孤独の燔祭 今村夏子「木になった亜沙」 金石範「消された孤独」 〈10月〉二人冗語    馬場美佳・福島 勲|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文芸
2017年10月9日

孤独の燔祭 今村夏子「木になった亜沙」 金石範「消された孤独」
〈10月〉二人冗語    馬場美佳・福島 勲

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福島 
 さて、今月は定番四誌に『小説トリッパー』です。期待の橋本治「草薙の剣 平成篇」(新潮)はいかがでしたか。
馬場 
 続きを具体的に想像していたわけではないのですが、思っていたのと違う感じでした。「昭和篇」の方が勢いがあったかと。
福島 
 そうですね。ひたすら人々の気持ちが内向していく展開は単調でした。橋本は昭和では闊達な若者だったけれど、平成では老成した目で観察する側だったという事情もあるのかもしれません。
馬場 
 連続殺人など暗い事件が列挙されているなか、酒鬼薔薇聖斗と同年代ゆえにシンクロしてしまう夢生の異常な精神状況が描かれています。またラストに描かれた街灯の下に浮かび上がるポケモンGOのプレーヤーたちの姿も無機質で不気味です。草薙の剣については、「敵をかわす」のではなく、「迎え撃つ」こと、すなわち「向かい火」の含意とあります。平成っ子たちは、草薙の剣をふるっても有効にならない。向かい火で「立ち向かう」ことも叶わず、「絶望しか」なく、小学生なのに、孤独に燃やされていくという極めて暗い平成観が展開されています。
福島 
 橋本は、昭和以降の政治史のような連載評論「指導者はもう来ない 父権性の転覆」(トリッパー)も始めていますし、歴史意識を高めています。もしかしたら、政界進出もあるかもしれません(笑)。
馬場 
 その一方、ミニマルな視点から、現代社会の病理とされてしまうものをファンタジーに仕立てあげたという意味で面白かったのは今村夏子「木になった亜沙」(文學界)でした。まさかゴミ屋敷の話になるとは思いもよらず…。ゴミ屋敷というのは周囲には理解できない、異界の出現みたいなもので、そうした不条理に着目してひとつの物語を与えようとしたところに、今村らしさを感じます。
福島 
 ゴミ屋敷は住居に人が住めないぐらいものがたまっていく倒錯的な現象です。亜沙が化けた使い捨ての割り箸が捨てられず、ゴミ屋敷の主人はそれを捨てようとする恋人の方を追い出してしまう。
馬場 
 いろいろと本末テン倒していきますよね。亜沙は小さい頃から自分が作ったものを誰にも食べてもらえないという謎の宿命を背負っていて、それに打ちのめされ、とうとうグレてしまう。そして不良更生施設から出る日、雪山で事故に遭い、木から落ちる果実に寄ってくる動物たちを目にし、自分も木になりたいと願う。ここからがすごいのですが、あれよあれよという間に彼女は割り箸になって、とある若者の家で繰り返し使ってもらうことになる。そこで初めて他人にものを食べさせてあげられたわけです。
福島 
 他者への愛情を食物の贈与というかたちで表現するのはデビュー作「こちらあみ子」にも見られました。ただし、今村世界では贈与はたいていうまくいかない。ところが、今回はもらったものを捨てられないゴミ屋敷の主人が登場することで、贈与したい/贈与されたいという感情がはじめて結びつく。ただし、結末は悲劇的な燔祭となる…。
馬場 
 亜沙以外の物(ゴミ?)たちも、元は亜沙と似た訳ありの人間たちの成れの果てだったという設定で、彼らは最後、行政介入に抵抗し、主人を道連れに自爆します。劫火に焼かれていくカビだらけの亜沙の姿がいっそ清々しい…。
福島 
