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2016年8月26日

二十世紀の貴重な証言 波瀾万丈の個人史を通して、政治史と思想史の局面を切り出す


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本書は、第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人の絶滅作戦を主題化した証言ドキュメンタリー映画の大作『ショアー』で知られる、フランスのクロード・ランズマンの半生を本人が振り返った口述筆記である。ランズマンが一九二五年に生まれてから八五年に『ショアー』を完成させるまでの約六〇年間が回顧されており、本書は何よりも二十世紀の貴重な証言となっている。二次大戦中の対独レジスタンス、戦後のアルジェリア独立闘争支援、記者としての各国からのレポート執筆、ジャン=ポール・サルトルをはじめとする知識人らとの広範かつ濃密な交遊関係、イスラエルへの深い関わりなど、どの回顧を眺めても時代の息吹をはっきりと感じさせられる。

ランズマンの名前が日本で広く知られたのは、『ショアー』が日本語字幕付で公開された一九九五年以降だ。四五年の終戦から〈戦後五〇年〉という区切りにおいて、戦争をめぐる記憶と忘却の争いが日本社会のなかで高まる一方で、証言者の寿命が迫り戦争体験の伝達が物理的限界に直面し始めたこと、そして戦争を表現し伝える方法論や歴史認識論が全面的に問われたことによる。

折しも日本では、「ユダヤ人の虐殺はなかった」「ガス室はなかった」というホロコースト否定論・ユダヤ陰謀論が出回り、それが「南京大虐殺はなかった」「朝鮮人の強制連行はなかった」という自国の歴史修正主義にも結びついていた。加えて、ホロコーストから約一〇〇〇人のユダヤ人を救ったとされる男を描いた『シンドラーのリスト』というスピルバーグ監督映画が「感動のノンフィクション」として日本でも九四年に大ヒットしたという背景も手伝い、それとは全く異質でかつ批判的なランズマンの『ショアー』は大いに注目された(「ショアー」とは破滅を意味するヘブライ語でホロコーストを指す)。

このとき流行した言葉は「表象(不)可能性」だ。虐殺・絶滅という出来事は、そもそも体験者がみな死んでいるために証言者が存在しない。ホロコーストに限って言えば、死体は焼却されガス室は解体され、虐殺の痕跡さえも抹消された。あるいは稀な生還者があったとしても、その出来事があまりに常軌を逸しているために理性的な言語で証言することが不可能だったり、かろうじて言語化したところで、聴く側がそれを理解できなかったりする。原理的に二重三重の困難があるのだが、それを易々と踏み越えて、起承転結のある分かりやすい感動の物語を捏造したのが『シンドラーのリスト』であるというわけだ。

批判のポイントは大きく二つある。一つは、この映画が、救出したシンドラーと救出されたユダヤ人を描いたとしても、絶滅収容所そのものはまったく描いていない点。もう一つは、「結」の部分で、スピルバーグが収容所から解放され彷徨うユダヤ人に対して戦後に建国されたイスラエルを提示し、ホロコーストとイスラエルとを直接的に結びつけている点。ランズマンは正当にもこの二点についてスピルバーグを批判した。その映画はホロコーストを描いてはいないし、犠牲者たちはイスラエル建国のための贖いではない(下巻142頁)、と。

それゆえ『ショアー』は戦略的に、生還者のユダヤ人、ナチスの関係者、収容所を目撃したポーランド人の証言を、物語に再構成せずに断片的なまま延々と9時間半にもわたって提示した。起承転結も救いもない。しかもそれを暗く閉ざされた映画館で観つづけることは苦痛さえ強いるし、わずかに収容所を想起させうる。『ショアー』は、理論的かつ倫理的に表象不可能性の問題を観衆に突きつけているのだ。

だが、本書を読んでより新鮮な驚きを覚えるのは、日本でも議論の蓄積のある『ショアー』について以外の部分である。第一には、ランズマンのユダヤ人アイデンティティとイスラエル国家との関係である。ランズマン自身は、対独レジスタンスを経てもなおユダヤ人意識は強くなく、一九五二年に初めてイスラエルを訪問するまで、イスラエルについての知識も関心もなかった。また、『ショアー』の制作を始めるまでホロコーストについてさえまったく無知であった。むしろ自分が「古いタイプのフランス人」として「しっかりとフランスに根をはっている」と自覚し(上巻269頁)、サルトルの有名なユダヤ人論の「ユダヤ人は存在しない。反ユダヤ主義がユダヤ人を作る」という立場を共有してさえいた(上巻229頁)。しかし、イスラエル訪問でランズマンは「歴史的主体としてのユダヤ民族」に「出会い」(上巻281頁)、自らもまたその一員であるという民族アイデンティティを獲得すると同時に、そのユダヤ民族の作ったイスラエル国家を信奉するようになった。この点で、ランズマンは明確にシオニスト(ユダヤ人国家としてのイスラエルの支持者)である。帰国してすぐにランズマンは自分のユダヤ人観が一変したことをサルトルに報告に行き、サルトルのユダヤ人論を批判するようになる。

