「改組 新 第4回日展」開催 書家・井茂圭洞氏に聞く|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年11月10日

「改組 新 第4回日展」開催 書家・井茂圭洞氏に聞く

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第2回
京都学芸大の書道科を経て高校、大学で教鞭を

八田若郎女をおもう歌 改組新第4回日展 2017年
大学入学後は神戸の深山先生の塾へ通うようになった。しかし、すぐに「もう手本は書かないよ」と突き放された。「何と愛情のない先生かと思いましたが、そうではなかった。ずっと手本をもらっていたら、ものまねは上手になっても自分で書けるようにならなかったのです」と振り返る。
ただ、勉強の仕方は示し、添削してくださった。先生は一番悪い所を一カ所直す。次に行くとそこは直る。そしてまた次に悪い所、ということで、何回も添削してもらうと、それは手本をもらったのと同じだと考えた。まとまったものをもらってまる覚えしたのでは応用がきかない。効果が全く違うのだった。

大学の二年からは日展に挑戦するように指導を受け、自分なりに書いて出品し、二、三、四年生と続けて落選したが、卒業した秋に初入選を果たした。初入選で書いた歌は、若山牧水の「けふもまた こころの鉦を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれて行く」。毎日心を奮い立たせて自分の思いに憧れて生きていくという、自身のモットーにもつながる歌であった。

大学卒業後は、私立の女学校の書道教員として九年間勤めた。日展には昭和三十六年から八年間連続で入選していたが、九年目の改組一回展で落選してしまった。それが転機となった。このまま高校の先生を続けていてはだめだと思い、退職届けを出した。当時は塾が盛んな頃で、夫人と二人で教えていこうと、選択肢はそれしかなかったという。

しかし、その八年後には思いがけず母校の京都教育大学にかなの教師として呼ばれることになる。専任で週に三日勤め、一九九一年からは教授を務めた。そして五十七歳のときに、人事権と財務権がある企画委員長に指名された。「それは教授会で根回しが必要な仕事で、そんなことをしていたら字を書けない。企画委員長は学長になる一つの道ではありましたが、これは私の任ではないと思って辞任することにしました」。常に書を第一に考えての選択をしてきたのだ。
現在は日展の副理事長を務められているが、今年百十年を迎える日展について伺った。
「主義主張がはっきりした芸術団体で一一〇年会が続くという事は大変なことだと思うのです。伝統の力は大変意義があると思いますが、時代に即して発展していかなければなりません。そしてそこで生まれるデメリットの面は自浄能力で改善したいと思います。また時代時代で、日展自身が話題の人を作り出し、才能がある人を押し出すシステムをつくらなくてはいけないと思います。かつて豊道春海先生が文部省に働きかけてくださり書道を日展に入れていただいたのが昭和二十三年です。戦後、食料がない時に日展を開いた人たちは、おそらくひもじい思いをはねのけて作品を書かかれたわけで、やはり作家精神が一番大事です。そして多くの方に展覧会をよく見に来ていただくことです。このふたつがうまく重なると、日展に出品する新しい作家が増えることにつながると思います」

2017年11月10日 新聞掲載(第3214号)
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