静かに狂う眼差し 現代美術覚書 / 林 道郎(水声社)絵画の不滅性を示唆する 美術批評の最先端の地平|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年10月28日

絵画の不滅性を示唆する 美術批評の最先端の地平

静かに狂う眼差し 現代美術覚書
著 者:林 道郎
出版社:水声社
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絵画は、本当に死んだのか?

一九世紀末前後にヨーロッパで、印象派からフォーヴィズムやキュビズムを経て幾何学的な純粋抽象絵画が生まれる。これに第一次世界大戦後のメキシコ壁画運動の影響が加わり、第二次世界大戦後すぐのアメリカで、巨大なキャンバス一杯に荒々しく抽象造形を描く抽象表現主義が誕生する。これを「線的リニアー」から「絵画的ペインタリー」への弁証法的発展による絵画媒体の独自効果の進歩的達成と評価し、パリからニューヨークへの芸術上の遷都を高らかに宣言したのが、戦後アメリカを代表する美術批評家クレメント・グリーンバークである。

こうしたグリーンバーグのモダニズム絵画史観は一九六〇年代に入ると権威を増し、その影響下に一九六四年には、支持体の平面性と絵画的イリュージョンを物理的に合致させ、再び「線的」に絵画の純粋還元を推進したとされる脱絵画的抽象ポスト・ペインタリー・アブストラクションも生み出す。グリーンバーグに従えば、これにより絵画は進歩の最終目的地に到達したはずであった。

ところが、それに並行して台頭する全面単色絵画モノクローム・ペインティングとの論理的不整合により、グリーンバーグの絵画理論は神通力を失う。続いて隆盛するキッチュなポップ・アートと三次元造形のミニマル・アートに挟撃され、さらに両者の後継動向であるコンセプチュアル・アートや新表現主義等にも排撃されて、アヴァンギャルドとしてのモダニズムの絵画は終焉した、と今日まで噂され続けている。

しかし、こうした一般に流布する「絵画の死」の神話に対し、絵画が持つ人間の感覚や想像力や思考のモデルとしての可能性の観点から再考を促すのが、本書の著者の林道郎である。本書は、林がこの観点からDIC川村記念美術館の所蔵品に新たな照明を当てるべく企画した「静かに狂う眼差し――現代美術覚書」展の記念出版物である。しかし単なる展覧会図録ではなく、展示作品以外も豊富に参照して企画上の問題意識をより深く掘り下げた独立した学術書となっている。

第一章「密室の中の眼差し」では、アンリ・マティスからリチャード・ハミルトンへの流れを軸に、近代において密室(アトリエや個室)が育んできた主体の客体に対する支配・逆支配関係が絵画にどのように反映しているかが考察される。

第二章「表象の零度――知覚の現象学」では、ジョゼフ・アルバースやジョン・マクロフリンを先駆として、絵画が日常的即物性に堕す危機を迎える一九六〇年代に登場した、見るという営為自体や身体を通じた自己と環境の関係を省察する様々な芸術的試みが分析される。

第三章「グレイの反美学」では、マルセル・デュシャンやジャスパー・ジョーンズを起点として、ボードリヤールの言う「物の体系」を撹乱する、意味と情報の網目の外部を表象しつつ近代を逆照射する主に六〇年代以降の現代美術が読解される。

第四章「表面としての絵画――ざわめく沈黙」では、ジャクソン・ポロックやサイ・トゥオンブリーを代表として、一九世紀から二〇世紀にかけて多様に展開してきた絵画における形式面での視覚的快楽と、それを成立させている支持体に根差した諸条件について検討される。

本書は、日本では十分に定着しなかったグリーンバーグの形式主義フォーマリズム的モダニズム絵画史観を十全かつ批判的に継承しつつ、さらに実作品に即して現代美術の理解に寄与する独自の視点を潤沢に供給する、貴重な本格的美術批評の実践といえよう。

この記事の中でご紹介した本
静かに狂う眼差し 現代美術覚書/水声社
静かに狂う眼差し 現代美術覚書
著 者:林 道郎
出版社:水声社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年10月27日 新聞掲載(第3212号)
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