そこが小説をつまらなくしているように思います。中国語を素材にした作品だと、以前芥川賞候補になった横山悠太の『吾輩ハ猫ニナル』とか、アイデンティティの問題であれば、崔実『ジニのパズル』がありましたが、どちらも小説として面白かった。今年の群像新人賞では李琴峰『独舞』が優秀作になりましたが、二三歳で来日して初めて日本語で書いた小説だということで、今後が楽しみです。宮本輝氏がトンデモ発言をしたせいで、温さんも奮起されたようですし、次は「楊逸枠」とか言われないような作品でわれわれの期待に応えてほしいですね。
偏差値52の「影裏」

小澤
 「四時過ぎの船」はいかがでしたか。前回の候補作「縫わんばならん」の選評での駄目出しをきちんと修正してきましたね。作品に出てくる若者みたいに、年上の人間の意見に素直に耳を傾けている(笑)。たとえば「方言が多い」という批判がありましたが、今回はぐっと方言を少なくしている。それでも髙樹さんには「方言の粘着感と暑苦しさに少々うんざりした」と言われていますが、要所でしか出さないようにしている。話も随分わかりやすくなっているし、構造も練られています。四時過ぎに着く連絡船を軸にしているところや、意識の流れ的な語りが、読んだときヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を思わせました。それから、そのウルフと『ダロウェイ夫人』をモチーフにしたマイケル・カニンガムの小説と映画『めぐりあう時間たち』も。物語の最後に、古い家と新しい家とふたつ出てきて、二重になった時間が、現在でひとつにめぐりあう。家が二軒あることの二重性をうまく活かしています。ロマンチックだし、構成もぴたりと決まっている。
小谷野
 私は、全然面白くなかった。小澤さんの話を聞いても、まったくピンと来ない。
小澤
 ……古川さんの話は、盛り上がらないですね。
小谷野
 それはそうです。今回は、作品本位で言えば、受賞作なしです。
小澤
 では今回の受賞作「影裏」の、小谷野さんの評価は、「偏差値」を付けるといくつなんですか。
小谷野
 52です。『芥川賞の偏差値』の版元の二見書房に頼まれて、既に偏差値を付けて講評を書きました。あの本を今買えば、それが付録として付いてくる書店があるはずです。「影裏」は、このタイトルの読みが気に入らない。「エイリ」ではなく「カゲウラ」と言いたい(笑)。問題作ではあると思います。まず文學界新人賞の選評が異様だった。松浦理英子は、同性愛ものとなると、途端に熱が入る(笑)。
小澤
 「マイノリティ文学の秀作」とおっしゃっていますね。
小谷野
 沼田は、松浦さんと吉田修一を狙って応募した感じがある。二人が褒めることをよくわかっていて応募した。あざとい奴です。円城塔の選評も、気持ち悪かった。「プライバシーの守り方が巧みで、日本語でもようやくこういう書き方ができるようになったのだという感動があった」と書いている。これはどういう意味なんですか。
小澤
 セクシュアリティを明示しないということでしょうか。
小谷野
 渓流釣りのシーンが、やたらと褒められていますよね。あのシーンが美しいと言うんですが、私は描写だけで評価することはない。あそこを読んでいて、ノーマン・マクリーンの『マクリーンの川』を思い出したんですよ。非常にヘミングウェイっぽい。本人もヘミングウェイが好きらしいですね。あとは選評で、核心を書かない、「ほのめかし小説である」という言い方をされていましたよね。純文学の世界では、評価されやすい書き方だと思いますね。
小澤
 その意味で、説明的な温さんの小説とは対照的ですよね。
小谷野
 温又柔に関しては、そこはちょっと意見が違うんだ。さっき言ったように、説明していないところが多過ぎるから。
小澤
 でもそれは、設定とかディテールの部分じゃないですか? 「影裏」は、核心をあえて書かないようにしている。選考会でも、その核心が本当にあるのかどうかで議論になったらしいですね。ただのほのめかしに過ぎないのか、そうではなく、核心があるんだけれど書いていないのか。「影裏」を読むと、ディテールはすごくしっかりしている。その一方で、意図的にぼやかしているようでいて、なぜぼやかしているのかがわからない箇所もある。たとえばゴロワーズ・レジュールと明記されている一方で、「十九世紀のあるフィンランドの作曲家」とあったりする。どこまで意図して操作しているのか、そのさじ加減がよくわからない。でも、たしかにセクシュアリティの書き方は見事です。はじめのうち、語り手が男だと思って普通に読んでいたら、急に元恋人の和哉という名前が出てきて、えっもしやこの「わたし」って女性だったの!?と焦ってページを戻るけれども、やはり男だろうとなって、じゃあ主人公は同性愛者なのかと思う。でもまだその先があって、和哉がトランスジェンダーで、性転換手術を受けようとしていたという情報がでてきて、語り手のこころの性別やらセクシュアリティやらがどんどん容易に同定できなくなってくるんですね。まさに釣りみたいに、カクもうとすると獲物がするっと逃げていく感じです。緻密な読みの作業が必須で、そこに小説との共犯関係が生まれるような感じもあって、久々にいい作品を読んだ気がしました。とはいえ、受賞第一作「廃屋の眺め」を読むと、こちらはトールテール(ほら話)っぽくて、川上弘美さんみたいなほら話が上手な人なんだとも思いますね。
小谷野
 小説の技術は高い。それがあるから偏差値52を付けたわけです。ただ、立て板に水で語っている感じもあるんですよ。落語で言えば、志ん生のような「フラ」がない。ちょっと言葉に詰まってしまう。小説でも、一か所ぐらいは破綻しているところがあった方がいい。沼田にはそれがない。さっき言った『芥川賞の偏差値』の付録で書いたのは、これで文学は終わるんだなということです。小澤さんは、まだ小説の未来に希望があると考えているかもしれませんが、ここまで来たら、一部の趣味人が楽しむ骨董みたいなものです。「影裏」がいいと褒めるのは、名工の作った茶器を愛でるような感じですね。文学も、ついに骨董趣味と並んでしまった。今後は、そういう方向で生き延びていくしかないでしょうね。好きな人だけが楽しむものとして、読まれていくしかないと思います。
小澤
 未来というか、まだまだ面白くなるとは思っています。今回の候補作で、「影裏」はセクシュアリティの同定のできなさ、「真ん中の子ども」のナショナリティや言語の同定のできなさという、一見まったく違うようにみえて問題となるポイントが非常によく似た主題を扱っている。でもその描き方が好対照なところがとても面白かった。PCや新奇なものを取り込むだけの狙いでLGBTを扱う作品なんかが増えたら困りますが、言語も性ももっといろんなかたちが描けるし、もっとあって当然なんです。ただ今回の宮本氏の件に限らず、芥川賞の選考委員だけは、今からでも任期を設けてほしいと心から思います。 (おわり)
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2017年9月8日 新聞掲載(第3206号)
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影裏/文藝春秋
影裏
著 者:沼田 真佑
出版社:文藝春秋
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