成田龍一・岩崎稔・橋爪大輝鼎談  『メタヒストリー』が現在に問いかけるもの 原書刊行から四四年、待望されていた邦訳の刊行|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年12月1日

成田龍一・岩崎稔・橋爪大輝鼎談
『メタヒストリー』が現在に問いかけるもの
原書刊行から四四年、待望されていた邦訳の刊行

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日本語への翻訳が「不可能」とされてきた、ヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』が、原書刊行から四四年の時を経て、遂に邦訳が上梓された(作品社刊)。歴史叙述と歴史学の在り方をめぐる論争の一つの基点となってきた書物でもあり、歴史学の領域のみならず、幅広い学問分野からの注目を集めている。
同書をめぐっては、先般、東京外国語大学で開催された国際シンポジウムにも、百人を超える聴衆がつめかけた。この壮大な歴史書が、現在に問いかけるものとは何か。
監訳を務めた岩崎稔(東京外国語大学教授)、歴史家の成田龍一(日本女子大学教授)、翻訳者のひとりである橋爪大輝(東京大学大学院博士課程)の三氏に鼎談をしてもらった。司会は橋爪氏が務めた。 
(編集部)
第1回
四つのトゥループ

橋爪 
 二〇一七年になって、ヘイドン・ホワイトの著書が次々翻訳されています。刊行順に紹介すると、論文集『歴史の喩法』(三月刊、作品社、上村忠男編訳)、『メタヒストリー』(九月刊)、『実用的な過去』(十月刊、岩波書店、上村忠男監訳)となります。特に主著『メタヒストリー』は、原書刊行から四四年経ちながら、長らく未邦訳の状態でした。非常に難解な英語であり、内容も晦渋であることが、理由だったのではないかと思います。その意味では、今回の邦訳はまさに待望されていたものでした。

本日お話を伺う岩崎さん、成田さんのおふたりは、歴史学が「ナショナル・ヒストリー」に狭隘化する事態を批判的に捉えてお仕事をされてきました。たとえば岩崎さんは、記憶というものが歴史・歴史学において持つ意義を、哲学的・政治学的に再検討してこられました。一方成田さんは史学史の再考、歴史文学の評価を通じて、歴史学の狭隘化と向き合ってこられました。ところが、こうした試みにもかかわらず、日本の現状を見ていると、政治の保守・反動化の進行に歩調を合わせるようにして、歴史修正主義がますます勢いを強めている。こういった状況をも踏まえて、『メタヒストリー』が今訳されることが何をもたらすのか、今日はお話をうかがっていきたいと思います。その前に、まだ本を手にしていない人のために、『メタヒストリー』においてどのような議論がなされているのか。監訳を務められた岩崎さんから、要点をご紹介いただけますか。
岩崎 
 長い時間がかかってしまいました(笑)。遅くなったのは、私の非力さのせいであることはもちろんですが、やはり大変な難物であったとも言い訳させてください。翻訳をめぐる基本姿勢や実際の七転八倒に関しては、「解説」で正直に白状しておりますので、それを読んでいただければと思います。今日司会を務めてくださる橋爪さんにも、推敲作業の途中で「四〇周年記念版」が公刊されて、初版とは誤植も含めて一字一句変わっていなかったけれど、そこにマイケル・ロスの「前書き」とホワイトの追加の序文がつけ加えられていたものですから、急遽その部分の担当として仲間に加わっていただきましたね。九年間という翻訳作業の過程で多くの方にご助言いただきました。たとえば安丸良夫さんや上村忠男さんとも、数えきれないほど話をしました。そうした方たちからいただいた負債を、はたしてこの翻訳でお返しできているのかなあ、と考えているところです。

