震美術論 / 椹木 野衣(美術出版社)現代の神話とでもいうべき美術批評をつむぎ出す|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年11月11日

現代の神話とでもいうべき美術批評をつむぎ出す

震美術論
著 者:椹木 野衣
出版社:美術出版社
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震美術論(椹木 野衣)美術出版社
震美術論
椹木 野衣
美術出版社
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ポスト311の日本美術論である。特筆すべきは、東日本大震災の厄災を目の当たりにして、かつて椹木野衣が『日本・現代・美術』1998年において提唱した「悪い場所」の概念をさらに更新したことだろう。すなわち、彼は一直線的に発展しながら、同時に過去の蓄積を継続している西洋に対し、日本の戦後美術を反復と忘却というモデルから再考していたが、その根源を圧倒的な破壊をもたらす地震や津波を繰り返す地質学的な特性にまで接続している。言うまでもなく、それは西洋が呼ぶ「美術」が成立する状況とは異なるがゆえに、日本の美術とは何だったのか、を改めて問う作業になる。また本書は、2014年から16年にかけて『美術手帳』に連載したテキストをもとにしているために、過去の出来事を論じるというよりは、現在進行形のドキュメントのような緊張感をもって執筆されており、とくに「帰宅困難者地域の美術」を扱う終章はまだ確定しない未来に開かれている。

本書では、筆者も震災後に出会い、大きく影響された人物が登場する。例えば、2011年の3月末に訪れたリアスアーク美術館で、美術がもちうる伝える力について、怒濤のようにしゃべり続けた学芸員の山内宏泰。当時、彼は家を失い、収蔵庫の電源を喪失した美術館に暮らしていた。彼は震災前に津波被害を伝える展覧会を企画したにもかかわらず、全然話題にならなかったことを嘆いていた。山内は三陸沖津波の小説も執筆している。もう一人は、2011年7月に東北大でのレクチャーを依頼した在野の歴史家、飯沼勇義だ。彼は歴史の空白に注目しつつ、伝承や伝説の研究をもとに、巨大津波がやってくると予言し、警鐘を鳴らす本も刊行していたが、無視されていた。ともに、いわゆるアカデミックな研究という手法とは違うレベルで、津波のことを訴えていたが、日本の社会は完全に忘却していた。つまり、正統な歴史学や地震に関する学問が捉え損ねたのが、311である。

椹木の筆致は、こうした態度に共振しつつ、「いま必要とされるのは、自然を過度に客観視する姿勢や科学への妄信的信頼を乗り超えた先にある神話的想像力なのではあるまいか」と述べている。実際、彼は美術史学の方法では絶対に記述できない、現代の神話とでもいうべき美術批評を本書でつむぎだす。そして新しい知見を開示する。例えば、赤瀬川原平が、1959年の伊勢湾台風で胸まで水につかった経験をした後、作風が変化し、ネオ・ダダに転回したのではないかという指摘。写真家の東松照明も伊勢湾台風で家を流されたことを契機に、作風が変わったのではないかという。また311を受けて、作品を発表した陸前高田出身の畠山直哉や、村上隆の大作「五百羅漢図」に対しても、ダイナミックな論を展開している。とりわけ、水の想像力を手がかりに、水没する美術館から、磯崎新のお祭り広場の初期案、彼の先祖と瓜生島、「都市ソラリス」展をつなぐ視点は刺激的だ。

戦後しばらくは大地震がなく、水害も抑え込み、復興から高度経済成長、バブルに突き進んだが、再び、日本では自然災害が活性化している。世界的に見ても希有な震える大地に暮らしていたことがあらわになった今、美術だけではなく、様々なジャンルでの成立基盤の問い直しが必要だろう。が、一方で震災遺構もほとんど消え、被災地の風景は劇的に変わり、原発事故すら忘れられようとしている。それに抗う想像力が求められるはずだ。

この記事の中でご紹介した本
震美術論/美術出版社
震美術論
著 者:椹木 野衣
出版社:美術出版社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月10日 新聞掲載(第3214号)
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