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2017年10月24日

組織コミュニケーションコンサルタント・寺田由美さん(上)

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私が“コーチング”という言葉を始めて聞いたのは、寺田由美さんからだった。この連載で取材させていただいた小宮一慶さんのセミナーで紹介された寺田さんは、コーチングを中心に、組織を活性化する手伝いを仕事にし、株式会社を設立して今年で十年になるという。
「コーチングとはいったい何?」「女性の起業家とは?」 さまざまな質問を胸に、お話をうかがった。

寺田由美さん
経営コンサルタント・小宮一慶さんのセミナーには、圧倒的に男性の数が多い。中小企業の経営者や大企業の幹部クラスがほとんどだが、そんな中、いつも会場の最前列に座り、話を聞きながらタブレットを上手に操る女性が寺田由美さんだった。ワンピースにジャケット姿、笑顔を絶やさず初対面の男性陣とも、ずっと以前から知り合いのように接する、気さくで飾らない姿は、数少ない女性の中でも、とくに目立つ存在に映った。

大学を卒業後、教師になろうと決めていた寺田さんは、四年生の時の教育実習で、教師に対する憧れと実態の乖離に気づき、ほかの道を模索し始める。結婚までの腰掛的な仕事はしたくないと思っていただけに、教師以外のずっと働ける職業を選択するのは大変なことだった。「当時はインターネットもなかったし、就職情報誌もまだ出ていませんでした。片っ端から採用のあるところに書類を出して……その最後の募集が銀行だったんです。母が結婚前に銀行に勤めていたこともあって、親近感もあったと思います」。一九八二年の卒業で、これからバブル期を迎える時代。それまでの銀行の女子社員の採用基準は高校卒か短大卒だったが、即戦力が欲しい時代に入っていた。寺田さんは住友信託銀行(当時)へ入社を決める。

一年先輩に、夫となる寺田さんが働いていて、ここでめでたく結婚。とまではよかったが、この時代、夫婦が同じ職場にいることを歓迎されることはなかった。「私、辞めます」と正社員の道はあきらめ、アルバイトとして、同じ銀行で六、七年働いた。ここから、寺田さんはさまざまな働き方をすることになる。

私は前職の主婦と生活社で三十八年間働き、途中で転職を考えたことはなかったが、寺田さんはその後、河合塾で業務委託という形で五年ほど仕事をする。ひとクラス五〇人から、多いところだと一〇〇人規模。ここで親子面談等を担当しながら、どんな将来を目指していきたいか、子供の内在する気持ちを引き出すにはどうしたらいいか、などを学んでいった。「今から思うと、これはコーチングにそのまま結びつくことでした」
自己啓発本も多岐にわたり、こまめにチェックする
その後、一九九五年にウインドウズが発売になると、友人がパソコンの使い方を教える仕事に就いたと聞き、自分も指導資格を取ろうと、さっそく行動に移す。文系の頭しかない私には考えられないことだが、寺田さんも「私だって、理系なんて全くダメ。それでも、とにかくやってみようと動いてしまうんです」「一か月先に資格試験があるけど、これを取れば、すぐに仕事があるよ」。そう聞き、猛勉強をして見事に合格。

自分で下した決断は、その後の寺田さんの転機となる。「大企業は、まずは管理職がウインドウズを使えるようにと、研修も引く手あまたでした。企業への普及のために営業職の人が営業に出かけても、ソフト部分の説明はできないので、私が同行してエクセルやワード、パワーポイントのことなどを説明しました」

その後、ご主人が東京に転勤になり、寺田さんも東京のOAスクールを紹介してもらい、OAインストラクターとして、ますます忙しい日々を送る。

寺田さんを見ていると、考えるより前に行動している。この後、寺田さんが“コーチング”という技法に出会い、働き方への取り組みを改めて学びなおしていく、そのプロセスは次号でお話しする。(次号につづく)
2017年10月20日 新聞掲載(第3211号)
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