アーレント 最後の言葉 / 小森 謙一郎(講談社)絶筆から読み解くアーレントの生涯と思想  過去から未来へと託される思考の可能性|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年9月18日

絶筆から読み解くアーレントの生涯と思想 
過去から未来へと託される思考の可能性

アーレント 最後の言葉
著 者:小森 謙一郎
出版社:講談社
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哲学とミステリー小説には一脈通じるところがある。不可解な事件を巧みに解決することも、哲学的思考を緻密に深めることや複雑な哲学思想を読み解くことも、謎の究明という点では一致している。出来の悪い哲学論文よりも、優れたB級推理小説のほうを好んだウィトゲンシュタインのような哲学者もいたほどである。探偵にとっても哲学者にとっても、取り組む謎が深ければ深いほど、それを読み解く甲斐があろうというものだ。

一九七五年一二月四日、ハンナ・アーレントはニューヨークの自宅で心臓発作により亡くなったが、彼女のタイプライターには、未完の遺著『精神の生活』の第三部の冒頭に置かれるはずであったであろう一枚の紙片が残されていた。「判断」という題名のもとに記されていたのは、次の二つの銘であった。「勝てる大義は神々の、敗れた大義はカトーの心に適った」。「己の道から魔法を遠ざけて、/呪文の言葉をすっかり忘れることができるなら、/自然よ、ただ単なる男としてお前の前に立つのなら、/一人の人間として存在する甲斐もあるだろうに」。第一の銘はローマ期の詩人ルカヌスの『内乱』の一節、第二の銘はゲーテの『ファウスト』の一節である。西洋の古典に精通していたアーレントは、「判断」という作品のために、なぜことさらこの二つの銘を選び出したのか。そしてこの二つの銘はそもそも何を意味しているのか。

本書はその題名のとおり、この謎めいた絶筆を手掛かりにアーレントの生涯と思想の究明に取り組んだ一冊である。第一の銘は、アーレントが少なくともその生涯で実に八回にもわたって繰り返し引用したものであるが、最初の引用が、外交官ゲンツの政治的立場を主題として二五歳のアーレントが初めて公にした一九三二年の記事にまで遡るとなれば、その重みも察せられよう。他方、この絶筆を残した最後の晩に招かれた人物が、アメリカ亡命時に再開した学術活動を支援し、アーレントのユダヤ歴史観にも影響を与えた歴史家バロンであったという運命的な巡り合わせをも考えあわせるなら、この二つの銘の含意はいよいよもって見過ごせないものに見えてくる。

本書の魅力は、こうした史実を丹念に探索するのみならず、そこにさらに緻密な考察を重ねてゆくことによって、彼女の交友関係と思想の変遷を辿りつつ、この二つの銘に秘められたアーレントの思考の核心へと迫っていく点にある。例えば第Ⅲ章では、ローゼンとの書簡や第一の銘をめぐるヤスパースとの書簡を含む諸資料を丁寧に突き合わせることにより、通説では悲劇的な終わりを迎えたとされるクルト・ブルーメンフェルトとの交友をめぐって新たな見解が提示される。また第Ⅳ章では、第一の銘のその時々の引用の揺れに着目し、バンヴェニストの見解とも対照させることで、それらの揺れを貫く一つの読み筋の可能性が示される。そして『精神の生活』第一部・第二部を踏まえながら、第二の銘に記された「魔法」をめぐり、ヤスパースとハイデガーの狭間に立ったアーレントの思想の真相へ踏み込む第V章と終章は、本書圧巻の考察と言えよう。

「ノンフィクション哲学ミステリー」といった趣のある本書ではあるが、哲学とミステリーには一つ大きな違いがある。ミステリーなら最後は名探偵の推理によって見事謎は解き明かされるが、哲学の場合、解き明かそうとした謎を突き止めようとするや否や、さらに新たな謎を呼んでしまうという点である。そうしたなお解釈の余地の残る謎を、本書は随所で「可能性」と呼んでいる。しかしだからといって、哲学者は所詮すべてを煙に巻くものだ、などと短絡してはならない。哲学の謎はいつでも可能性として受け継がれる。アーレントが遺した一枚の紙片は、彼女の生涯を賭した苦闘から贈り届けられた遺言として、私たちの未来の思考の「可能性」を示しているのである。
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年9月22日 新聞掲載(第3207号)
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