広辞苑はなぜ生まれたか ― 新村出の生きた軌跡 / 新村 恭(世界思想社)『広辞苑』の編者新村出の人間像に迫る労作|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 広辞苑はなぜ生まれたか ― 新村出の生きた軌跡 / 新村 恭(世界思想社)『広辞苑』の編者新村出の人間像に迫る労作・・・
読書人紙面掲載 書評
2017年11月4日

『広辞苑』の編者新村出の人間像に迫る労作

広辞苑はなぜ生まれたか ― 新村出の生きた軌跡
著 者:新村 恭
出版社:世界思想社
このエントリーをはてなブックマークに追加
国民的辞書と言われる『広辞苑』をご存じないというかたは、あまりいらっしゃらないであろう。ではその初版の編者で、現在の第6版にも編者として名前が記載されている新村出しんむらいずるはいかがであろうか。『広辞苑』の名ほどは知られていないかもしれない。

本書は、その新村出が『広辞苑』以外に残した広範な業績はもとより、その人物像をも詳細に論じた初めての伝記である。しかも、著者は新村の孫で、のちに『広辞苑』の共編者となる新村の次男たけしの子息である。直系の孫だからこそ見ることのできた全集未収録の日記や、書簡などを駆使して、今まで誰も描くことのできなかった新村の実像に迫っている。『広辞苑』の成立事情について論じたものは、これまでもいくつか存在したが、新村の人となりを通して『広辞苑』成立の秘密に迫ったという点でも、本書は近代日本の辞書史において極めて画期的な1冊であろう。

新村が辞書とかかわりを持つようになったのは、本書によれば1930年の暮れからで、しかもそのとき本人は、必ずしも辞書の編纂には乗り気でなかったという。だが最初の辞書『辞苑』を皮切りに、さまざまな辞書とかかわりを持つようになり、やがては『広辞苑』という日本を代表する辞書へと結実させていく。新村が辞書とかかわっていくのは、たとえ最初は乗り気でなくとも必然の成り行きであったことが、本書を読むとよくわかる。

1984年の上田万年の講演「言語学者としての新井白石」との出会い、言語学者としてのグリム兄弟、特に兄のヤコブ・グリムの研究、天草版『伊曽保物語』に始まる「南蛮」研究、動植物名などを中心とした語源語史研究など、これらはすべて新村の辞書の編纂事業に直接間接を問わず影響しているのである。

さらに新村は「生粋の図書館人」であったという指摘も、注目すべき事柄である。あまり知られていないことだが、1911年から京都帝国大学附属図書館長となり、京大教授を定年退職する1936年まで実に25年間も図書館長を務めていたという。新村は1915年の熊本での講演で「図書館の任務は社会教育にあり」と述べていたらしい。現在でも図書館の重要な役割の一つに、利用者からの情報や資料に関する質問に対して図書館員が答えるレファレンス業務がある。その際に真っ先に利用されるものは、辞典、事典類である。新村は誰よりもそうしたものの必要性を理解していたに違いない。

本書で語られた家族への愛も親近感を持たせる。新村は奥さんとは当時珍しい恋愛結婚で結ばれたのだという。また、孫たちへの愛情に満ちた孫日記も、大学者のイメージとは違ったきめ細かな心遣いを垣間見ることでき、とてもほほ笑ましい。

末尾に添えられた交友録も面白い。佐々木信綱、高峰秀子、谷崎純一郎、柳田国男など実に幅広いのだ。「老いらくの恋」で有名な川田順とのエピソードは、新村のきまじめな人柄がうかがえて興味深い。

この記事の中でご紹介した本
広辞苑はなぜ生まれたか ― 新村出の生きた軌跡/世界思想社
広辞苑はなぜ生まれたか ― 新村出の生きた軌跡
著 者:新村 恭
出版社:世界思想社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月3日 新聞掲載(第3213号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
神永 曉 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 言語学 > 日本語研究関連記事
日本語研究の関連記事をもっと見る >