多くの風景と人の思いを積み重ね 村上 晶 著 巫者のいる日常 津軽のカミサマから都心のスピリチュアルセラピストまで|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ニューエイジ登場
2017年10月10日

多くの風景と人の思いを積み重ね
村上 晶 著 巫者のいる日常 津軽のカミサマから都心のスピリチュアルセラピストまで

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懐かしいと思える風景が積み重なることによって人生が出来ていくのだと感じることがある。静岡で生まれ育ち、大学からは主に茨城で過ごした。そんな私にとって、まったくゆかりのなかった岩木山を望む津軽の風景が、いつからか強い郷愁を誘うものとなっていった。それは、「宗教学」という学問に出会ったためであり、また「シャーマニズム」などというものを研究対象に選んだためである。

宗教に漠然とした興味をもつようになったきっかけは自分でも定かではない。高校生のときに起こった9・11か、アメリカでのホームステイ中に幾度となく連れて行かれたメガチャーチでの人々の熱狂ぶりか、もしくは、民俗芸能や美術に強い関心をもっていた親の影響か、おそらくそれら全てが作用して、進路を決める際には大学で宗教学を学ぼうと心に決めていた。そして、駒澤大学の池上良正先生の民間巫者に関する一連の著作と出会ったことによりシャーマニズム研究の世界に足を踏み入れることとなった。

津軽でのフィールドワークをはじめたのは博士課程に入ってから。何のツテもないまま現地に飛び込み、先行研究で名前があがっていた社寺や霊場にとにかく足を運んだ。そこに関わっているであろう「カミサマ」とよばれる地元の巫者(シャーマン)についての情報を得るためである。カミサマという呼び名は大変紛らわしい。「これ、カミサマがくれたお菓子」とか「カミサマと温泉に行った時に…」といった会話を耳にすれば多くの人はぎょっとするだろう。しかし、カミサマとはたとえば「イタコ」と同じように、青森県と周辺地域で巫者を呼ぶ際の名である。つまりは人である。このカミサマたちを必死で訪ね歩いた成果をまとめたものがこの度上梓した『巫者のいる日常』である。
村 上 晶
さて、フィールドワークの最中「なぜわざわざ津軽に?」とよく尋ねられた。先行研究で数多く言及されていたということもあるが、いくつかの場所で調査をする中で人との縁が一番できたのが津軽であったというのが正直なところである。

地域の行事や、少し変わったところでは仏具店などにも顔を出した。遠回りであったがこうして周囲からアプローチしていったことによって、地域におけるカミサマの役割や評価が次第に明らかになってきた。その過程で、巫者個人だけではなく、その依頼者や巫者の周囲にいる人々が何を思い、何を期待しているのかにもスポットライトを当てる必要性を感じるようになっていった。

多くの人に出会い、多くの思いに触れた。誰もが誰かを亡くしていて、時に希望をくじかれ、うまくいかないことを抱えていた。それは依頼者だけではなく、カミサマも同じであった。津軽にまで足を運び、多くの時間を過ごし、結局たどり着いたのは、巫者という存在と彼らをめぐる実践が、そうした日常的な感情の上に成り立つという至極ありきたりな結論であった。

シャーマンや「口寄せ」などについて語る時、ともすれば人は真偽の基準を持ち出したり、「信じる」「信じない」という二分法で語ろうとする。しかし、感情をもった一人一人の個人がそこにいるという事実を見つめなければ、シャーマニズムのリアリティに接近することはできないだろう。これまで出会った多くの人や風景を思いながら、いま改めて思う。
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年10月6日 新聞掲載(第3209号)
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この記事の中でご紹介した本
巫者のいる日常  津軽のカミサマから都心のスピリチュアルセラピストまで/春風社
巫者のいる日常 津軽のカミサマから都心のスピリチュアルセラピストまで
著 者:村上 晶
出版社:春風社
以下のオンライン書店でご購入できます
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