盛田志保子『木曜日』(2003) 海水に耳までつかり実況のない夏休み後半に続く|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2017年11月7日

海水に耳までつかり実況のない夏休み後半に続く
盛田志保子『木曜日』(2003)

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結句の「後半に続く」というフレーズは、アニメ『ちびまる子ちゃん』でナレーションのキートン山田が入れるおなじみの台詞の引用だろう。あの声と口調はインパクトがあるから、ありありと記憶を呼び起こすことができる。なおこの台詞は、CM前の間を埋めるためにアドリブで入れたものが、原作者のさくらももこに受けて採用されるようになったものだとか。

夏休みに海水浴へ行って耳まで海に浸かりながら、キートン山田の声を思い出す。いってみれば自分自身が「ちびまる子ちゃん」になりきっているということだが、アニメとは違い自分に対しては実況もナレーションもツッコミも何も入らない。海中に沈んだ耳はひたすらに静寂をとらえながら、何のドラマも起こらない、どんな物語の主人公でもない自分の存在をただ実感する。パロディとはその元ネタのイメージを喚起することでテクストをポリフォニー(多声)化する行為だといえるけれど、この歌の場合はそのポリフォニーに徹底的な孤独と静寂が対比されているため、静かなような騒がしいような不思議な読後感を得られる。『ちびまる子ちゃん』のあの平和な賑やかさが、彼方の記憶として薄らいでいき、誰にもなれない自分だけが取り残されて夏休みは後半へと向かってゆく。

漫画やアニメからの引用は現代短歌にもたくさんあるが、一見引用と気付かせないくらいに静かで落ち着いたテンションのままパロディを練り上げた、珍しい一首である。(やまだ・わたる=歌人)

2017年11月3日 新聞掲載(第3213号)
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