日曜日の人々(サンデー・ピープル) / 高橋 弘希(講談社)生きる苦しみを抱えている人たちの物語  自分の断片がそこかしこに散りばめられているように|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 日曜日の人々(サンデー・ピープル) / 高橋 弘希(講談社)生きる苦しみを抱えている人たちの物語  自分の断片がそこかしこに散りばめられてい・・・
読書人紙面掲載 書評
2017年10月21日

生きる苦しみを抱えている人たちの物語 
自分の断片がそこかしこに散りばめられているように

日曜日の人々(サンデー・ピープル)
著 者:高橋 弘希
出版社:講談社
このエントリーをはてなブックマークに追加
同じ大学に通っていた、亡くなった従姉妹の奈々から「僕」のもとへと届いた荷物。そこに入っていた日記のような紙束に書き記されていた内容から、彼女が出入りしていた会のことを知り、「僕」はそこへ足を踏み入れる。そこで開かれている「朝の会」では、話したい内容を持つものが、原稿用紙やノートに書き記し、それを皆の前で発表していた。「僕」は、そこに通う中で、問題を抱えて生きることに苦しんでいる人たちと会い、また奈々が残した言葉にも出会う。

この小説は、ある人たちには、自分とはかけ離れた遠い世界のことに感じられたり、あるいは現代の若者の苦悩の表現として、極端な例をモザイクのように当てはめたもののように見えたりするだろう。

しかし、ここで語られるそれぞれの登場人物が持つ問題と同じ問題を抱えていなくても、生きることが苦しいと思いながら日々をなんとかやり過ごしている人は、まるで自分のことが描かれているかのように思い、一見唐突にも思われる登場人物の行動や心情の流れや描写もリアルなものとして読むに違いない。

この中では辛い経験や深い傷が、登場人物の語りとして表現されているが、そのどれもが、もがき苦しみ、血を流しながら絞られるように語られているというよりも淡々とした印象を受ける。また、「僕」も含め、それを聞く人たちも、言葉や行動とは裏腹に、他の人の吐露に深く共感を感じているようにも見えない。間に薄いベールがかかっているかのようだ。しかし、それこそが、深い傷を持ち、生きることが苦しい人の経験する心象風景なのだと私は思った。けれど、終盤では、そのベールが剥がれたような生々しい激しい表現が登場してくる。そのコントラストが印象的だ。

愛する人の死に深い傷を負う登場人物も出てくる。その関係は、同性間の恋愛だが、それは特別なことのようにではなく異性愛の恋愛と同じようにあっさりと語られており、それに対して、「僕」も、特に大きな反応もすることなく、それについての思いを語るわけではない。その描写が、ゲイである私にはすんなりと読めた。同性愛そのものは、悩みとしてあるいは問題として描かれていない点も。そして、その彼がそのことを詳細に語らず短い言葉で表現する姿に胸が締め付けられる。

そんな風に感じたのは、私自身が、同じ問題は抱えていなくても、自分の断片がそこかしこに散りばめられているように感じたからに他ならない。この小説は、一見すると青春期の苦悩の物語のようだが、年代に関係のない、現代社会において生きる苦しみを抱えている人たちの物語として私は読んだ。

この記事の中でご紹介した本
日曜日の人々(サンデー・ピープル)/講談社
日曜日の人々(サンデー・ピープル)
著 者:高橋 弘希
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年10月20日 新聞掲載(第3211号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
砂川 秀樹 氏の関連記事
高橋 弘希 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 日本文学 > 人生関連記事
人生の関連記事をもっと見る >