ジャズヴォーカリスト・ヴォーカル講師 石井智子さん (上)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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あの人に会いたい
2016年8月19日

ジャズヴォーカリスト・ヴォーカル講師 石井智子さん (上)

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スポーツ界のプレーヤーとコーチにたとえて言えば――。どちらかに秀でているというのが多くの場合だと思うが、それでいうと今回ご紹介する石井智子さんは、かなりの少数派に属する。ヴォーカリストとして素晴らしい歌を届けるいっぽうで、ヴォーカルレッスンのコーチとしても、絶大な信頼を得ている。

透明感のある声で聴く人をうならせる歌い手として、一人ひとりの個性を引き出しながら、さらに上を目指そうという気持ちにさせる指導者として、どんなふうにその道を歩んでいったのか、お話をうかがった。

歌の指導をする石井智子さん
感銘を受けた出来事や人物について、多くの人に伝えたいと思う気持ちが、編集者やライターという仕事の原点だと思っている。

石井智子さんに出会い、歌の指導をしていただきながら、私は一人でも多くの方に、石井さんのことを知ってほしいと思うようになっていた。              *

昨年まで働いていた出版社の「主婦と生活社」は京橋にあり、銀座とは目と鼻の先。ヴォイストレーニングを兼ねて歌を歌うことに改めて興味を持ち、銀座の「ヤマハ音楽教室」を見学することにした。今から五年前のことだが、そのクラスで石井智子さんは歌を教えていた。

仕事でいっぱいの頭を空っぽにする時間が必要だと考えていた私は、「とりあえずレッスンを受けてみよう」と入会することに。曜日や時間によって違うが、ひとクラス三、四名から七名くらいのグループで行うレッスンは一時間。石井さんの弾くキーボードに合わせて発声練習をし、そのあと課題曲を三週くらいに亘り、仕上げていく。途中三ヶ月ほど休んだこともあったが、今も銀座まで通い、レッスンを続けている。これはひとえに、石井さんの生徒一人ひとりへの熱のこもった教え方、その人にあった的確な指導の仕方。それを見ているだけで考えさせられることがあまりに多く、一時間がとても充実していた、といつも思えるからだ。

いっぽう石井さんは二〇〇三年から二〇〇五年まで「ブルーコーツオーケストラ」のヴォーカリストとして数多くのステージを重ね、二〇〇六年に第一回「さいたま新都心ジャズヴォーカルコンテスト」でグランプリ、二〇一二年には「神戸新開地ジャズヴォーカルクィーンコンテスト」で準グランプリを受賞するほどの実力派でもある。

「ご自身が歌うことと、教えること、今はどちらに比重がかかっていますか?」とまずは聞いてみた。

「歌う喜びと、教える喜び、私の中にこの二つが両輪としてあり、そのバランスがとても大事だと思っているんです。教えるためには自分が歌い、自分を高めることを常にしていないと、今をキープすることはできないし、それ以上を目指すこともできません。こうなりたいと生徒さんに思ってもらえるようなお手本を、いつも見せていきたい。人を育てていきながら、納得のいく演奏活動を続けていきたい」

「ヤマハ音楽教室」のレッスン風景
四歳の時からピアノを習い始め、幼稚園の時すでに「ピアニストか音楽の先生になる」と決めていた石井さん。どんな子供時代を送っていたのか?

「二歳違いの姉がやることを、何でも一緒にやってみたくて。姉がピアノを習い始めたら、私も、という子供だった」。一緒にピアノを習いに通い、毎日三時間練習するのは当たり前。そのまま中学まで進み、音楽以外の道を進むことは考えられなかった。高校から東邦音大付属のピアノ科に入学。そのまま大学もピアノ科を卒業するが、ピアニストとして歩むことを止め、歌の道に進むという舵を切ったのは、音大を首席で卒業後のこと。

「ピアノは好きだったけれど、もっと好きなものがあると、結構早くから気づいていたんです。それが歌うことでした。歌っているととにかく幸せで、歌謡曲でも、クラシックでも、ミュージカルでも、何でもよかった」

きっかけとなったのは、音大卒業時に各大学トップの成績を有する者だけが演奏できる「新人演奏会」。ピアニストとしてのデビューともいえる登竜門で、毎日八時間以上の練習を何か月も続け、石井さんはここで初めて、納得のいく演奏ができたという。

「あまりに集中して練習を続けたために、終った後、一瞬空っぽになってしまって、ちょっと休みたくなりました。その時たまたまアルバイト情報誌を見ていたら、『歌の好きなコ、集まれ!』という見出しが目について。早速問い合わせてみたんです」

ここで一歩行動したことが、新しい世界に足を踏み入れるきっかけになり、海を渡って米国ボストンのバークリー音楽大学の奨学生となる道につながっていく。
2016年8月19日 新聞掲載(第3153号)
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