「空洞説」現代彫刻という言葉 / 遠藤 利克(五柳書院)近代批判としての元型的彫刻  原則に立ち帰った造形思考の強度|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年10月9日

近代批判としての元型的彫刻 
原則に立ち帰った造形思考の強度

「空洞説」現代彫刻という言葉
著 者:遠藤 利克
出版社:五柳書院
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遠藤利克は現代彫刻の巨星として名高い。先ごろ開催の埼玉県立近代美術館の個展に合わせ発刊されたのが、この二冊目の論集だ。

本書に所載の文はみっつに大別される。純粋に表現や文明の論考、発表作品の意図の解説、作品展示にまつわるエピソードだ。

遠藤は1970年代より活動を始めた、ポストもの派の作家。造形の複雑さやフォーム(形態の美学性)の洗練でなく、シンプルな元型的力強さが本領。書名は管やリング状の作品を制作してきた彼のトレードマーク、空洞からきている。

本書の読みごたえは、特有の言い回しで披露される彫刻表現の要諦にある。たとえば、「彫刻とは、「場」についての思考そのものだ」がある。彫刻は空間を占有する物質の表現であり、絵画のような仮構性にもとづく自立構造とならず場に依存する宿命を持つ。作り込みは時として逆効果となり、作品を閉じたものとする。

いわゆる聖性は不可視であるがゆえに不在と密接な関係があるが、その構造を巨大な空洞のみで示す作家の手法は彫刻表現の真髄と言える。本書には図版も多く掲載され、作家の思考を補って理解できる。

作家による彫刻の二分法の〈自己言及性の彫刻〉と〈自己演繹性の彫刻〉は一般論だけでなく、彼自身の表現の理解にも役立つ。前者は美術史に対する再帰性でありいわば類的彫刻だが、後者は唯一性の個的彫刻のことで自己の捉え方にズレ(幅)がある。それは彼にとって彫刻は操作する客体でなく、自己という主体を持つからだろう。ここで作家によって頻出される供儀の問題に立ち至る。

本書の問題意識に近代文明とその派生物の芸術への批判がある。すべてのものは情報によって管理・差異化される。これに抗する手段として、ときに命のやり取りという生々しさを伴う〈宗教可能性としての心性〉である供儀がある。供儀の機能を持つ作品は作家の手を離れ、聖域にも似た固有の生きた場となる。

この作家の姿勢は美術のシステムの中で不協和音ももたらす。グッゲンハイム美術館での企画グループ展では水を用いた巨大作品を出品したが、作家の提案した防水処理を美術館側が拒否し、自館のやり方にこだわった。その帰結が水漏れだったが、キュレーターは美術館側に立って不出品とし作家を切り捨てた。扱いにくい素材を用いた、管理になじまない作品ゆえの出来事だ。

この表現は凶暴性を秘めており、活かし方は美術の制度論に関わる。生きた樹木を衆目の面前で焼いた作品に多くの批判が寄せられた例もある。これをモラルパニックと取るか、公共性の問題と取るかで議論は分かれるだろう。問題提起と受けとめたい。

ただ、全体に神話や共同幻想、アニミズムなどの理解にややナイーヴな点があり、気にかかった。いずれも文明論の名のもと(日本)ナショナリズムにたやすく回収される言説で、政治力学への慎重さが求められる。
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2017年10月6日 新聞掲載(第3209号)
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