正岡子規『竹乃里歌』(1898) 久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2017年11月28日

久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも
正岡子規『竹乃里歌』(1898)

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正岡子規が大の野球好きであったことは有名で、「打者」や「走者」といった野球用語の邦訳の考案者でもある。そしておそらく本邦初だろう野球を題材とした短歌連作も作っている。ちゃんとプレー人数に合わせて九首構成で、シャレも効いている。

当時の歌人の中には古今和歌集を聖典とする保守的な層も少なくなかった。そういう歌人たちは、和歌に「アメリカ」や「ベースボール」なんてカタカナ語を使うとは!みたいな怒りの声をあげたりしたかもしれない。しかし子規が野球が文学の素材になることに気づいていなかったら、現在にまで至る野球漫画やスポーツ漫画の隆盛はなかった可能性がある。惜しむらくは、もうちょっとクオリティの高い歌残せなかったのかな、なんて思ってしまうのだが。

そして子規の野球短歌のうちの一首がこの掲出歌。「久方の」は本来、「天(あめ)」や「雨」にかかる枕詞である。しかしこの歌ではなんとアメリカの「アメ」にかけてあるのだ。いってみればダジャレ的な使い方。けれどもこのダジャレ的な枕詞の使い方が、古典和歌のお約束をからかうパロディとして機能した。そのために「古典和歌っぽいもの」を目指していたそれまでの和歌が相対化されてしまったといえるのだ。パロディが生み出すユーモアは、ときに頑迷固陋とした形式主義に鮮やかなカウンターを食らわせることがある。ダジャレが短歌を変えてしまったなんて話、ちょっと痛快ではないですか。
この記事の中でご紹介した本
正岡子規全歌集 竹乃里歌/岩波書店
正岡子規全歌集 竹乃里歌
著 者:正岡 子規
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月24日 新聞掲載(第3216号)
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