鼎談=雨宮処凜×片山杜秀×大澤聡 90年代とはどんな時代だったのか 『1990年代論』(河出書房新社)刊行トークイベント採録|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年11月10日

鼎談=雨宮処凜×片山杜秀×大澤聡
90年代とはどんな時代だったのか
『1990年代論』(河出書房新社)刊行トークイベント採録

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第3回
虚構や物語が成立しない時代に

大澤 
 多様性を許容する多文化主義の果てに二〇〇〇年代に入っていって、「オンリーワン」「ありのままの君」というフレーズがJポップやドラマに広がります。まさに「今のままでよい」ですね。社会が冷酷ですから、その反動で人びとは包摂や承認をやたら求めるようになっていきました。ただ、かつては現状への不満が創造力につながっていた。これでいいんだとなると発展しないし、工夫もしなくなる。競争がないだけ心の平穏は確保されるけど、低い水準での安定になりがち。今の学生に関して創造性の欠落がいわれるけど、現状維持志向の時代だから仕方ない部分もあるんですよね。九〇年代後半生まれですから。その点、『生き地獄天国』はとにかく過剰で上昇欲にあふれている。今振りかえると紆余曲折もわるくなかったんですよね。
雨宮 
 よかったですよ。死にたいと思ってたから。最終的に死ぬと思えばなんでもできる。もうすごい万能感。
大澤 
 一九九三年に鶴見済の『完全自殺マニュアル』(太田出版)が出たけど、賛否両論湧き起こった。最後は死ねばいいと思えばなんだってできるよ、というポジティブへ反転させるメッセージにもなっていたはずですね。
雨宮 
 九〇年代後半、元いじめられっ子やフリーターが自分の周りでどんどん病んで自殺しました。出口がなくて、ここにいたら私も死ぬと思った。『1990年代論』に書き忘れたんだけど、九〇年代にAVで処女を捨てて話題になった人物がいた。井島ちづるです。「AVで処女喪失」からつながる企画AV女優になって面白がられて消費された。彼女は九九年に遺体となって発見されます。彼女の没後に出た本の帯に「雨宮処凜のライバル」と書かれてたんですけど、むしろ自分とそっくりで私は大嫌いだった。だけどずっと注目していました。彼女もまた九〇年代を体現していたと思う。
大澤 
 雨宮さんも井島ちづると同じ末路を歩んだ可能性もあると。
雨宮 
 紙一重ですね。あと、九〇年代後半のAVは本当にひどいですよね。あのとんでもなさも九〇年代的。
大澤 
 肉体を見せることよりも、物語やドキュメンタリーの構造の方に重点をおいて、サブカル的に手がこんでいる作品も多かった。ときには、とことん精神的にゆさぶって泣かせてしまうような胸くそ悪いものもあった。
雨宮 
 AV方面に行くと致死率があがるという印象があります。井島ちづるは九〇年代のサブカル女子の生きづらさを凝縮した存在で、「これは死ぬな」と最初に会ったときから漠然と感じていました。自分探しの果てに死者がたくさんいた。それも九〇年代の私の実感ですね。
片山 
 先鋭化は九〇年代のAVに限らず、遡っていくと暗黒舞踏や前衛演劇やフリージャズがかつてのフロントで、そこでも命がけで、死んだ人もいました。それらはカウンターカルチャーと結びついていた部分もありましたが、AV女優になって追い詰められていく人にとっては何があったんでしょうね。
大澤 
 サブカルとしてあえて虚構を楽しみながら演じきる女優と、マジでやってずぶずぶに心身を没入させていってしまう女優がいた。ネタとベタが共存してシーンをつくっていた。当事者へのインタビュー集になっている永沢光雄『AV女優』(文春文庫)を読むとそのあたりのことがよくわかる。
片山 
 そうですね。本気の人とその時どきのポーズでやっている人がいて、純情な人が結局は捨てられて傷ついて壊れてしまう。同じことは歴史的に繰り返されてきました。社会主義か資本主義か、もしくは右翼か左翼かで争っていた時代に起きたそれと、さらに豊かな九〇年代カルチャーのなかで起きていたそれはどう捉えたらいいんでしょうか。
大澤 
 かつてはもっと思想的にシンプルで対立軸もはっきりしていました。それが九〇年代に入ったころには冷戦体制も崩壊して、世界がのっぺりと資本主義に覆われていった。共産主義や社会主義がなくなりますから、世界史の弁証法が作動しません。大きな物語なり歴史なりはもう終焉したのだといわれました。それでも九〇年代はまだ現実を見ることなく、歴史の慣性でやっていけた。最初の話につなげると、いよいよモードや様式の先端がわからなくなっていくのが二〇〇〇年代。虚構や物語が成立しない時代に入っていく。その図式のなかで見ると、片山さんがおっしゃったサブカルの人たちも判断つかないところで演じていた部分がある。

この記事の中でご紹介した本
1990年代論/河出書房新社
1990年代論
著 者:大澤 聡
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
エキタス 生活苦しいヤツ声あげろ/かもがわ出版
エキタス 生活苦しいヤツ声あげろ
著 者:今野 晴貴、雨宮 処凜
編 集:エキタス
出版社:かもがわ出版
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月10日 新聞掲載(第3214号)
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