分解する / リディア・デイヴィス(作品社)小さな感情の発火点 作家自身の、原型のような、結晶のような、作品群|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

読書人紙面掲載 書評
2016年8月26日

小さな感情の発火点 作家自身の、原型のような、結晶のような、作品群

分解する
出版社:作品社
このエントリーをはてなブックマークに追加
『分解する』不思議なタイトルだ。原題はBreak It Down。直訳すれば「それを分解しなさい」。でも「それ」っていったい何だろう?

アメリカで一九八六年に出版された本書は、リディア・デイヴィスの実質的なデビュー作だ。日本では、これまでに長編『話の終わり』を含む三冊の本が翻訳されており、この短編集が四冊目となる。『ほとんど記憶のない女』や『サミュエル・ジョンソンが怒っている』と同じように、本書にも、ごく短い、バラエティ豊かな短編が数多く収録されている。その数は三十四編。それでも前二作の短編集に比べて少なめなのは、ほんの数行だけの作品がまだ少ないからだが、すでにリディア・デイヴィスらしさは存分に発揮されている。

表題作の「分解する」では、ある男が別れた女との思い出の日々を、金銭的、時間的価値に「分解」し、なんとかその収支を合わせようとする。まるで黒字になれば失恋の痛みが消えるというように。しかし、どんなに小さな出来事に「分解」しても、男の痛みは消えない。いや、むしろその小さな出来事の中に、常に痛みが準備されていたことを、男は、そして私たち読者は、思い知らされることになる。

この男と同じように、デイヴィスもまた「分解」する。彼女が「分解」するのは、一見複雑に見える私たちの感情。誰の心の中にもある、原型のような感情を、彼女はピンポイントで指し示す。怒り、恐れ、不安、あるいは、希望。彼女は「小さな黒い手帳」を持ち歩いて、小さな感情の発火点を探していた。『サミュエル・ジョンソンが怒っている』の訳者解説には、デイヴィスのこんな言葉が引用されている。
「私は自分の短い小説が、ある種の爆発のように、読み手の頭の中で大きく膨らむものであってほしいと願っているのです」

彼女の淡々として感情のこもらない文体の、その空白に、普段は口にされることのない私たちの感情が、一つ、また一つと呼び起こされる。

その一方で、デイヴィスは小説さえも「分解」する。詩を愛するという彼女は定型的な小説を書くのが苦手で、だから作品を書くときに特定の形式に頼ることはしない。なにもプランを持たないまま、一つのアイデアやフレーズから始め、言葉そのものに導かれるようにして、彼女は小説を書くという。様々な形をした小説の原型のような短編たちが、そうやって生まれた。

本書に収められているのは、リディア・デイヴィスという作家自身の、原型のような、結晶のような、作品群だ。実際に、本書の中のいくつかの短編は、のちに長編『話の終わり』の中に活かされている。たとえ無人島に行っても小説を書き続けるという彼女の、書くことが好きでたまらないという真っすぐな情熱が、今もそのままに生き生きと感じられる短編集である。

最後にリディア・デイヴィスの小説世界を知る手がかりとして『ほとんど記憶のない女』から「自分の気分」の一部を引用しておく。
「もしも生きることに絶望しても、この絶望は大して重要ではないかもしれないと心のどこかで思えれば、絶望しなくなるか、あいかわらず絶望はしていても、この絶望だって中心から端に移動して、その他大勢のものごとの一つになるかもしれないのだと、ほのかな希望がわいてくる」

リディア・デイヴィスは怒ってはいない。たぶん、ちょっと絶望しかけているかもしれない。でも、その飄々とした眼差しは遠くを見つめている、いちばん初めから、ずっと。
この記事の中でご紹介した本
分解する/作品社
分解する
著 者:リディア・デイヴィス
出版社:作品社
以下のオンライン書店でご購入できます
2016年8月26日 新聞掲載(第3154号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
高橋 雅康 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 外国文学 > アメリカ文学関連記事
アメリカ文学の関連記事をもっと見る >