むのたけじ 笑う101歳 / 河邑 厚徳(平凡社)一ジャーナリストとして生を終えたむのたけじの実像に迫る|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年10月2日

一ジャーナリストとして生を終えたむのたけじの実像に迫る

むのたけじ 笑う101歳
著 者:河邑 厚徳
出版社:平凡社
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昨年亡くなったむのたけじ(本名武野武治)にぼくが出逢って五十年。ぼくの人生の三分の二を占める。そのむのさんは晩年、「死ぬ時、そこが生涯のてっぺん。笑って死にたい」と言い続け、その通りの死に方をした。著者は、「誰でもがこんなふうに生きられるわけではない」と思いながら、むのたけじ最後の三年間を撮り続けた。その作品は映画「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」として現在全国で公開されている。本書は撮影を通して見たむのたけじの実像に迫り、「一〇一歳の初夢」など九章から成る。

生涯、一ジャーナリストとして生を終えたむのさんは親が小作農だった。まじめに働いても食うだけで精一杯。地主や商店主、役人たちは楽をしながら暮らしている。おかしな世の中だと感じ、新聞記者に憧れた。東京外国語学校を出て、希望通り報知新聞社(現在の『報知新聞』とは違う。のちに朝日新聞社に移籍)に入社。「民衆の側に立って嘘は書かない。事実だけを書く」と決めた。

むのさんは中国大陸やインドネシアの第一線で取材活動をし、国内では東條英機、近衛文麿、松岡洋右らの記者会見に立ち会い、斎藤隆夫の反軍演説も聞いている。戦争にひたすら突き進んでいったこの国の政治の中枢の動きを見てきたのだ。河邑はその一部始終を「現代史の生きる語り部」の章に書いている。

そして八月十五日。むのさんは一新聞記者でありながら戦争責任をとって『朝日新聞』を去った。誰も戦争責任を取らなかったという事実と対比される。

むのたけじの戦後は、故郷秋田県横手市で出した新聞『たいまつ』から始まる。最初は周りの人たちは無反応だったが、だんだん「天下国家を論じる。弱いものに味方し、強いものに立ち向かっていく」という声が広まり、平和運動や地域活動に輪が広がっていった。

一九六三年にそれまでの活動をまとめた『たいまつ十六年』が出版され、むのさんの活動範囲は全国に広がっていく。ぼくはこの本でむのさんに出逢った。

そこから本書はむのさんの百歳の直前まで一っ跳び。若い人に期待をかけ、語りかける。さらに、自分の命を対象として、生命とは何かと考え、死に方を考える。

むのさんが人前で話した最後の場は二〇一六年五月三日の「憲法集会」だった。戦争の本質、そして人類の道しるべとしての憲法九条がむのさんのテーマ。十分近く話した彼の顔には気迫があふれていたという。河邑は「むのたけじは、百年を超えて怯むことなくあるべき世界へ希望の炎を燃やし続けた。幻に向かって突き進んだ」と書いている。
ぼくは今年六月、東海村の村上達也君たちと「いのち輝くいばらきの会」を立ち上げ、原発反対を旗印に掲げた初の女性知事誕生を目指したが、残念ながら夢で終わった。

ぼくがむのさんから学んだことは多いが、むのさんが百一歳になってから早稲田大学の学生に語った「やるなら命がけで、死に物狂いでやってごらんなさい。必ずすごいエネルギーが湧いてくる。奇跡は起こらないけど、人間は奇跡を起こすことはできる」という言葉に自分を賭け、これからも幻に向かって突き進んでいきたい。ドン・キホーテとして。
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2017年9月29日 新聞掲載(第3208号)
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むのたけじ 笑う101歳/平凡社
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