小さな美徳 / ナタリーア・ギンツブルグ(未知谷)作家の素顔を垣間見させてくれる貴重な一冊|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年11月11日

作家の素顔を垣間見させてくれる貴重な一冊

小さな美徳
著 者:ナタリーア・ギンツブルグ
出版社:未知谷
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数年前まで、日本語で読めるギンツブルグの作品は、代表作『ある家族の会話』と、それ以後に書かれた数冊に過ぎなかった。ところが、二〇一四年に刊行された『わたしたちのすべての昨日』を皮切りに、望月紀子と未知谷のペアが初期作品を立てつづけに紹介してくれたことで、代表作にいたるまでのギンツブルグ文学の変遷が一望できるようになった。これは、愛読者にとってたいへん嬉しいことである。とくに、本書『小さな美徳』は邦訳書としては唯一のギンツブルグのエッセイ集であり、作家の素顔を垣間見させてくれる貴重な一冊といえる。

本書には、一九四四年から六二年のあいだに書かれた、合計十一篇のエッセイが収録されている。須賀敦子の言葉を借りるなら、「皮肉にも、小説以外のジャンルには、全く自信もなく興味もないと公言していた彼女の名声をにわかに高めることになった」著作である。収録作品はいずれも、ギンツブルグの文学や生涯をめぐる雄弁な証言として読むことができる。

文学史的な見地に立つなら、なんといっても「ある友人の肖像」と題された一篇が重要である。このエッセイには、エイナウディ社の同志パヴェーゼの想い出が綴られている。カルヴィーノはこの小文を、「パヴェーゼについて書かれた文章のなかで、間違いなくもっとも美しい一篇」と評している。批評家のなかには、一九五〇年八月に起きたパヴェーゼの突然の自死が、後年のギンツブルグの作品(『拝啓ミケーレ君』や『モンテ・フェルモの丘の家』)に深い痕跡を残していると指摘する向きもある。したがって、「ある友人の肖像」は、パヴェーゼについて知るための手がかりであるばかりでなく、ギンツブルグ文学の核心に近づくための指針でもある。

作家という職業について論じたエッセイ「私の仕事」も興味深い。若き日の著者を捉えていた「男のように書きたい」という強烈な思いは、出産と育児、南伊への流刑といった日々を経るうちに弱まっていく。それは、トマトソースについて多くを知っていること(これはもちろん、女であることの換喩だろう)が、「謎めいた遠い方法で」、自分の仕事に役に立つと感じるようになったからだという。ここには、生が文学に長い時間をかけて染みこんでいく過程が、丹念でありながら飾り気のない言葉で表現されている。

とはいえ、個人的にもっとも読み応えを感じたのは、やはり表題作の「小さな美徳」である。このエッセイは、タイトルからは想像しにくいのだが、「お金との付き合い方を子供に教えるときに気をつけるべきこと」をテーマとした教育論である。著者によれば、「よく勉強すればご褒美にお金をあげると約束する」ことは間違っている。なぜなら、そうすることで子供たちは、なにより貴重な価値を持つ「知る快楽」を、金銭的な価値と混同してしまうから。「お金」と「天職」のかかわりを論じた箇所もじつに面白い。天職とは「お金をいっさい当てにしない何かに対する特別の燃えるような情熱」であり、「人生に対する私たちの愛の最高の表現」である。親自身が天職を持ち、情熱をもってそれに奉仕していれば、子供は自然に自らの天職へ導かれるだろう。それこそが、親が子供に与えてやれるもっとも貴重な教育である。息子のカルロを歴史家という天職へ導いた母親の言葉だけに、説得力を感じずにはいられない。(望月紀子訳)

この記事の中でご紹介した本
小さな美徳/未知谷
小さな美徳
著 者:ナタリーア・ギンツブルグ
出版社:未知谷
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月10日 新聞掲載(第3214号)
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