玄洋社とは何者か / 浦辺 登(弦書房 )特筆すべきは“通念の打破”  玄洋社に反近代=反政府の事実をつかみ出す|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年9月11日

特筆すべきは“通念の打破” 
玄洋社に反近代=反政府の事実をつかみ出す

玄洋社とは何者か
著 者:浦辺 登
出版社:弦書房
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玄洋社とは何者か(浦辺 登)弦書房
玄洋社とは何者か
浦辺 登
弦書房
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今日、「玄洋社」という名称を聞いて、何か具体的なイメージが湧く人はあまりいない。稀にイメージがある人がいても、それは戦前の「右翼結社」であり、帝国主義的拡張を政府とともに進めた「国権主義」の団体だったというものであろう。

この無知と誤解という二つの困難に立ち向かうために書かれたのが、本書『玄洋社とは何者か』である。口語体に近い平易な文体で全54話に分かれた構成は、玄洋社の始まりから、戦後の東京オリンピックとの関係にまで及んでいる。

その上で、本書の特筆すべき点は、やはり通念の打破であろう。戦前の右翼結社=玄洋社の首領は、頭山満という人物である。この頭山が、「東洋のルソー」として名高い中江兆民と非常に親しく、兆民晩年の枕頭にいたことは、現在、ほとんど知られていない。また玄洋社それ自体が、そもそもの出自を、征韓論に破れ下野した西郷隆盛を含めた「自由民権運動」にあることを付け加えれば、さらに通念は揺らぐであろう。

とりわけ著者・浦辺登氏の一次資料に当たろうとした努力が実を結んでいるのが、「Ⅱ 玄洋社は自由民権団体であった」に収められた各話である。たとえば、西南戦争に呼応した「福岡の変」はすでに忘れられた反乱である。著者は、この変に関する資料を入手し、一〇三名の生没年などの存在を明らかにした。なぜ、この地味な作業が重要なのかと言えば、この反乱で玄洋社の中心人物になるはずだった越智彦四郎らが死罪となった結果、それに先立つ「萩の乱」に関係し投獄されていた頭山満らが生き延びることになったからだ。つまり、玄洋社の政治的性格を最初に決定づけることに、「福岡の変」が重要な意味を持っていたのである。

さらに浦辺氏は、この「福岡の変」で収監された者たちの中から、後にクリスチャンになり教会を設立し、その前身である「向陽義塾」では宣教師が西洋文明を教授していた事実を指摘する。神戸女学院院長となったアッキンソンが、教えた者のなかには、「道会」を主宰した村松介石がいて、その「道会」に大川周明が出入りしていた――つまり、玄洋社には、キリスト教と自由民権運動という、反明治藩閥政府の二つの血が流れていたのだ。

「右翼」と「国権主義」というレッテルを貼っている限り、玄洋社は所詮、政府に癒着した暴力団体の域をでないだろう。しかし一次資料を遡ることで、著者はついに、玄洋社に反近代=反政府の事実をつかみ出したのだ。

著者の玄洋社への思いは、明治二〇年代に行われた大隈重信暗殺未遂事件の首謀者・来島恒喜への肯定的評価にも表れている。来島は爆弾テロを行ったことから、戦前の玄洋社イメージに決定的な影響をあたえた。しかし当時の日本が置かれていた外交条件と、国内の政府による徹底した言論弾圧を思うとき、来島の義挙には、なお一定の評価をあたえるべきだと主張する。ここで著者が多用する「テロリズム」という言葉の定義が曖昧であるとしても、少なくも玄洋社をありきたりの通念から救い出そうとする思いは、十分に評価できるものである。

最後に、あえて注文をつけておけば、全五四話という分類からも分かるように、個々の話題は豊富かつ極めて魅力的であるものの、その珠玉のような資料や論点が、ともすれば原石のままに留まり、さらに掘りさげることを求めているように思われる。一次資料がもつ可能性を、七色の輝きにまで錬磨することを、評者はつよく求めたいのである。

この記事の中でご紹介した本
玄洋社とは何者か/弦書房
玄洋社とは何者か
著 者:浦辺 登
出版社:弦書房
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年9月8日 新聞掲載(第3206号)
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