これがすべてを変える 資本主義VS.気候変動 上 / ナオミ・クライン(岩波書店)驚異の元凶は何か 「環境正義運動」が目指すもの  温暖化による危機を多面的に描き出す|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年11月25日

驚異の元凶は何か
「環境正義運動」が目指すもの 
温暖化による危機を多面的に描き出す

これがすべてを変える 資本主義VS.気候変動 上
著 者:ナオミ・クライン
出版社:岩波書店
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本書は『ブランドなんか、いらない:搾取で巨大化する大企業の非情』、『ショック・ドクトリン:惨事便乗型資本主義の正体を暴く』などで知られるナオミ・クラインが2014年に刊行した、気候変動問題についての著作である。世界各地でベストセラーになっており、ニューヨークタイムズ誌はレイチェル・カーソンの『沈黙の春』以来、最も重要な本であると評している。評判どおり、前二著にもまして著者のジャーナリストとしての実力が発揮されている。クラインは学者ではないし、地球環境問題の専門書ではないのだが、良質なリサーチ・ジャーナリズムの視点から繰り出してくるクラインの議論は、多くの読書人をはじめどの分野の専門家にとっても傾聴に値するだろう。

クラインの秀逸なところは、ともすれば終末論的な響きさえしかねない温暖化による地球の危機を、多くの取材から多面的に描き出したところだ。気候変動問題への「懐疑派」シンクタンクが主催する国際会議がどのようなシステムで運用され、いかなる言説を生産し世論を操作しているかが論じられる。また環境の保護を掲げるはずの大規模環境団体(ビッグ・グリーン)が、化石燃料業界や右派の新自由主義を推し進める企業やシンクタンクなどから大きな資金を得て「環境と経済を調和させる」というイデオロギーを喧伝しており、「グリーン・ウォッシュ(うわべだけの環境対応の宣伝)」を進め、ほとんど「裏切り」に近い立場にあることなどが描き出されている。そもそも、環境は経済とバーターになるのだろうか?経済の側には、強力なロビーがあるが、環境を代弁するのは名もない市民や第一次産業に従事する先住民といった弱者だから、その間に調和を想定するのはそもそもフェアではない。新自由主義の勃興期という「最悪のタイミング」に重なった温暖化への対応は遅れがちで、「大気」は化石燃料の最も意識されない「ゴミ捨て場」になってきた。「規制緩和型の資本主義システム」の暗部が、気候ポリティックスを支えているというわけだ。またアメリカ的な「エコフレンドリーな大金持ち」が環境にやさしいことをアピールしているが、その虚実も多くの着実な取材から明らかにされるのは圧巻である。彼らの常套手段である「地球工学」(工学的に温暖化を制御する試み)が、科学技術万能的な楽天主義を超えて、ほとんど「トンデモ系」に近いこと、そこに流れ込む彼らの巨額の資金源や政治的支援の文脈などが丁寧に示され、驚愕するばかりである。

さらにアメリカ・カナダでのシェールガスの採掘反対運動を始めとする先住民による環境運動の前線もつぶさに報告されており、化石燃料企業の乱脈ともいえるような活動を制御するための動きが活写されている。特に北部アメリカの先住民(ファーストネーション)による運動が多くの拠点を形成し、それが世界的な連帯を生むネットワークとなっているという。困難ななかで粘り強い運動が展開していること、そしてそれを裏打ちする先住民の持つ「自然と文化」の関係についてのフィロソフィーが、クラインによる深い理解とリスペクトとともに語られることには、不謹慎かもしれないが、ある種の美しささえ感じさせるものである。
本書は、地球環境の危機を前にしても社会が「強欲」に動かされ、惑わされていることにたいして悲壮な響きを持つものである。だがクラインは、そこに「チャンス」も見いだしている。世界各地で闘われている環境正義(エンヴィアロンメント・ジャスティス)運動は、資本主義的な強欲や、自然からの野放図な採取/搾取主義(エクストラクティヴィズム)を、全て一気に変える(チェンジ)と言うのだ。「正義」という言葉が大上段に繰り出されることに鼻白んでいる場合ではない。これはわれわれのサバイバルにかかわることだ。悲壮感、絶望や諦め、どうしようもない怒りのなかで、それでも共感と「希望」を見出しているという意味で、クラインはサルトル的な意味での「まっとうな左翼」であるだろうし、温暖化問題についての「左翼のための言説」がまさにここにあると言える。

