鼎談=雨宮処凜×片山杜秀×大澤聡 90年代とはどんな時代だったのか 『1990年代論』(河出書房新社)刊行トークイベント採録|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年11月10日

鼎談=雨宮処凜×片山杜秀×大澤聡
90年代とはどんな時代だったのか
『1990年代論』(河出書房新社)刊行トークイベント採録

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第5回
歴史が更新されていない

片山 
 二〇〇〇年代に個人主義の悪い部分が全面化し、家族も社会も面倒を見ない世の中になった。そうすると心を壊す人が出てきます。欧米では共同体が壊れて、「心の闇」が表面化すると牧師や神父がそこをケアしていたけれど、九〇年代の日本では精神科医やカウンセラーがそこで活躍する。
大澤 
 西欧には経済的にも承認的にも欠損を補〓するための代替的なシステムがあれこれありますよね。ドネーション文化もある。日本でも支援活動をする人はたくさんいますが、文化としてうまく定着しなかった。そこを欠いたままネオリベ化していって、むき出しの個人が放り出された。
片山 
 そして、「人生の敗者だから仕方ない」という声に苦しい人たちまでもが乗っかってしまった。日本は村社会的な要素が近代の都市社会になってもまだ残っていたけれど、最近はそれもなくなってしまった。突然、村社会から新自由主義に移行した感じです。
大澤 
 そのすきまにオウム真理教のような新興宗教が入り込んでくる。
片山 
 行く所がないから入信して共同生活をはじめた部分もある。
大澤 
 さっきのAVもそうでしたが、悪い顔も持つところが救いの手を差しのべる。雨宮さんは元オウム信者とも付き合いがあったそうですね。
雨宮 
 当時、わざわざ探して会いに行ってたくらいです(笑)。仲良くなって修行の方法も教えてもらったりしましたよ。けど、だんだん怪しくなっていって、「八万円払ってセミナーに参加すれば呼吸停止まで行ける」といわれて……。
大澤 
 こわいこわい(笑)。
雨宮 
 「八万円払って死ぬのか!?」と。そもそも八万円ももってない(笑)。とにかく生きているのがつらいから、オウムでも右翼でもいいから洗脳してくれというのが当時の本音でしたよね。
大澤 
 洗脳先や承認先としてどこを選択するかは、みんな偶発的なものだったでしょうね。かつては地域に講みたいなものがあって相互扶助が成立していた。それがないのなら、代替物を再帰的に構築しなければいけない。例えば、最近「子ども食堂」の活動を見かけますが、昔は地域で自然にやれていたことを人工的にやる。それしか選択肢はないと思う。この二十年間で失われに失われた網、つまりセーフティネットやネットワークをもう一回編み直そうとする動きがようやく出てきました。雨宮さんの近年の活動もそのなかにあるんだと思う。
雨宮 
 右翼に入る前、私には何もありませんでした。北海道から単身上京してきて、美大に行こうと考えて、二浪して、就職しようと思っても氷河期で就職もムリ。バイトをやってもしょっちゅうクビになる。バイトをクビになったら友だちもできない。もちろん、地域社会なんてものもない。人からあらゆる中間団体を奪い取ってしまえば、その人は右翼にも左翼にもなれるはず。もしくは宗教の信者。私は自分から近づいていったけど、当時はたくさん勧誘されましたよ。孤独だってわかるんですね。
大澤 
 雨宮さんの奇跡的な紆余曲折ぶりはやっぱり九〇年代的ですよね。
雨宮 
 むしろ、生きているのが奇跡(笑)。
片山 
 自分の経験をちゃんと書く。筋のとおった正しい生き方ですね。
雨宮 
 全部ネタにしないと損した気分じゃないですか。
大澤 
 タダでは起き上がらない。大変だったと思いますが、そうやって人生のなかで取り返すんですよね。ライブのこともそうだけど、雨宮さんは手持ちのリソースでいろいろ画策するのが好きなんでしょうね。切羽詰まった状況にあるからこそひねり出てくるクリエイティビティ。冒頭の話に戻せば、現状に満足できない、もっと何かしたい、という渇望感が善用されて創造性につながっている。雨宮さんのありえた別の人生として、渇望感が悪用されるケースもあったはずだけど、その両義的なぎりぎりのところでやってきた。ただ、その面白さを今の若い世代に伝えるのはなかなか難しい。
雨宮 
 エキタスという団体が『エキタス 生活苦しいヤツ声あげろ』(かもがわ出版)を出版したんですが、そこに「ロスジェネ世代」と「ゆとり世代」のちがいが書かれていました。ロスジェネ世代は途中で奪われたものがあるから怒っているけど、ゆとり世代は奪われたんじゃなくて最初からないから怒りようがない。だから、そこで「怒れ」といってもただのうっとうしい人になってしまう。
大澤 
 「社会に対してもっと怒っていいんだよ」が自己陶酔的な説教になってしまう。下手をすると、悪の手を差しのべる側に回ってしまいかねない。例えば、『エヴァンゲリオン』の話をしようにも面倒な年長世代になっているのではないかと防衛機制がつい働いて、僕たちの世代の多くは自分の体験をなかなか語らない。『1990年代論』はそこを突破しようとあえて企画された側面があります。ところで、『エヴァ』は当時見ました?
雨宮 
 何となく見てはいましたよ。
片山 
 『アキラ』やもっと前のアニメのパロディに見える要素がふんだんに盛り込まれている印象でしたね。
大澤 
 九〇年代はポップカルチャーを含めて、あらゆるジャンルが成熟しつくして、その先でパロディへと転化しました。今、結成二十年や三十年のバンドがごろごろいて、九〇年代の固有名たちがいまだに現役であり続けていられるのも、一定の成熟に達して以降を僕たちが生きているからですね。つまり歴史が更新されていない。新しいものは出てくるんだけれど、九〇年代の文法やフォーマットでやれる。ここにも「歴史の終わり」を見ることができる。
片山 
 歴史がストックになるんですね。でも、そのストックがきちんと共有されているかといえば、ジャンルが多様化しすぎて共有できていないのではないか。同じ大学の同じ学部の同じ学年の学生同士でも話が通じない。そんな状況が広がっています。個々人が自由に選択できて、それはすばらしいことだと思うけど、大澤さんが本のなかでこだわっていたように、それでは共通認識は育ちようがない。

この記事の中でご紹介した本
1990年代論/河出書房新社
1990年代論
著 者:大澤 聡
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
エキタス 生活苦しいヤツ声あげろ/かもがわ出版
エキタス 生活苦しいヤツ声あげろ
著 者:今野 晴貴、雨宮 処凜
編 集:エキタス
出版社:かもがわ出版
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月10日 新聞掲載(第3214号)
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