保田與重郎 / 前田 雅之(勉誠出版)古典の脱構築  若者の眼を古典に開かせた保田|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年10月28日

古典の脱構築 
若者の眼を古典に開かせた保田

保田與重郎
著 者:前田 雅之
出版社:勉誠出版
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保田與重郎(前田 雅之)勉誠出版
保田與重郎
前田 雅之
勉誠出版
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革共同中核派から訣れ、一九六八年に創刊された思想誌「遠くまで行くんだ……」に参加した新木正人が、昨年四月に亡くなった。六十九歳だった。彼が心待ちにしていた唯一の著書『天使の誘惑』は、歿後の六月に刊行された。「日本浪曼派は、ナルプ解体後の頽廃の中に咲いた異様なアダ花ではなかった。咲くべくして咲いた、ある意味で鮮やかな花であった。美しく悲しい花であった。僕たちは、その美しさと悲しさを受けとめねばならぬ。僕たちの全存在を賭けて受けとめねばならぬ」(「更級日記の少女 日本浪曼派についての試論」)。こうした一節が、太宰治調の甘たるい文章、アジ演説、練鑑ブルースの歌詞などに交じって挟み込まれている。私は彼を通じてイロニーを体得し、保田與重郎を認識した。

本書で前田雅之は、保田與重郎の三十歳までの『英雄と詩人』、『ヱルテルは何故死んだか』、『後鳥羽院』『戴冠詩人の御一人者』『日本の橋』などを中心に論じているが、保田を考えるときのキーワードとして「近代・日本・古典」を挙げている。「なぜ古典なのか。おそらく日本と古典は近代を前提として保田の中では絡み合っているからだ。言い換えれば、「文明開化の論理」に基づいて戦争を生み出さざるをえない近代・日本なのだから、古典に向き合うしかないといった思いが保田にはあったからである」と述べている。それは橋川文三が『日本浪曼派批判序説』のなかで「私たちの体験からいえば、当時、ともかくも私たち普通の(つまり専門ということをもたない)学生たちを、日本の古典にみちびいた唯一の運動が日本ロマン派であったこと、それはともかく私たちの失われた根柢に対する熱烈な郷愁をかきたてた存在であったこと」という回想と照応している。たとえば「木曽冠者」の一節、敗走する義仲が「日来ひごろなにとも思はぬ薄金うすがねが、などやらんかく重く覚る也」(源平盛衰記)と嘆いた。これ程美しい丈夫の歌の一句を叙した戦陣の将軍が他にあつただらうか。実に美しい、限りなく悲しい歌の一きれである」。保田の功績のひとつは、今風にいえば古典を脱構築することによって、若者の眼を古典に開かせることにあった。

近年、渡辺和靖の『保田與重郎研究』によって、初期の保田の言説が多分に土田杏村の剽窃であることが明らかにされたが、私は意外には思わない。あの保田にお手本がなかったはずがない。彼のお国自慢は有名で、素封家であった実家を太宰のように恥じてはいない。桜井の地に生まれ古典に親しんだということが、モダンボーイであったこととあながち矛盾するとは思えない。戦後、保田は京都・太秦に終の栖居、身余堂を構えた。保田を支えた祖国社(のちの新学社)の人たちが、京都に拠点を置いたこともあるが、東京が彼を拒んでいる以上、前田氏の言うとおり「東京を相対化できるとすれば、京都以外にな」かったのだ。

前田氏は、中上健次が『保田與重郎全集』の広告パンフレットの推薦文で、自分の故郷熊野と保田の故郷とどちらが強力かと問うと、熊野の玉置山の大杉を見たかと謎をかけるように問い返されたというくだりを「芝居がかって」いると感じるが、実際に中上はこのあと大杉を見に行く。私も見に行った。修験者たちが玉置神社の前で「般若心経」を唱えるのを聞いた。玉置山の大杉も、京都の身余堂(いずれ公開されるだろう)も桜井にも実際に行ってみれば、もっと深々と保田與重郎を獲得できるのではないか。

この記事の中でご紹介した本
保田與重郎/勉誠出版
保田與重郎
著 者:前田 雅之
出版社:勉誠出版
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年10月27日 新聞掲載(第3212号)
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