革命家エルネスト・チェ・ゲバラ歿後半世紀〈青年医師を革命家に変えた「読書と旅」〉|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年10月4日

革命家エルネスト・チェ・ゲバラ歿後半世紀〈青年医師を革命家に変えた「読書と旅」〉

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革命に生き、革命の途上で亡くなったエルネスト・チェ・ゲバラは、未だ多くの人々の心を捉えて離さない。
関連書の刊行が相次ぎ、また10月6日からは、TOHOシネマズ新宿他で『エルネスト』(脚本・監督=阪本順治、配給=キノフィルムズ/木下グループ)が公開される。
8月27日まで、東京・恵比寿ガーデンプレイスで開催された「写真家チェ・ゲバラが見た世界」も、連日、大勢の人で賑わった。
没後半世紀を迎える今、チェ・ゲバラ特集をお送りする。
執筆は、ジャーナリストの伊高浩昭氏にお願いした。
写真展開催に合わせて来日した、チェ・ゲバラの御子息、カミーロ・ゲバラ・マルチにも話をうかがった。(編集部)

考える人・ゲバラ

革命家エルネスト・チェ・ゲバラ(1928~67)が1967年10月9日、南米ボリビア東部のアンデス山脈前衛山系山岳地帯でのゲリラ戦に敗れ、同国軍に処刑されてから半世紀。カストロ兄弟と共に革命に成功し英雄となったキューバ、死地ボリビア、母国アルゼンチンなど縁の国々で記念行事が催されている。

ゲバラは国立ブエノスアイレス大学医学部卒業の医師だったが、医療箱を弾薬箱に持ち替え革命家になった。喘息に終生苛まれながら医師、放浪者、冒険者、写真家、文筆家、夫・父親、革命戦士、キューバ政府外交特使・農地改革庁工業局長・中央銀行総裁・初代工業相、自発的労働実践者、革命理論家、社会主義経済理論家、軽飛行機操縦士、コンゴ遠征部隊司令官などとして多面的・多角的に生き、ゲリラ部隊を率いる革命家としてボリビアで39年の生涯を閉じた。

そんな多彩な人生の基盤を築いたのは「読書と旅」だった。2歳の時から小児喘息に苦しめられていた少年エルネストは通学もままならず、良家の出ながら神や教会を嫌い自由奔放に生きたモダンガールの母親セリアを家庭教師として学ぶことが多かった。セリアは学校教科書を基に教える傍ら、フランス語を息子にたたき込み、読書をも勧めた。女好きのダンディーなタンゲーロ(タンゴ好きの遊民)だった建築業者の父親エルネストもセリア同様に進歩主義者だった。

自宅で過ごす時間が長かったエルネストは、少年向けの冒険小説だけでなく、内外文学、思想、歴史、文化、宗教、地理など広い分野の両親の蔵書を読破した。親の「進歩的放任主義」が息子を早熟な読書人に鍛造したのだ。医学生となったエルネストは医学、薬学、解剖学、生命倫理学だけでなく、読書のお蔭で人文社会科学や文学にも造詣の深い「考える人」になってゆく。
日玖(日本・キューバ)合作映画「エルネスト」の3冊の関連書

ボリビアの因縁


青年エルネストは、喘息という内なる敵を持つが故に、それを懲らしめようとラグビーなど激しい運動を好み、鍛錬の延長線上で大型旅行を試みた。旅という絶え間ない行動で視野を拡げ、読書で得た様々な知識の抽象性に具体性を加えようと試みた。言わば、読書により蓄積した知識で頭でっかちになっていた自分を旅で解き放とうとしたのだ。エルネストは手始めに、祖国アルゼンチン中北部を電動機付自転車で周遊し、自国の人種的、地理的多様性を知った。次いで、国営石油会社「国庫油床」のタンカーで船上看護師を務め、アルゼンチン南部の油田地帯からカリブ海までの南米東岸航路を何度も往復した。この航海で南米大陸内部への興味を増幅させられ、第1回南米旅行に出ることになる。

帰国すると、自宅にボリビア出身の先住民女性サビーナが住み込みで家事をこなしていた。エルネストはサビーナと肉体関係をもち、彼女からボリビアの話をじっくりと聴いていた。大学を卒業し医師免許を取得するや第2回南米旅行に出発したが、最初の目的地はボリビアだった。サビーナに感化されていたのは想像に難くない。この旅は人生の分岐点となる「帰らざる旅」だった。

