視覚の生命力 / 柏木 博(岩波書店)視覚の持つしぶとい生命力  住み慣れた部屋は記憶装置でもある|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年11月25日

視覚の持つしぶとい生命力 
住み慣れた部屋は記憶装置でもある

視覚の生命力
著 者:柏木 博
出版社:岩波書店
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視覚の生命力(柏木 博)岩波書店
視覚の生命力
柏木 博
岩波書店
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長年、デザインの評論に取り組んできた柏木博さんの、最新の著作である。テーマは「視覚」。

目は、五億年前に誕生したが、現代においても視覚文化は未だに生命力を保っている。文字文化が訪れた後においても、なぜ視覚文化は消えないか? その理由として、柏木は「デジタル画像が圧倒的な力を持って、私たちの身のまわりを覆っていったことと無縁ではない」という。そこで、デジタル写真についての考察も展開される。

モニターで対象を見るデジタル写真は、ファインダー越しに覗くそれまでの写真と何が異なったか。柏木は、デジタル写真の眼差しを「コピーする」行為だという。それは記憶する行為だともいう(ちなみにファインダー越しの撮影は「狙い撃つ」=シュートするものという)。

記憶、というキーワードが出てきて、そこから論は「室内」というものへとスリリングに展開していく。私たちは、記憶を、住み慣れた部屋に配置されたものと重ねているという。その反対のものとしてはホテルの部屋をあげる。ホテルが居心地が悪いのは、そこに記憶がないからで、柏木はベンヤミンの言葉を引いて、住み慣れた部屋というものは「記憶装置でもある」という。長い間、デザインの批評活動で、色々なモノをみて、モノを論じてきた柏木の、モノに対する面目躍如である。室内のものは、記憶と、それは人そのものと深く関わっている。

そのような議論を読み進んでいくと、この本の前半部で取り上げられていた、俳人・正岡子規が晩年を過ごした部屋への論考が、生き生きと一つの議論に集約していく。死を前にして、寝たきりの正岡子規にとって、部屋のガラス窓から見る世界は、もう宇宙そのものとなっていた。私などは、「いくたびも雪の深さを尋ねけり」の句などは、短い文学であるがゆえに体力も衰え死を前にした俳人であるがゆえに残せた作品で、そこにシャッターを押すだけで済む写真に近いものを感じるが、柏木は、この死を前にした子規の部屋を、あたかも一つの「カメラ」のように描写する。ガラス窓というファインダー越しに世界を覗くカメラと化した室内なのだ。そこでは子規は、視覚だけの人間となっていく。そこに、視覚というものの持つ、しぶとい生命力も感じる。

この本の帯には、「視覚を主題として、文学からグラフィック・デザイン、あるいは室内、現代美術からマンがなどさまざまなものを対象にして、視覚の持つ力、いってみれば視覚の生命力とでもいうべきものを浮かび上がらせたいと思う」とあるが、まさにそういう本である。

ところで、個人的に気になったのは、「序」で解剖学者・三木成夫について触れていて、それがこの本の論の展開とどう関わるか、ということだった。しかしそれ以降、三木への言及はなかったので、読了後、改めて序を読んでみた。

そこで柏木が三木の世界に見ていたのは、見る学問である形態学における「記憶」の問題だった。三木は「かつてのかなた」という、いわば生命進化の遥かな記憶や、胎児の世界の向こうにある記憶を重視したが、本書を読み終えた後に、改めて三木の世界に触れると、この本で柏木が、視覚というものをいかに大きなパースペクティブの下にとらえようとしたかということも分かった。

この記事の中でご紹介した本
視覚の生命力/岩波書店
視覚の生命力
著 者:柏木 博
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月24日 新聞掲載(第3216号)
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