ランズマンのシオニストとしての頑さは、彼自身が真摯にコミットしたアルジェリア独立運動との関連においてさらに鮮明になる。ランズマンは、フランス国民として自国の植民地主義に反対し、弾圧・逮捕されながらもアルジェリア独立を支援した。フランス植民地の西インド諸島出身でアルジェリア独立の闘士フランツ・ファノンとの直接的交友もまた本書の印象的かつ重要な一節をなしている(下巻15章)。しかし、いざ独立したアルジェリアの指導者らがパレスチナ解放闘争の支援を表明するや、ランズマンは激しく憤慨。アルジェリアとの関係は「すべて終わった」(下巻96頁)。自ら編集した雑誌『レ・タン・モデルヌ(現代)』の「イスラエル・アラブ紛争」特集号の冒頭に、マクシム・ロダンソンによるシオニズム批判の論考「イスラエル、植民地主義的現実?」を掲載したことも間違いだったと後悔し、イスラエルが植民地主義であったことなどないとまで断言する(下巻155頁)。

正直、評者として落胆を覚えるほどに、ランズマンはイスラエル国家に対する批判的距離を保つことができず、自らと一体化してしまっている。シオニズムが欧米大国とヨーロッパ出身のユダヤ人による植民地主義の一形態であることはもはや議論の余地はなく、例えばイェフダ・シェンハヴといったイスラエル国内の中東出身アラブ系ユダヤ人の研究者らにも浸透している。ランズマンはイスラエルで自分が「外なる部内者」であり、イスラエルが「異邦であり同胞である」と書いてはいるが(上巻270頁)、その自己認識は甘すぎると言わざるをえない。

驚きを覚えた第二点は、若い学生時代からのランズマンのフランス知識人界での交友の広さだ。戦後すぐに哲学研究者として、20歳年長のサルトルと親交を深め始めるとともに、ヘーゲル哲学研究者のジャン・イポリットに師事し(イポリットの『精神現象学の起源と構造』を書店で万引きした逸話つきで!)、同級生として秀才ジル・ドゥルーズと成績を争っている(上巻8章)。

サルトルとの交友は、必然的にその私生活上のパートナーであったシモーヌ・ド・ボーヴォワールとの接近を意味し、そして一九五〇年代の数年間はランズマンとボーヴォワールとは事実婚状態で同居することとなり、サルトルとの「三角関係」のなかで議論や旅行を重ねていった。付言すれば、同時期にランズマンの妹エヴリーヌは、ドゥルーズと交際し破局した後に、その傷を埋めるようにサルトルと交際していたが、同書にはそのテン末を複雑な想いで見守った兄の苦悩も綴られている。私的関係は複雑を極めるが、こうした人間関係と思想的影響関係の暴露もまた、本書の生き生きとした面白さの一部をなしている(上巻9章)。

しかし、三点目としてそれ以上に驚嘆するのは、ランズマンの性的衝動の強さである。同書の随所にさまざまな女性との交際や結婚の逸話がちりばめられているが、なかでも印象的なのは、イスラエルや朝鮮民主主義人民共和国などの訪問先で、名前も分からずときには言葉も通じない女性に一目惚れをしては、強引に恋愛関係に持ち込むために策を弄する場面だ。ランズマンの人並みはずれた行動力がにじみ出ているとも言えるが、マッチョさをも象徴している。なお、朝鮮からの帰国後に女性から届いた絵葉書が、なんと本書全体をとおして唯一掲載されている写真なのである!(下巻38―39頁)。

最後に翻訳について。口述筆記であるこの回想録を、訳文はランズマンの自由闊達な語りの雰囲気まで日本語にうまく移し替えている。ただし、ヘブライ語、アラビア語、ドイツ語、ポーランド語など、多言語にわたる固有名詞の表記については、不適切なものが散見される。しかし、そうした欠点を補って余りある訳業である。ランズマンの波瀾万丈の個人史を通して、二十世紀の政治史と思想史のいくつかの局面が立体的に彩られて切り出されている。(中原毅志訳)

2016年8月26日 新聞掲載(第3154号)
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