小指が燃える / 青来 有一(文藝春秋)死者と生者が「指切り」している  圧倒的なリアリティで「燃え」ている「小指」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年10月2日

死者と生者が「指切り」している 
圧倒的なリアリティで「燃え」ている「小指」

小指が燃える
著 者:青来 有一
出版社:文藝春秋
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小指が燃える(青来 有一)文藝春秋
小指が燃える
青来 有一
文藝春秋
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表題作の中篇「小指が燃える」は、戦争を経験していない世代にとっていかにして戦争文学は可能か、という問いを徹底的に突き詰めている。これは言い換えれば、戦争を知らない者が戦争を書くことはできるかということであり、さらに言えば、戦争を経験していなくてもその経験を自らのものとすることは可能かという問いにほかならない。

第二次世界大戦で日本が敗戦国となった一九四五年から、すでに七十年以上が過ぎた。アメリカ軍の占領下ではじまった「戦後日本」は、戦争放棄を掲げた平和憲法のもとで直接戦争に巻き込まれることなく、焼け跡からの回復を果たした。そこには様々な要素が影響しているが、戦争から敗戦へといたる歴史をくり返したくないという、戦争を経験した世代の思いが底流していたことは間違いないだろう。

しかし現在の日本は、戦争を経験していない世代がほとんどとなり、アメリカ合衆国との軍事関係は変わらないまま、憲法改正が真剣に議論されるなど「戦後日本」のあり方も大きく揺らいでいる。そうした状況で、戦争を経験していない世代が戦争の経験を自らのものとすることが可能かという問いは、きわめて切実なものだと言わなくてはならない。

原爆が投下された長崎生まれで、長崎で暮らしている作者自身を思わせる語り手の「わたし」は、売れない小説しか書けないという葛藤を抱えながら、次に書くべき作品を模索している。「です・ます」調による、現実の場面とも内的な対話ともつかない書き方で、石原慎太郎を思わせる「元政治家の先輩作家」から「売れる小説を考えろ」と言われ、それをもっともだと思う「わたし」は、謎めいた「しがらみ書房」の代表と名乗って訪ねてくる編集者に励まされ、かつて試みた「小指が重くて」という作品を書き直そうとする。

それは戦争中の最前線で、死すべき運命に巻き込まれていく日本兵を描いたものだ。しかしその作品に手をつけると、今度はおなじ長崎出身で原爆を落とされた土地を描くという志を共有する、被爆体験がある作家の林京子を指す「Hさん」が「あなたは戦争が美しい、原爆が美しい、いのちが滅んでいくのが美しい(……)とほんとうは書きたいのでしょう?」「わたしは(……)そんなふうに感じることはできません」と語りかけてくる。

つまりその作品は、売れる小説を書きたいがうまく書けない、自分にしか書けない小説を書きたいが理解されない、そうして右往左往する「わたし」をユーモラスに描いている。しかしその体を張った「わたし」のユーモアの向こうから、書き直された「小指が重くて」の断片が静謐に語りかけてくるのは、戦場で死んでいった戦争中の日本兵たちと戦争を経験していない「戦後日本」に生きるわたしたちが、どこかでなにかを約束して「指切り」をしているというイメージだ。その「小指」は、圧倒的なリアリティで「燃え」ている。

そこにどんな約束があると考えるのかは、おそらく読者に委ねられている。死者と生者は隔てられることで繋がり、戦争中と「戦後日本」もまた断絶することによって結ばれている。併録されたもう一つの作品「沈黙のなかの沈黙」も、作者自身を思わせる「私」がそうした断絶のなかに潜む沈黙そのものに語らせようとした作品だが、真の意味で時代に必要とされる言葉を、密やかに語りかけてくる作品集である。
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2017年9月29日 新聞掲載(第3208号)
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小指が燃える/文藝春秋
小指が燃える
著 者:青来 有一
出版社:文藝春秋
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