日本の読者層には、石油掘削地帯の先住民も環境難民も、いわば遠い存在かもしれない。だが温暖化の脅威は着々と迫っているし、その元凶は何かについて、真剣に考えることが必要となっている。ではどのように?社会運動や変革、そして「正義」が出てくると、やや立ち止まる。だがそのような悲観主義を見越したように、クラインはいくつかの「気付き」、もしくはある種の「思想的なばね」をわれわれに与えてくれる。その一つが、奴隷制反対を成し遂げたことへの言及だ。気候正義運動が要求するのは、現在の政財界の既得権益層が手にしている何兆ドルもの富を手放すことで、それは「奴隷制廃止運動以外に先例を見出すことができない」。それでも奴隷解放はなされたではないか。多くの犠牲が必要であり、南北戦争から南アのアパルトヘイト廃棄まで長い闘いではあったが、これはなんとか現実のものとなった。

もちろん奴隷は法的な権利を獲得したが社会的平等が達成されたとは言えないし、現在でも闘いが続いている。だからこそ、地球温暖化に取り組むことで資本主義自体の変革に向かうことは、奴隷解放運動が辿った道のりとパラレルでもあると論じている。その時われわれが依拠すべきなのは、奴隷は効率が悪いので賃金労働のほうが安くつくと言ったアダム・スミスの論法ではない。奴隷制の廃止をめぐって起こった倫理や人間観の変換、そして社会の仕組みそのものの変革が、今また必要なのだと訴えている。倫理的な要請が人間の心に刻み込まれれば「チェンジ」は起こるべくして起こる。そのような変革のための時間はまだあるという。

本書はアメリカではレイチェル・カーソンになぞらえられたようだが、日本では「公害」という言葉を生み出した宮本憲一の『恐るべき公害』(1964年、岩波書店)、そして宇井純の一連の仕事を想起した。いまや「公害」は「地球環境問題」と名前が代わってしまった。だがクラインが警鐘を鳴らすのは、それはすでに限界を超えつつあるということだ。温暖化は深刻であり、まさに宇井純が指弾していたように、その元凶は巨大化し高度化した資本主義そのものである。環境と経済発展のバランスを取るといいながら、新自由主義によって肥大化した「強欲主義」は地球をむさぼり喰っているではないか。だから温暖化は「公害」であると定義をし直してみよう。そこに「第三者」は居ない。そして「汚染源」を突き止めよう。われわれはクラインのこの書を持って、宮本や宇井が示した地点に還る必要がある。汚染物質を垂れ流している元凶に責任を取らせ、早急に対策を考じなくてはならないのだから。

最後になるが、本書ではクラインにしては珍しく、第13章で「自分語り」をしている。それは自らが経験した不妊治療や妊娠・出産の話を、地球規模の「命の再生」と結び付けたところだ。本人は母性主義やエコ・フェミニズムには一定のリスペクトは払いながらも距離をとっているようだが、キャロリン・マーチェント以来の「自然と人間の関係」の洞察について、実感からくる深い共感がある。抑えた筆致ながら、この章は感動的でさえある。

なお翻訳についてのコメントは差し控えるが、訳者の努力には称賛を惜しまない。だが全体を通じて挿入句がハイフンで入っているのが読みにくいことは、再版の際にはご考慮願いたい。また装丁の趣意がよくわからないのは残念である。本書はできるだけ多くの人に読んでもらいたいので、多くの人に届くようにご配慮を願いたい。(幾島幸子・荒井雅子訳)

この記事の中でご紹介した本
これがすべてを変える 資本主義VS.気候変動 上/岩波書店
これがすべてを変える 資本主義VS.気候変動 上
著 者:ナオミ・クライン
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
これがすべてを変える 資本主義VS.気候変動 下/岩波書店
これがすべてを変える 資本主義VS.気候変動 下
著 者:ナオミ・クライン
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月24日 新聞掲載(第3216号)
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