 ゴミ屋敷が世の中に忘れられたもののメタファーだとすれば、過去の死者と生者の記憶にあふれていたのが、金石範「消された孤独」(すばる)です。アンゼルム・キーファーの作品のように、民族の歴史や作家の人生がそのまま凝固したような重厚な作品でした。印象的なのは、屋台を舞台にした自作と後年実際に屋台を営む自分をめぐって、なぜ自分はこの作品を書き、なぜそれを現実化するはめになったのかと自問しているところです。しかも、最初の「夜なきそば」という短編は「これから」、さらに「夜の声」へと変奏されていく。こうした過去の自作へのこだわりは、青来有一の「小指が燃える」を思い出させますが、そこに見えるのは推敲にこだわる作家の自意識であるよりは、自分の過去を決して「かき捨て」にしない責任感ないしは使命感のごとき執念です。
馬場 
 過去の作品の根拠を回想と共に再発見していくというのは新鮮でした。これが九〇代現役作家の底力かと思うと昭和世代のエネルギーに驚嘆します。近代文学の根底を支えていた世代なんだなと。
福島 
 今月で言えば、早助よう子「市民相談家」(文學界)も春見朔子「きみはコラージュ」(すばる)も枚数的には同程度ですが、本作の横に並べると、やはりくすんで見えてしまう。とくに昭和的なものに偏向しているつもりはないのですが、作品として、この三作は同列に並べられない。
馬場 
 そうですね。ただ、たとえどんなに苦痛でも背負わずには生きられないほどの経験の有無も大きい。金が背負う十字架は済州島の四・三事件の悲劇の記憶です。それが執筆の力にもなっているとありますが、忘却を拒絶する精神力の強靭さに圧倒されます。彼女たちにそれを求めるのは酷ですが…。
福島 
 誰かのために書いているという意識は、今月の彼女たちの作品には薄いかもしれませんね。あるとしたら自分のためかな。「消された孤独」の方は、使命感で書いているだけあって、作家のナルシシズムが破壊される地点まで行っている。それがマゾヒズムと言われるものに接するのかわからないけれど、「何か妙な目に見えぬ地下の水脈」を這うようにたどる過程はスリリングで、予定調和からほど遠い。
馬場 
 作中に「Kは九十歳の老現役小説家である。」と自己同定する一文があるのですが、これが重い。二〇代ではじめて小説を書いてから、数十年という長い年月をかけて「小説家」としての主体を作り上げてきたわけです。当然彼女たちはそのあたりをまだ棚にあげつつ書くしかない。でも、人生の最後の最後まで「小説家」であることを引き受け続ける覚悟があるかどうかは、ただ小説を書けば小説家になれるという話とは全く別の次元だということなんでしょうね。
福島 
 ちなみに、西村賢太「夜更けの川に落葉は流れて」(群像)は、又吉の「劇場」への対抗でなければ、いつもの焼き直しのはずなのに、それでもナルシシズムへの抵抗の残り香みたいなものが漂っている。これは私淑している師匠の藤澤清造という超自我のおかげかもしれません。
馬場 
 脳梗塞で倒れて以降を書いた石原慎太郎「死線を超えて」(文學界)は、ここ数年の石原の執筆背景の種明かしです。死後の問題で、石原が小林秀雄にベルクソンを読めと言われたというエピソードは興味深い。
福島 
 この哲学者は西洋版の狐狗狸さんまで研究している。心霊術は死者と生者とをつなげる科学でしたが、金の「消された孤独」を読むと、文学もそんな機能を担っているような気がしてくる。石原で感心したのは、死にかけてびっくりしたことを人生初めての私小説として書いたところです。多少のナルシシズムは感じるものの、この正直さは、政治家としては短所ですが、作家としては長所でしょうね。
馬場 
 脳梗塞体験を一つも無駄にしていないということが今回の小説でよくわかりました。その貪欲なところもまた昭和の作家です。一つも捨てない。
福島 
 いずれにしても、歳を重ねた作家が相対的にいいものを書いている。経験量の差だけでなく、自分以外の誰かのために書いているという意識が強いような気がする。それだけに身の投げ出し方が違う。
馬場 
 まさに体当たり。燃やしても燃え尽きないほどの気力を感じますね。
福島 
 私小説か否かではなく、ナルシシズムの鏡像が割れていない作品はきびしい。髙樹のぶ子「蜜蜂とバッタ」(文學界)はその意味で反面教師です。
馬場 
 (苦笑)。
2017年10月6日 新聞掲載(第3209号)
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