前年1952年4月、同国では鉱山労働者革命が起きていた。その1年数ヶ月後、エルネストは革命の跡を時間をかけて踏査した。このボリビアでの経験が13年後のボリビア遠征の底流にあったのは疑いない。

エルネストがボリビアに滞在していた53年7月26日、カリブ海のキューバではカストロ兄弟らが革命の狼煙を上げようと陸軍モンカーダ兵営を襲撃し、生き延びた者は禁錮刑に処せられた。エルネストは旅の途中で南米から中米に渡り、54年6月、グアテマラの左翼変革政権がアイゼンハワー米政権の隠謀で倒される惨劇の場にいた。脱出し入国したメキシコは、37年前にメキシコ革命(1910~17)を経験していた。

エルネストは1955年7月7日、メキシコ市でフィデル・カストロ(1926~2016)と歴史的邂逅を果たした。フィデルは兵営襲撃事件の主犯として服役したが恩赦で同年5月釈放され、革命戦争の準備をするためメキシコに亡命したのだった。エルネストはフィデルと夜通し話し合い、革命のゲリラ戦に従軍医師として参加することになる。読書と旅で培った知性と見聞をもって、並外れた知性と政治的経験の持ち主フィデルと渡り合うことができたのだ。

エルネストはブエノスアイレスを中心とするラ・プラタ地方で使われる「ねえ君」という意味の間投詞「チェ」を乱発したことから、キューバ人に面白がられた。「チェ」は愛称になり、「エルネスト・チェ・ゲバラ」となって56年12月、キューバに上陸、革命戦争に身を投じることになる。 
さすらいの文人

キューバ革命の覇者となったゲバラは経済政策を任された。このため『資本論』をはじめマルクスの著作に取り組み、ケインズ経済学も学んだ。理論武装し、キューバ共産党のソ連派経済学者と論争するまでに至るが、やがてソ連と対立。やむなくキューバを離れ、1966年ボリビアに赴き、翌年処刑される。残された背嚢には、パブロ・ネルーダ(1904~73、チリ人ノーベル文学賞詩人)の代表作『大いなる歌』が入っていた。この事実をネルーダは誇りとし、『ネルーダ回顧録―わが生涯の告白』に特筆している。

革命家ゲバラは、ボリビア軍に捕らえられるまで日記を付けていた。これは『ボリビア日記』(68年)として世界中でベストセラーになった。日記のほか書簡集、紀行文、医学論文、革命論、戦記、経済論など厖大な著作を残した。読書と旅は、青年エルネストに革命家となる機会を与えるとともに、エルネストを浪漫派から遠くない「さすらいの文人」に仕立てた。それは革命家に必要な資質とはやや異なるものだった。

ゲバラは、戦略に長けた革命家フィデルの下で戦ったキューバ革命戦争では戦功を挙げることができたが、自分が指揮を執ったボリビアでのゲリラ戦では失敗、命を失った。 
相次ぐ関連出版

歿後50年に因んで関係諸国、欧米、日本などでゲバラ関係の書籍が相次いで刊行されている。その中で最も重要な一冊は、ゲバラの末弟マルティン・ゲバラ(74)が2016年に西仏両語で著した『我が兄チェ・ゲバラ』(ミ・エルマーノ、エル・チェ)である。この本によって、いろいろな未確認事項が確認され、重要な新事実が明らかになった。

日本で特に注目されるのは、木下グループ(木下直哉社長)の野心的な企画だ。日玖(日本・キューバ)合作映画「エルネスト」(阪本順治監督、オダギリジョー主演、キノフィルムズ)を16年製作、17年10月6日の封切りに先立ち、写真展「写真家チェ・ゲバラが見た世界」を東京・恵比寿で8月催し、映画関連図書3点を9月刊行した。

『チェ・ゲバラと共に戦ったある日系二世の生涯~革命に生きた侍~』(マリー前村、エクトルS前村共著)、『「エルネスト」オフィシャルブック〈もう一人のゲバラ〉』、『映画ノベライズ エルネスト〈もう一人のゲバラ〉』である。