この本の要点を述べるように、とのことですが、この大著はひと言で言い切るなら、文字通りヒストリーに対するメタな反省的視座を確保しつつ、広い意味での歴史に係るテクストに関してその形式的な構造を大胆かつ精密に解明していく仕事です。私たちが歴史を語る際には、決ってそこにプロットを作り出し、論証の構造を見出し、さらにそれを通じて一定のイデオロギーの類型が構築されていく。しかもその根底には、人間の言語行為が持つ極めて規定力の強い形式としての四つのトゥループ(喩法)が存在する。隠喩、換喩、提喩、アイロニー、この四つの喩法の形式を取り上げ、鮮やかな類型化を提起し、十九世紀の歴史学と歴史哲学を架橋してみせた傑出した作品ですね。その翻訳をどうにか日本語圏で実現することができたのは、橋爪さんがおっしゃるように、原書刊行から四四年もの歳月が経った時点になったわけですが、時間の経過に伴い、私たちはアドバンテージとディスアドバンテージを持ちうるのだと思います。そこも織り込みながら、『メタヒストリー』が現在に問いかける意味についていっしょに考えてみたいですね。
成田 
 四四年前というと、ちょうどベトナム戦争の最中であり、アメリカの歴史学は大きく変わろうとしていました。また同時に、歴史学のみならず様々な新しい「知」が、アメリカに導入されていた時期でもあります。そうした中で、ホワイトの『メタヒストリー』が書かれています。いってみれば、歴史も歴史をめぐる知も大きく動いている時期に産みだされた著作です。当時の歴史学の状況はといえば、各国で温度差はありながらも、まだまだマルクス主義と実証主義が強い時期でした。一九五〇年代から六〇年代にかけてマルクス主義と実証主義が歴史学の中核となっており、そこに変化の兆しが見えはじめたのが七〇年代でした。歴史学の変わり目を象徴するように『メタヒストリー』が出されたと思います。

この書物は、部分的には(とくに序論は)紹介され、衝撃を伝えていました。私自身も、大学院の授業で『メタヒストリー』をとりあげ講読しました。ただ、如何せん難解な書物であり、難渋し苦労しました…。あらためて、翻訳された『メタヒストリー』に接しましたが、驚くほど読みやすいですね。これがあの難しかった本なのかと思わせるぐらいに明解で、論理的な筋を通した文章になっている。また、「歴史」と「歴史学」を訳しわけるなど、文脈を作り出すことに配慮されています。岩崎さんをはじめ、訳者の方たちの成果だと思います。

ふたつのことを入り口としてみたいと思います。ひとつは、岩崎さんがいわれましたが、『メタヒストリー』は歴史学と歴史哲学を架橋して問題を立てており、そこにホワイトの強烈な問題意識があったということ。ホワイトが具体的な素材としてあげるのは十九世紀の歴史学と歴史哲学で、その点検を行なうときに焦点を歴史叙述にぴたっと合わせたところが、この書物の中心的特徴になるだろうと思います。その営みが歴史学をメタの次元から問い直すこととなり、大きな意味を投げかけることになった。

では四四年経って、そうしたホワイトが提起した問題が、歴史学を変えていったのかというと、私は悲観的です。「出逢い損ね」の歴史であったのではないか――日本だけではなく世界的にも、歴史学と『メタヒストリー』は「出逢い損ね」であり続けているということです。ホワイトがもたらした問題を(長谷川貴彦さんにならって)「転回」といってみるとき、歴史学の本流には、いまだ「転回」は見られないと思います。

しかし、二点目となりますが、『メタヒストリー』の遅ればせながらの翻訳によって見えてくるものもあると思います。それは、いままた起こっている歴史―歴史学の変化に遭遇したということです。歴史の見方がグローバルヒストリーやディープヒストリー、ビックヒストリーという形で大きく変わろうとしています。そのときに、日本の読者にとっては、ホワイトの問題提起を参照することが可能となります。いや、参照しなければ、もったいないです。

この記事の中でご紹介した本
メタヒストリー―一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力/作品社
メタヒストリー―一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力
著 者:ヘイドン・ホワイト
出版社:作品社
以下のオンライン書店でご購入できます
アウシュヴィッツと表象の限界/未来社
アウシュヴィッツと表象の限界
著 者:ソール・フリードランダー
出版社:未来社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年12月1日 新聞掲載(第3217号)
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