ダンヌンツィオ 誘惑のファシスト / ルーシー・ヒューズ=ハレット(白水社)ダンヌンツィオの詩的上昇と獣的下降  その分裂のはざまにファナティスムが宿る|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年11月4日

ダンヌンツィオの詩的上昇と獣的下降 
その分裂のはざまにファナティスムが宿る

ダンヌンツィオ 誘惑のファシスト
著 者:ルーシー・ヒューズ=ハレット
出版社:白水社
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北イタリア・ヴェローナの西方にコモ湖などよりよほど野趣に富んだ湖がある。南北に長いガルダ湖である。湖畔は古代ローマでは《アルプスのこちら側のガリア》、《ポー河彼方のガリア》と呼ばれた地域で、さまざまな歴史の澱をいまに漂わしている。南岸より湖心に向かって北に細長く伸び出る半島がシルミオーネで先端に古代ローマの巨大な遺跡がみえる湖の西岸ガルドーニにダンヌンツィオの終の棲家ヴィットリアーネ、《勝利の館》がある。「私の運命がそこに住むように駆り立てているように感じる」と洩らしたところだ。もともとは十八世紀の農家でヴィッラ・カルニャッコと呼ばれ、ドイツのルネッサンス美術史家ヘンリー・トーデが所有していたものであった。イタリア政府によって1918年に没収されたこの家にはトーデの六千冊の蔵書とリストの孫娘でワーグナーの義理の娘でもあった妻のダニエラおよび彼女の母親コジマ・ワーグナーが演奏したスタインウェイのピアノもあったという。ダンヌンツィオは残された生涯をかけてこの家屋を「原形をとどめぬほどに改造」し、「ダンヌンツィオという特異な個性を外に向けて視覚化し」、みずからの才能とその倒錯に具体的な形をあたえた「隠れ家」という。今は記念館として多くの観光客を呼び寄せ、人の訪れが途切れることはない。田之倉稔も『ダヌンツィオの楽園―戦場を夢みた詩人』(2003年・白水社)にヴィットリアーネについてすでに同じ内容の簡潔な一文を残している。

本書では愛国の詩人であり、「よりよい世界の秩序、詩の政治を創り出すために働い」ていると信じ込んで身を投げうったガブリエーレ・ダンヌンツィオ、彼の吐き出す言葉の明確さにこころ揺さぶられたプルースト、詩心を衝撃をもって受け止めるエズラ・パウンドとエリオット、反発しつつ感嘆するロマン・ロラン、下司野郎と叫びつつ惹かれるヘミングウェイ、戦争の世紀を生きる文人たちの心と知が揺動する絵図がみごとな語り口でくりひろげられる。

本書の特徴はなんといってもダンヌンツィオがつぎつぎと求め、求められるさまざまな階層の女性たちとの関係を通して、つねに死がつきまとう現代のすべてを背負うダンヌンツィオ像を描ききったことであろう。性からほとばしるダンヌンツィオの詩的上昇と獣的下降、その分裂のはざまにファナティスムが宿る。ファッシズムの核心にはつねにこの捕らえがたいファナティスムの魔が漂っている。彼の吐き出す言葉のリフレイン、血、死者、栄光、愛、苦痛、勝利、イタリア、炎、ゆっくりと自己陶酔しながら繰り返される言葉が人びとの感情を揺さぶった。ムッソリーニは「ファシズムに関するすべて良きものの先駆者」と讃え、ファシストたちはダンヌンツィオはもう自分たちのものだと叫んだ。しかしダンヌンツィオは権力に行方に血迷う政治家ではない。女優エレオノーラ・ドゥーゼとの深い官能的な恋、聖セバスティアヌスへの陶酔、詩想への果てしない敬意、限りない政治幻想に沈みゆく作家であった。

1938年3月1日、ダンヌンツィオが脳溢血で死んだとき、朝日、毎日、読売の三大紙がこぞって彼の死を悼み報じたと田之倉稔は『ダヌンツィオの楽園』の終章「詩人の死」で記している。

本書の原題はザ・パイク(カワカマス)でそのまま象徴的な序章となる。イギリスの伝記作家ルーシー・ヒューズ・ハレットによる三作目の著作で、ダンヌンツィオの生誕150周年にあたる2013年に刊行されたものだという。翌年の2014年1月にはわが国でも生誕150周年記念展《ダンヌンツィオに夢中だった頃》(京都大学総合博物館)が開催されたことはあまり知られていない。筒井康隆の『ダンヌンツィオに夢中』を視野に留めての表題だろう。広報のビラには「ダンヌンツィオ作品は、日本でも英語等の翻訳を介して、上田敏、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、生田長江、有島生馬など、日本近代文学史上、錚々たる作家たちに読まれ愛され、訳されました。漱石門下の文学者、森田草平の場合、ダンヌンツィオの小説『死の勝利』に夢中になり、その主人公を模倣するような平塚雷鳥との塩原温泉心中未遂事件を起こしました」などと紹介され、「人生と文学」「ダンヌンツィオと日本」の二部構成で展示され、企画に関連する講演がおこなわれたことも記録にとどめておきたい。それより早く『比較文学研究』(東大比較文学會・1991年)に平石典子による「感覚の饗宴―ガブリエーレ・ダンヌンツィオと日本の世紀末」と題する雄編が存在することもいっておこう。

イタリア中部、アペニン山中に隔絶する農村アブルッツォに生まれたダンヌンツィオが「生き、書いた」すべての起伏を描き尽くした本書は、人びとを狂気へと駆り立てた戦争の世紀に揺れもがき、求める精神が時代に呑み込まれて破船にいたることもあったことを静かに教えてくれる。

残念ながら私たちはいま、ダンヌンツィオの訳書を『死の勝利』や『罪なき者』、三島由紀夫と池田弘太郎の訳による『聖セバスチァンの殉教』のほかにもたない。『快楽』や『夜想曲』が読まれる日が待たれる。(柴野均訳)

この記事の中でご紹介した本
ダンヌンツィオ 誘惑のファシスト/白水社
ダンヌンツィオ 誘惑のファシスト
著 者:ルーシー・ヒューズ=ハレット
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月3日 新聞掲載(第3213号)
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