マリー前村(故人)と息子エクトルの著書は、ゲバラの部下としてボリビアでのゲリラ戦に加わり1967年8月31日処刑された日系二世フレディ前村(1941~67、マリー前村の実弟、父親が鹿児島頴娃町出身の移住者・前村純吉)の生涯を描いた『革命の侍』(松枝愛訳、長崎出版、2009年)の復刻版である。この本を読み閃きを得た阪本監督が脚本を書き、映画「エルネスト」の撮影に漕ぎ着けたという経緯がある。

異色な刊行物としては、さる9月1日付の本紙で「新鮮なゲバラ伝」として取り上げられた『卓上の生涯 チェ・ゲバラ』(太郎次郎社エディタス)がある。この作品は視覚とパズル性を重視したことで、「活字本」や伝記の制作上の可能性を拡げたと言える。出版技術が、社会に拡がる電子メディア網(SNS)とは別次元でまだまだ発展しうることを示した。

父チェ・ゲバラとキューバ革命 忘れ形見カミーロ・ゲバラに聞く(聞き手=伊高浩昭)

写真展「写真家チェ・ゲバラが見た世界」(8月9~27日、恵比寿ガーデンプレイス)に合わせて来日したチェ・ゲバラの長男カミーロ・ゲバラ=マルチ(55)に8月3日、東京・新宿でインタビーした。カミーロは、「キューバにとって革命は、対米関係を対等にするための唯一の方策だった」と強調する一方、電子技術の進歩を絡めて「読書論」を展開した。目許が亡き父親にそっくりな忘れ形見である。

インタビューで語るカミーロ・ゲバラ(2017年8月3日新宿で、松枝愛撮影)

架空の記憶

伊高
 経歴から語ってください。
カミーロ・ゲバラ(以下C・G) 
 1962年5月20日に生まれた。モスクワ大学法学部に留学し、卒業した。だからロシア語を話す。弁護士になる道も開けたが、弁護士にはならなかった。政府関係のいろいろな仕事をして、いまはチェ・ゲバラ研究所でコオルディナドール(業務調整担当者)をしている。研究所は学究的部門と刊行部門に分かれている。家族は妻と娘3人、および養子の男児2人です。
〔母アレイダ(81)は同研究所所長。姉アレイダ(11月で57歳)は小児科医、妹セリア(54)は海洋哺乳類専門の獣医。弟エルネスト(52)は弁護士だが、兼業として大型オートバイでキューバ国内を旅行する観光業を営んでいる。〕
伊高
 あなたが4歳だった1966年にチェ・ゲバラはボリビアに去り、帰らぬ人となった。お父さんの記憶はありますか。
C・G
 父はボリビア行きに先立ち65年4月コンゴに行った。私は当時3歳で、父の記憶は全くない。父はボリビア遠征に備えて66年7月帰国したが、頭髪を剃るなどして変装していたし、会う機会も少なかった。そして10月末に出国し、ボリビアに去った。私は4歳になっていたが、やはり記憶は全くない。記憶のないところに夢や空想が入り込んだ。後年いろいろな写真を見、たくさんの話を聴いたが、写真の印象や話と幼児期の架空の思い出が混同し、父親を見たのか事実か幻想か、判然としなくなった。いま言えるのは、革命体制初期の当時、革命指導部はみな若く無経験だったため、革命社会を少しでもよくしようと必死に学び働き頑張っていたということ。父もそんな一人だったと思う。
伊高
 あなたのお姉さんアレイダから「父の記憶が定かでないため、父と母が深く愛し合った結果、私が生まれたと信じている」と聞いたことがあります。
C・G
 姉のその話には一理ありますね。
伊高
 あなたの名前は、チェ・ゲバラの戦友だった故カミーロ・シエンフエゴスに由来しますね。
C・G
 そうです。カミーロ・シエンフエゴスは1959年10月、カマグエイでの(ウベール・マトス司令官らの)謀反を鎮めに行き、その任務を果たした後、軽飛行機に乗ったまま行方不明となり、死亡認定された。父は私が生まれると、エルネストと命名しようとした。父の名も祖父から来ているし、ゲバラ家の伝統だった。すると母が、エルネストは子どもには重すぎ逆効果になりかねないと反対した。その結果、カミーロとなった。いずれにせよ、エルネストもカミーロもゲリラの名前ですが(笑)。
伊高
 チェの長男として生きるのは重たくないですか。
C・G
 差し引きすればプラスの方が大きい。もちろん薔薇色というわけではないが。重要なのは、チェがキューバで敬意を払われ愛され親しまれていること。そして私は百%キューバ人だ。もちろん父の母国アルゼンチンへの愛着はあるけれど。言い換えれば、私は〈大なる祖国〉(ラ米統合の理想型)を求めるラ米人でもあるが、何よりもまずキューバ人なのです。
今も有効な世界観

