永山則夫の罪と罰―せめて二十歳のその日まで / 井口 時男(コールサック社)自己愛そのものが壊れてしまう場面を|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年10月9日

自己愛そのものが壊れてしまう場面を

永山則夫の罪と罰―せめて二十歳のその日まで
著 者:井口 時男
出版社:コールサック社
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永山則夫事件の最初の犠牲者は、警備員であった。綜合警備保障(ALSOK)に雇われたガードマン。現場は芝の東京プリンスホテル。集団就職で上京したとき、永山は東京タワーの展望台から見下ろした、その眼下に広がる「豪華」な世界、ことに「青く輝くプールの水」の豪華さを、印象深く目に焼き付けていた。横須賀の米軍基地で盗んだ拳銃を懐に、寝場所もないルンペン状態の永山はプリンスホテルの芝生に侵入し、そこで巡回中のガードマンと遭遇してしまった。「どこへ行くんだ」「向こうへ行きたい」「向こうへは行けない。ちょっと来い」。逃げようとして襟首をつかまれ、もみ合ううちに引金を引いてしまう。

遭遇したのが、会社の従業員や地元の商店主・町内会であったなら、「ちょっと来い」などと威圧的に構える必要もなく、惨事には至らなかったのかもしれない。せいぜい「出ていけ」と一喝すれば済んだ話だろう。ところが「警備」だとそうはいかない。護身具を携行し、報告義務が課せられる。守るべき「富」や「財産」も抽象的なら、それを脅かす「不審者」もまた、かぎりなく抽象的にならざるをえない。

「警備」というビジネスは六〇年代に誕生した新興産業だ。日本警備保障会社(セコム)の設立が六二年、ALSOKが六五年。高度経済成長と東京五輪を背景に、警備を必要とする「富」の蓄積、「守られるべき秩序」の輪郭がいよいよ鮮明になってきたことを、それは物語っていただろう。膨張していく持つ者と持たざる者の格差と分断。永山則夫は、その最底辺からやってきた。

本書は井口時男の三〇年にわたる永山則夫論集成である。永山は後に法廷で「東京プリンスホテルでやったのは、金持ちが憎かったからだ」と発言している。しかし、この発言はマルクス主義を中心とする獄中での「学習」、永山の「知的向上心」が言わせた「嘘」であり「虚栄」にほかならない、と井口は批判する。「彼はあたかも、初めから自分の犯行に一貫した『思想=階級憎悪』があったかのように述べている」が、それは後付けの「粉飾」であり「根深い自己欺瞞」に過ぎない。獄中ノートに「殺しの事を忘れる事は出来ないだろう一生涯/しかし、このノートに書く内容は、なるべく、それに触れたくない。/何故かと云えば、それを思い出すと、このノートは不用に成るから……」と書き記した永山は、ついに「それ」と対峙することなく処刑された。「学習」に没頭しているかぎり、永山は「それ」に脅かされずに済んだのではないか。「それ」との対峙を回避したために、永山の言葉は壊れ、空転した。「木橋」をはじめ永山の自伝小説は、せつない自己愛に支えられた慰撫の世界にとどまるのではないか。「私は、『N』が犯行に及ぶ場面を読みたかった。(略)それは永山にとっておそろしくつらいことであるにちがいない。しかし、自己愛そのものが壊れてしまう場面を通過しないかぎり、永山は深く分裂した自分をほんとうに統合することはできないのではないか」。本書で井口はそう力説する。

ドストエフスキー『白痴』のムイシュキン公爵の言葉を引用しつつ、井口は「文学の欲望は、犯罪を犯した人間について、『何もかもいっさいのことを』知ろうとするのだ」と述べている。それができれば、「人を指定して『罪』とするときの、その『罪』という概念そのものが消えるはずだ」と。死刑によって、われわれも、永山則夫自身も、「永山則夫の犯罪」について「何もかもいっさいのことを」知ることができぬまま捨て置かれることになった。無念と怒りが本書には渦巻いている。

死刑執行から二〇年。二〇二〇年東京五輪を控え、巨大化したセキュリティー産業はいま我が世の春を謳歌している。
2017年10月6日 新聞掲載(第3209号)
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この記事の中でご紹介した本
永山則夫の罪と罰―せめて二十歳のその日まで/コールサック社
永山則夫の罪と罰―せめて二十歳のその日まで
著 者:井口 時男
出版社:コールサック社
以下のオンライン書店でご購入できます
永山則夫 封印された鑑定記録/講談社
永山則夫 封印された鑑定記録
著 者:堀川 惠子
出版社:講談社
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