小説の言葉尻をとらえてみた / 飯間 浩明(光文社)誤用にも寛容な日本語の魅力採集  国語辞典編纂者が小説の中に入ったら|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年11月25日

誤用にも寛容な日本語の魅力採集 
国語辞典編纂者が小説の中に入ったら

小説の言葉尻をとらえてみた
著 者:飯間 浩明
出版社:光文社
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私が大学生の頃、文学部の国文学科や国文学専攻というところには国文学と国語学の講座があり、この二つは、同じ学科や専攻の中にあって、似て非なる学問の代表的存在であった。多くの場合どちらも文学作品などを対象としながら、アプローチの仕方が根本的に違ったのである。古典文学の場合はまだしも、近現代のものについては、あまりうまく言い得ていないが、非科学と科学の差ほど方法論の対立があった。小説を考察の材料とするこの書は、図らずもその違いを典型的に示したものである。

この書の著述スタイルは、国語辞典編纂者である「私」が、ごく最近の小説、具体的には、「二〇〇四年以降に発表されたもので、作者が一九六〇年以降の生まれである作品」である十五作品に、順に入り込み、「登場人物がふと発することば」に注目し、その「言葉尻」を捉え、これらを「採集」し、コメントを加えていくというものである。取り上げられるのは、朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」、池井戸潤「オレたちバブル入行組」、宮部みゆき「桜ほうさら」、平野啓一郎「マチネの終わりに」、町田康「ギケイキ 千年の流転」など、現代小説の中でも実に多彩なジャンルのものである。ただし言葉の「採集」の際、物語の筋は徹底的に軽視または無視され、あくまで「片言隻句」が主人公となっている。例えば、第12章の有川浩「阪急電車」の扉裏の文章は、「兵庫県宝塚市と西宮市の一角を南北に走る、片道十五分のローカル線「阪急今津線」。この八つの駅を通過する車内や駅のホームで、乗客たちが織りなす物語。(改行)大学生の男女、祖母と孫娘、失恋で心に傷を負った女性……。さまざまな人が出会う中、たまたま乗り合わせた国語辞典編纂者が、行きずりの人々の会話に耳を傾け、用例採集を試みる」といったもので、本文に入っても、「私は立ったまま吊り革につかま」って人々の話を盗み聞きしている。もちろん「阪急電車」に国語辞典編纂者など登場しないことは言うまでもない。

昆虫採集のようなこの作業により、読者は「テープ起こし」や「キャリーバッグ」、「援交」など時代変遷の影響を受けた語や「なんかしとんじゃ」「たんねてなはんのか」などの方言、「これはあれだな」など考えてみれば少し変な言い方や、「ひどくね」「やばくね」「いいんじゃね」などの若者言葉などから複雑に成り立っている現代語の多様性に気づかされる。一見間違った表現として糾弾されたように見える言葉たちも、著者の温かい態度によって、小説作者の個性的な表現として、むしろ積極的に「採集」される。著者は、言葉を時代によって変化する生き物と見て、たとえ「愛敬」ではなく「愛想」が振りまかれ、「足」ではなく「足下」がすくわれ、意味が「真逆(まぎゃく)」になっても、極めて寛容に接する。「悪目立ち」するような「ぐちゃめちゃ」な言葉でも、ある孫娘が使う「お幼稚」やご高齢の「某ご令嬢」などやや奇異な言葉まで、あくまですべて、著者の「用例」なのである。

ただし読者は、著者の言葉に対する寛容さとは別に、この書を読むとかえって正しい言葉を使いたくなるのは不思議である。「売るほどある」この書は、よく練り上げられた効果的な日本語の魅力伝達本となっているわけである。上から目線のようではあるが、辞典編纂者の幅広い言葉採集の旅、本当に「ご苦労さまでございました」。

この記事の中でご紹介した本
小説の言葉尻をとらえてみた/光文社
小説の言葉尻をとらえてみた
著 者:飯間 浩明
出版社:光文社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月24日 新聞掲載(第3216号)
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