伊高
 歿後半世紀経つのにチェ・ゲバラが世界的に評価されているのはなぜでしょうか。
C・G
 キューバ革命での活躍が内外に大きく伝えられ、その時から有名になっていた。その後も正統的な大義のために戦い、その結果としての死に直面した。だから評価されるのだろう。革命家チェは倫理的で繊細で深く人間的でした。
伊高
 没後50周年の記念行事がキューバをはじめ関係各国で催されつつありますが。
C・G
 キューバでの行事は、チェが依然キューバで必要とされているから実施される。彼の思想や世界観がいまもキューバで有効だからです。
伊高
 チェが理想とした「新しい革命的人間」はいまもいますか。
C・G
 それは常にいる。例えば、アフリカなどの僻地に行くキューバ人医師団がそうだ。恵まれない子どもたちを支援する人々もしかりだ。そんな国際主義者たちが好例です。
伊高
 あなたは「新しい人間」ですか。
C・G
 そうとは言えない。人間として条件が欠けている。革命建設に献身したり国際協力の活動家となって活動したりするのが条件だ。私はまだ条件が整っていません。
伊高
 チェ縁の地を訪れましたか。
C・G
 幾つかの場所には行った。情報や証言の収集にも当たってきました。
読書と電子技術

伊高
 チェは厖大な著作を残しましたね。
C・G
 チェの著作は全てとは言わないが、主要なものは全部読んだ。それぞれに書かれた時期の重要性があり、教育的価値もある。私には書簡集がとくに興味深い。内容もさることながら、手紙という形式が面白い。チェの考えや思いが直接伝わってくる。発言や証言は、その後の多くの物語や伝記の基になった。人は誰でも、本人の生の声・発言に強い関心を抱く。私は一般的な読書対象としては小説・物語、詩、歴史などの本が好きです。
伊高
 チェ・ゲバラ研究所は豪州のオーシャンプレス社と組んでチェの著作を刊行してきましたね。
C・G
 その通り。既に25点を刊行した。今後も出す。構想は明かせないが、いいものが出ると思う。ただし、日記の類はもう出てこないでしょう。
伊高
 チェはコンゴ内戦からの撤退後、タンザニアで『コンゴ戦記』をまとめ、その後、チェコのプラハに滞在した。その間、日記はつけていなかったのか。どこにいても手紙とともに日記を書いていたチェだから、プラハでも日記をつけていたのではないかと思い、それが刊行されるのを期待するわけです。
C・G
 チェは(チェコ政府機関の庇護の下で)極秘裡にプラハにいて、外出機会も少なかったと聞いている。プラハの街や人々との接触が少なく、滞在期間も長くはなかった。だから日記はつけなかったのではないでしょうか。
〔ゲバラはプラハ滞在中、東京五輪大会の記録映画(市川崑監督)を観ている。ゲバラは1955年、アルゼンチンのラティーナ通信社の嘱託としてメキシコ市で開かれた汎米競技大会を写真取材したことがあり、国際的なスポーツの祭典に関心があった。〕
伊高
 読書人口が急速に減りつつありますが、刊行する立場からどう受け止めますか。
C・G
 本を読まなくなったのは世界的傾向だ。テレビに加え、携帯電話を含む個人主体の便利な電子メディアが拡がってしまったからだ。課題は、技術の発展を否定せずに、いかに事態に対応するかということ。本は内容が面白ければ読まれるだろうが、そういう次元の問題ではない。人間は技術習得が遅れているという本質的問題を指摘したい。世界には無限の書物があり、そこに盛り込まれている知識も無限だ。しかし、その知識を個人がすべて獲得するのは不可能だ。そこで問題は、いかに早く最大限に知識を得ることができるかということになる。虚栄のためでなく、活用するための有用な電子機器を持つことが重要だ。技術発展で多くの知識を獲得する可能性が開けると信じたいのです。
対米正常化を探ったゲバラ

