21世紀の民俗学 / 畑中 章宏(KADOKAWA)「未来」をも探る民俗学  トピカ的な知に満ちた稀有の書|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年10月2日

「未来」をも探る民俗学 
トピカ的な知に満ちた稀有の書

21世紀の民俗学
著 者:畑中 章宏
出版社:KADOKAWA
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21世紀の民俗学(畑中 章宏)KADOKAWA
21世紀の民俗学
畑中 章宏
KADOKAWA
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 ポール・ゴーギャンの絵画「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(本年発売の楽曲、椎名林檎&トータス松本「目抜き通り」においても、原語が用いられた)は、大きく根源的な「問い」であるが、その答えを探る手がかりのひとつとなりうるのは民俗学ではないかと、評者は常々思っている(話は逸れるが、評者の研究対象である、イタリアの宗教史学者ラッファエーレ・ペッタッツォーニも、民俗学は近代の産物だが「民俗」は国家成立以前に遡ると述べ、所謂「一国民俗学」を批判しつつも、人間について考える上で民俗学を重要視していた)。このゴーギャンの「問い」の射程は過去・現在・未来にわたるため、違和感を覚える人もいるかもしれない。つまり、「過去」と「現在」はともかく、民俗学は「未来」を探る学ではないのではないかと。だが、本書を読むと、民俗学は「我々の未来」についても考える学であることが分かる。

「序」の冒頭において、著者は「二一世紀の今日に起こった眼の前の事象について、民俗学を切り口にこれから綴っていきたいと思う」と述べる。そして「民俗学」を「『感情』を手がかりに、さまざまな社会現象に取り組む姿勢」だとし、さらに「過去の人々、現在を生きるわたしたちの感情が反映している」と捉える。これはとてもユニークな切り口である。生活文化や伝承文化といった、人々の営みの変遷にとどまらず、謂わば「人々の思いの移り変わりや積み重なり」をも対象にしようというのだから。

たとえば、(11)「UFO学のメランコリー」を見てみよう。ドイツの写真家トーマス・ルフ→フランスのローラン・グラッソの「パラドックス」と虚舟→インドネシアのヴェンザ・クリストの「虚舟ミニミュージアム」→生石神社(兵庫県高砂市)の石の宝殿↓映画『君の名は』→19世紀フランスの革命家ルイ・オーギュスト・ブランキ、といった具合に話題が次々と移っていくが、所謂“連想ゲーム”ではまったくない。ここには、宇宙に思いを馳せることという一本の軸が明確に貫かれており、その軸は「未来」にまで延びている。本書によって、ブランキの『天体による永遠』は、新たな読者を獲得するだろう。

また、「最終章」には、「二一世紀の民俗学は境界線上にあるものごと、どのような領域に属するか定まっていないものごとを対象にしていかなければならない」と記されている。事象に既存の枠組を当てはめて解釈するのではなく、事象そのものの「匂い」を嗅ぎ、その「声」に耳を傾け、想像すること。こう捉えてみると、本書のなかで未来において起こりうるとされる、「付喪神」となってしまった自撮り棒、『技術と民俗』(『日本民俗文化大系』)の増補、伝統となった無音盆踊り、西洋風のお雑煮、河童に与えられた選挙権といった事象が、俄然面白くなってくる。もちろん、ここには著者自身の「感情」や「想い」が付け加えられているのだが、「未来の民俗」について想像することの愉しさを読み手に伝えてくれる。

このように『21世紀の民俗学』では、18世紀ナポリの思想家、ジャンバッティスタ・ヴィーコが言うところの「インゲニウム」、即ち、お互いに離れたところにある異なる事物を、ひとつにする能力が駆使されている。トピカ的な知に満ちた稀有の書である。
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2017年9月29日 新聞掲載(第3208号)
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