死民と日常 私の水俣病闘争 / 渡辺 京二(弦書房)水俣の教訓は今こそ重い  歴史の事実から何を学ぶのか|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年12月2日

水俣の教訓は今こそ重い 
歴史の事実から何を学ぶのか

死民と日常 私の水俣病闘争
著 者:渡辺 京二
出版社:弦書房
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水俣病問題の本質とは何であったのか。

千人以上もの被害者を出しながら一般的にはほぼ忘れられている水俣病。わたしたちにとっていま、その許すべからざる企業悪に人生を壊された人々の命の美しさといのちの輝きは、永遠とも見えた海の暮らしとともに「苦海浄土」の語りの中に蘇るばかりである。

本書『死民と日常』は渡辺京二氏が有機水銀中毒水俣病患者たちの闘いに真から「同情し」、共闘しきった水俣病闘争記の再刻版である。冒頭の「現実と幻のはざまで」(71年朝日ジャーナル)は吉本隆明ばりの強烈な文体で当時読んだ記憶が残っている。未発表の講演も収録されているが、闘争の始まりから決起する「死民」の怒りの論理まで渡辺京二氏の透徹した眼力で分かりやすく語りつくされている。「水俣病」に対する論評は数多くあるが、この「私の水俣病闘争」は闘争の中核となった「チッソ」との直接交渉以外を拒否する患者グループとの共闘に身を投じたものだけに感動を覚える。まさに白眉といって過言ではない。先に「同情して」とあえて書いたが、著者は次のように言う――「水俣患者への同情に終わってはならないと彼らは遠くからほざく。同情で何が悪いのか。同情の突き抜けたところに何があるのか知っているのか。自分たちにとって水俣病闘争は所詮他人事である。しかし徹底した同情で彼らの闘いの果てまでついて行くのだ」。闘いの果てまで――そこに水俣病患者たちの、「死民たち」の「日常―もうひとつのこの世」がみえるかもしれないのだ。近代社会の論理や法では動かない患者たちの決起、彼らが掲げるまっとうな人間の道理、これに懸けなくてどうするか。まさに「義によって助太刀いたすとはっきり云おう」。党派がらみに政治利用し中途放棄する姿は嫌というほど見てきたのだ。怨の旗を掲げ胸に「死民」の字を張り付け、黒装束白装束のデモ行進や「チッソ」本社を籠城占拠し当時の社長に迫る場面は近代民衆の闘争史上初めてのことであり、全国に企業の悪魔性とその悲劇を刻印した。渡辺氏は患者たちの「人間道理」と一体の実践者であった。

今、「フクシマ」過酷事故の解明の手つかずのなか各地で原発再稼働や認可が進んでいる。

避難民もいまだ十万人近く、甲状腺異常も異常懐妊出産も報道されないが倍増しているという。「チッソ」は無機水銀使用だから「有機水銀排水」はありえないと頑強に擁護した業界、学者専門家は「原発安全神話」の愚かな前史であろう。有機水銀は製造過程で確かに生まれていたのである。歴史の事実から何を学ぶのか。霞ヶ浦南岸のわが美浦村で、まだ水俣病問題が決着しない70年代末に米ダラス本社の半導体メーカーを誘致した。化学的製造過程で大量の水を使うが「水俣」を知っている私たちは工場排水に注目した。国も県も条例に基づき濃度を「薄めて」排水する許可をしていた。私たちは「水俣」を示し、当時理論化されていた大規模無排水循環方式(クローズドシステム)設置を求めて企業と激しく交渉した。大きな追加投資となったが企業は自らの誇りにかけて全国で初めてそれを採用した。いまその10階建ての工場は「悪魔」にならず霞ヶ浦浄化のシンボルである。県はその後条例を改定し「クローズド」に転換してゆくのである。「水俣」の教訓は今こそ重い。深い洞察と命への信頼に満ちた本書は名作「苦海浄土」に重ねて読まれるべきである。

この記事の中でご紹介した本
死民と日常 私の水俣病闘争/弦書房
死民と日常 私の水俣病闘争
著 者:渡辺 京二
出版社:弦書房
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年12月1日 新聞掲載(第3217号)
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