ヤングスキンズ / コリン・バレット(ヤングスキンズ)経済的な絶望と暴力に囲まれた世界の虚無感から生じる慟哭|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年10月28日

経済的な絶望と暴力に囲まれた世界の虚無感から生じる慟哭

ヤングスキンズ
著 者:コリン・バレット
出版社:ヤングスキンズ
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例えば、アメリカのビート・ジェネレーションの作品に描かれているような、アルコールとドラッグに溺れた退廃的で暴力的な世界を中心とした物語。アイルランドの新鋭コリン・バレットの処女短編集『ヤングスキンズ』には、そのようなエッセンスが散りばめられた全部で七つの作品が収録されている。

なかでも、中核と呼んで良いのは中編としての分量がある「安らかなれ、馬とともに」だろう。ディンプナは、小規模だが部下を従えた大麻の売人の親分だ。ディンプナの主戦場は何しろ小さな街だから、街での商売は彼が独占している。用心棒である元ボクサーの友人のアームを連れて、彼が町中でドラッグを売りさばいていると、部下の一人が、ディンプナの家で催されたパーティーで末っ子のチャーリーを犯したという疑惑が持ち上がる。怒り狂ったディンプナはアームに指示を与え、懲罰を加えさせる。

アームには別れた妻との間に自閉症の息子がいる。愛する息子のことが気がかりなアームは、折に触れて会いに行く。日常生活で息子に注ぐ優しさと、裏の世界で加害者にならざるを得ない現実の狭間で、アームは揺れ動く。

そんな折、大麻を栽培しディンプナに卸している叔父の兄弟が、部下とチャーリーの一件を聞きつけ、ディンプナを呼びつける。そこから事態は大きく動き出し、暴力の連鎖が生まれていく。父であることと暴力の世界の間にある大きな地割れのなかから、ただ悲しみだけが流れ出る作品だ。

こうして、ただただ暴力に汚染された退廃的な物語が、今、アイルランドから生まれてくることに驚きを覚える。しかし、二十一世紀初頭に目覚ましい経済成長を遂げたアイルランドがその反動で〈二〇〇八年に不動産バブルがはじけ、財政赤字が広がって、深刻な不景気に陥って〉しまったこと(「訳者あとがき」より)を考えると、そのこともある意味では当然なのかもしれない。

ビートニクの文学と違うのは、彼らが消費社会、経済中心の社会へ反発したのに対して、ここで著者が描いているのは経済が不在の街である点だ。

〈俺たちの縄張り〉のなかですら祝祭が祝祭になりきれず、かつて恋した女性に想いを打ち明けられない「クインシー家の息子」。かつて無垢だった少女が帰郷し、残忍な光を瞳にたぎらせるようになってしまった悲哀を描く「月」と職場で可愛がっていた男の子が大学へ戻ってしまう送別会で、あぶれ者となってしまった男のおのれの所在のなさを嘆く「身の丈を知る」からは、七編の共通の舞台である街が、いかに経済からとりこぼされ、世界と隔絶しているかが伺える。

「おとり」では、〈僕〉とハスラーとしては凄腕のマー君がかつて恋破れた女性を車に乗せて、ビリヤード場へ連れて行き、見せ場を作ろうとする。順調に勝ち続けるマー君の前に街の不良が現れる。女性たちは店を出てしまう。マー君のために彼女らを追いかける〈僕〉は心のなかで叫ぶ。〈うまく人に従うことが、僕にとって自分を表現する唯一の手段なのだ。これまで誰かの相棒や使い走りといった立場より上になろうとしたことなんてない。そうやってさりげなく、なくてはならない存在におさまってきた。〉無軌道な若者は、自らが革命を起こす気力さえ持たない。この〈僕〉の叫びは、経済的な絶望と暴力に囲まれた世界の虚無感から生じる慟哭なのだ。

希望はない。その時に、若者が苦し紛れに声にならない声を発する。その音が本書には刻まれている。(田栗美奈子・下林悠治訳)

この記事の中でご紹介した本
ヤングスキンズ/ヤングスキンズ
ヤングスキンズ
著 者:コリン・バレット
出版社:ヤングスキンズ
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年10月27日 新聞掲載(第3212号)
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