伊高
 革命の最高指導者だったフィデル・カストロが昨年11月死去しました。
C・G
 フィデルはキューバに必要な人物だった。キューバの独立戦争を米国が乗っ取った〈米西戦争〉の後、キューバは事実上の米植民地にされてしまった。その後、半世紀を経てフィデルは反逆し革命を起こした。フィデルは輝かしく知的で大胆な指導者で、銃弾の飛び交う実戦を経験し、強い倫理感を備えていた。私たちチェの遺族とは家族的関係でした。
伊高
 ラウール・カストロ現国家評議会議長(86)は2014年12月、国交正常化で当時のバラク・オバーマ米大統領と合意し、15年7月、54年半ぶりに玖米国交が再開した。これについて。
C・G
 キューバは史上初めて真の対米外交関係を結んだ。革命前は米国に従属していた。独立した主権国家としての関係を初めて築くことができた。国際社会と広く外交関係を維持するのが重要だが、米国との場合も課題や懸案について対話し一定の合意を形成し、前進への道を切り開いてゆくべきだ。だが、いろいろな障害がある。グアンタナモ米軍基地、米国による経済封鎖、キューバ体制を変えたい米側の意図などです。
伊高
 チェが生きていたら89歳になる。対米国交再開をどう受け止めたと思いますか。
C・G
 1959年元日の革命から60年代前半の革命体制初期においても、若い革命指導部は対等の対米関係を望んでいた。敬意を払い合える関係だ。それがいま成ったとすれば、チェは同意していただろう。満足ではないにせよ。米国と断交する前、チェは工業局長や中央銀行総裁として米政府と一連の交渉をしていた。断交後も工業相として対米関係正常化の糸口を探っていた。チェは主権・独立国家を代表して他国と対等に話し合う基盤を踏まえていた。キューバ革命は対米関係対等化のための唯一の方策だったのです。
伊高
 キューバ人口の80%近くは革命後世代だが、革命思想は受け継がれてゆくと思いますか。
C・G
 革命体制維持、革命政策継続は国策だ。思想は教育され、世代を超えて引き継がれてゆく。我々には国策を維持し実践し続ける意志がある。(ロシア革命は74年で消えたが)我々の国策はキューバ独自のものであり、今後も続くと思う。だが予言者でないから将来何が起きるかはわからない。米国のすぐ近くにあるキューバがキューバであり続けるためには、独自性を維持してゆくしかない。この点で私は楽観的です。
伊高
 来年2月24日、ミゲル・ディアスカネル第1副議長(56)がラウール議長に代わって新議長に就任する。政権の作風が変化する可能性はありますか。
C・G
 誰が議長になろうと、革命以来の国策は続く。その核心は、米国の対抗勢力であり続けることだ。経済政策の変化でブルジョア階級が生まれ、それが支配階層になれば、国策は大きく変わるだろうが、それはありそうもない。革命前にいたキューバのブルジョアは米国に従属していたため独自の政策を持たなかったし、革命後、彼らは米国に去ってしまった。革命は独自の国策を持ち、それを維持し発展させてきた。だから新政権が異なる方向性を打ち出すのは難しい。
チェ・ゲバラ写真展開場式で挨拶するカミーロ・ゲバラ(2017年8月8日恵比寿で久保崎夏撮影)

ベネズエラは倒れない

伊高
 キューバの最重要同盟国ベネズエラのニコラース・マドゥーロ政権が「袋叩き」に遭っている。情勢をどう見ますか。
C・G
 マドゥーロ政権を倒すのはこれまでも不可能だったし、今後も不可能だろう。ベネズエラは普通の国ではない。歴史を見れば明らかで、解放者シモン・ボリーバル(1783~1830)、その部下で解放者のホセ=アントニオ・デ・スクレ(1793~1830)をはじめ英雄をあまた輩出した国だ。輝かしい闘争の歴史がある。しかし、複雑な課題があるのも事実だ。例えば、ベネズエラ経済の80%近くは伝統的ブルジョアに握られている。彼らは結束してボリバリアーナ(ボリーバル主義)革命を拒絶し、マドゥーロ政権の経済政策を妨害している。この点にベネズエラの難しさがある。だが、ベネズエラには希望がある。その実現は容易でないけれど、いずれベネズエラ人は自分たちの望む社会、国家を建設し獲得するはずです。
伊高
 米国および、これに同調するカナダと、メキシコ、ペルー、アルゼンチンなどラ米保守・右翼諸国が内政干渉し、マドゥーロ政権打倒を目指しています。
C・G
 諸外国の干渉は一時的な現象にすぎない。メキシコを例に取れば、来年7月に大統領選挙があり、政権が変われば政策も変わるだろう。米国もしかり。我々は半世紀以上、歴代米政権に抵抗したが、ついにオバーマ前政権は過去の対玖政策の過ちを認めた。米国もいずれは政権が変わる。トランプ現政権の対ベネズエラ政策は、我々キューバ人が過去長らく経験し慣れてきたものの焼き直しにすぎません。
映画「エルネスト」の新鮮さ

