連 載 映画/映画作家/映画批評 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(31)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
2017年11月14日

連 載 映画/映画作家/映画批評 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(31)

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フィルムを“食する”ドゥーシェ
JD 
 『ブルジョワジーの秘かな楽しみ』を作ったとき、ブニュエルは何を考えていたのか。フランスの食事を見せ、その正体を暴くことでした。そして、その少し滑稽である面をも見せることでした。ブルジョワジーたちはテーブルの周りに何度も集い、食事をしようとします。しかし、場所を変え時を変えても、何かしらの問題が発生し食事にありつくことはできません。結果、食事にありつけない光景だけが延々と繰り返されます。そのような儀式めいたフランス風の食事の風景は、ある意味で演劇と同一視できるところがあります。ブルジョワジーたちは、とある食事に招待されます。やっと食事にありつけると思うやいなや、画面奥にあるカーテンが開かれます。そして自分たちが演劇の舞台の上におり、テーブルの外の世界があることに気づきます。交わそうとする言葉でさえ、演出家によって指示されてしまいます。ブルジョワジーたちは真実に向き合うことを強制され、騙されていたことに気づきます。不自然なシステムの中にいるということに向き合わざるを得ません。要するに、ブニュエルは「食」そのものを見せたのです。彼自身は、食事をすることをあまり好きではありませんでした。しかし、食事を好きな人々を見せたのです。そして、その食事好きの人々を罠にかけました。一種の迷妄からの解放です。スペイン人という外部の立場から、フランス料理を形づくる文化をことごとくユーモアをもって描いたのです。フランス人にとっては、非常に強烈な風刺でした。作品自体は、他に類をみないほどの傑出したものでした。
HK 
 ここまでフランス映画と「食」との関わりを話してきましたが、イタリア映画も同様に、食事の風景がよく出てきますね。
JD 
 確かにそうですが……フランス映画のようには取り上げていないと思います。
HK 
 マルコ・フェレーリのような作家がいたではないですか。
JD 
 もちろん。しかし、フランスで撮っています。
HK 
 あの作品もフランス映画として考えてしまっていいのでしょうか。マルチェロ・マストロヤンニとウーゴ・トニャッツィが出演した。
JD 
 『最後の晩餐』は、実際はフランス映画です。フランスの「食い道楽」の文化を批判するのではなく、皮肉をもって小馬鹿にした作品です。『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』とは反対に、この作品では、これでもかというほどに食事の光景が描かれています。登場人物たちは死に至るまで、散々に食事を堪能します。ブニュエルであれ、フェレーリであれ、外国の映画作家たちが、フランス人を、このような側面から見ていたのは、実に興味深いことです。そして、もしかしたらフランス人の作家たち、ゴダールやトリュフォーは、この時代において、フランスの食事を見せることに困難を覚えていたのかもしれません。
HK 
 ゴダールに関して、彼が本当にフランスの作家なのか、時々疑問に思うことがあります。スイスで育ち、現在もスイスの仏語圏に住んでいます。スイスという国家を考えてみても、根本的ところを考えてみれば、言語の同一性などの面で、常に定まったかたちはありません。まるでゴダールの作品のように。
JD 
 ゴダールはフランス人です。幼年期はフランスで過ごしています。フランス人でありながらスイス人でもあると言った方が正しいですね。ただ、私たちのようにカトリックではなく、プロテスタントです。そういった意味では、ゴダールは、色々な面で単純ではありません。
HK 
 トリュフォーと食事ということに関して、不思議に思うことがあります。彼は疑いようもなくフランス人です。それも根っからのパリジャンで、様々な食文化に触れ合う機会に恵まれていたはずです。
JD 
 確かにそうですが、彼は他の多くの人のように、十分なお金を持っていませんでした。加えて、トリュフォーの家族の不和はよく知られた話です。食事を好きになるためには、家庭が必要です。家庭というものも、フランス人にとっては重要な要素でした。料理の文化は、家庭と結びついています。とりわけブルジョワジーの家庭と結びついていました。一組のブルジョワジーの夫婦が幸せであるということを表すためには、きちんとした食事が必要となる。つまり、妻は料理を知らなければいけない。同時に、テーブルの周りに家族の集まりを作らなければならない。それが家族の結びつきとなるわけです。 〈次号へつづく〉
〔聞き手=久保宏樹/写真提供:シネマテーク・ブルゴーニュ〕

2017年11月10日 新聞掲載(第3214号)
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