伊高
 あなたは写真撮影がお好きなようですね。
C・G
 職業写真家ではなく、それを目指しているわけでもない。趣味で撮っているだけです。
伊高
 今回の写真展には240点が展示されますが、どんな基準で写真を選んだのですか。
C・G
 1990年代末から2000年にかけての時期だったが、チェ・ゲバラ研究所に来たあるキューバ人の造形芸術家がチェの撮影した写真に興味を抱き、それらを選んだ。選ばれた写真は、ハバナにあるカサ・デ・ラス・アメリカス(米州文化交流機関ラス・アメリカス館)で展示された。これが最初のチェ・ゲバラ写真展だった。次いでスペインから展示の専門家がやって来て、国際的な巡回写真展を開いた。そのような積み重ねの結果、今回の日本展があります。
伊高
 映画「エルネスト」を試写で観た感想は。
C・G
 歴史的事実に根差したフィクション(ドキュメンタリードラマ)だ。まず言えるのは、監督も主演も日本人であり、日本的解釈に基づく作品ということ。だからチェについての日本人の視点、日本的な捉え方がわかって、とても興味深い。そして、チェの部下としてボリビアで戦った日系人フレディの生涯が紹介されているのが重要だ。この映画を観た人々は、チェだけでなく周辺の人物や出来事を知り考えるようになる。この点に意味があると思います。
伊高
 この作品はラ米でどう受け止められると思いますか。
C・G
 ハバナ映画祭に参加すれば、たくさんのキューバ人が観る。だがラ米諸国については、どんな反響が出るかを含め何とも言えない。基本的事実だが、チェは半世紀に亘って語られ書かれ、十分に知られた人物であり、多くの写真が撮られ、映像や映画にもなっている。したがって、チェの新しい人物像を打ち出すのはとても難しい。しかしこの映画は、フレディの存在を中心に描いた点に新しい価値がある。これが重要です。
広島の衝撃

原爆死没者慰霊碑に花輪を捧げるカミーロ・ゲバラと阪本順治監督(2017年8月6日撮影、キノフィルムズ提供)

伊高
 広島行きを大切な訪問と考えているようですね。
C・G
 広島の原爆投下にまつわる歴史は誰もが知っている。父が訪れたこともキューバではよく知られている。広島を訪れ歴史に触れるのは、私に限らず誰にとっても意味がある。私は妻、8歳の末娘と共に現地の状況に触れ、犠牲者に哀悼の誠を捧げたい。娘は、祖父が58年前に訪れた地に幼い足跡を残すことになる。明らかなのは、原爆投下が野蛮な犯罪行為だったことだ。投下の責任を明確にする必要があると思います。
*  *  * 

カミーロは8月6日、映画「エルネスト」の阪本順治監督と並んで原爆死没者慰霊碑に花輪を捧げた。翌朝の「中国新聞」は、カミーロが「ここに眠る人々が真の意味で安らぐのは核兵器が無くなるときだ」と語った、と報じている。

8日夜、恵比寿ガーデンプレイス・ガーデンルームで催された写真展開場式でカミーロは挨拶し、「ここには革命にまつわる歴史的な写真と、写真家チェ・ゲバラとしての写真が展示されている。じっくり観賞していただきたい」と述べた。

会場でカミーロに広島の印象を訊ねた。「想像以上に強烈だった。父が広島から母に送った葉書に〈もっと闘わなければ〉と書いた意味がよくわかった」と強調した。日本滞在2週間の感想を訊ねると、「気配り、思いやり、敬意のこもった日本のみなさんの繊細な対応が何よりもうれしかった」と、目を輝かせて答えた。その翌日、カミーロは羽田空港から帰国の途に就いた。
2017年9月29日 新聞掲載(第3208号)
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