キリシタンが拓いた日本語文学 多言語多文化交流の淵源 / 郭 南燕(明石書店)「切支丹の世紀」に始まる日本語文学の諸相を主眼に |書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年12月2日

「切支丹の世紀」に始まる日本語文学の諸相を主眼に 

キリシタンが拓いた日本語文学 多言語多文化交流の淵源
著 者:郭 南燕
出版社:明石書店
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キリスト教のミッション活動が世界の文化構造に与えた影響は計り知れない。大航海時代を迎えるとともに、キリスト教布教活動が全世界的な規模へと拡大して、極東の島国・日本にまで及んだことは、これまでキリスト教史や西欧文化史の脈絡で考えられてきた。勿論、切支丹史研究という日本歴史研究の分野としても確立しているが、中世以降からのスパンで文学研究として考えようとするのは、本書が殆ど初めての試みではないかと思う。一般に日本キリスト教文学という枠組みは、キリスト教に影響を受けた日本人の作家・作品の分析が主である。またキリスト教伝来についても、明治維新後に集中して考えがちで、近代化過程とキリスト教は相関的に補填し合って、日本人の心性に影響を与えたという近代概念は、なかなか打ち壊しにくい。

だが、本書が主眼とするのは、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した1549(天文18)年から1640(寛永17)年の徳川幕府によるポルトガル船渡航禁止までの約100年間に現出した日本における「切支丹の世紀」に始まる日本語文学の諸相である。それを現在にまで至る系譜として捉え直すことによって、時代別に輪切りになってしまっている「文学史」を通時的に再構築することとなった。編者である郭南燕氏は2013年に『バイリンガルな日本語文学』(三元社)を編纂したが、そこで多言語・多文化的状況のなかに現出した、ネイティブではない日本語運用者による文学作品を「日本語文学」という概念のもとに考察しようとしたものであった。

郭氏はこれを積極的に援用して、忘れられてしまった中世日本の日本語文学、すなわち宣教師らによって果敢に試みられた日本語使用の格闘に、「日本語文学」の出発を見出している。この視点は新しい。本書を通読して初めて知ったことは、16世紀の日本で、かような日本語学習とその理解、運用、そしてそれを用いた新たなテキストの生産が行われていたことだ。それは勿論、キリスト教布教という明確な目的をもった「事業」としてなされたのだが、例えば川村信三氏が指摘するように、宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノがとった日本の文化構造に自らを沿わせる「順応」方針は、彼らに西欧文化とは全く違った価値の体系に気付かせていくことになったし、アルド・トリーニ氏による茶の湯文化の『日葡辞書』への投影の考察は、動態としての日本語を辞書に投入していったことが良く了解される。カルラ・トロヌ氏の「イエズス会の霊性と『九相歌』」論文では、1600年にイエズス会日本管区によって刊行された『九相歌』という歌集についての詳しい考察が展開されているが、そこでは仏教との相関的な深い思念が中心的なテーマとなって、ここに和歌という形でのアウトプットがなされたことが記されている。宣教師たちが単純な布教のみに関心を集中していたのではなく、教義そのものを異文化のなかで相対化しようとする画期的な試みがここでなされていたことが良くわかる。

異文化を理解する入り口としての言語の重要性は言うまでもない。陳力衛氏は、幕末期に伝道事業のなかで作成された英語、中国語、朝鮮語などの辞書を取り上げて、そこで宣教師たちがどれほどの力を尽くしたかを詳述している。近代以降に宣教師が果たした西欧文化理解の側面のみが前景化してきたが、彼等自身がもった日本語文学への接近を考える時、その系譜にあった人々が積極的に「仲介者」となって自らの文化と日本文化を結び付けていった。ケビン・ドーク氏は日本でもっとも著名な宣教師であったソーヴール・カンドウ神父がもたらした文学的影響を考察している。それは日欧相互に交換し合ってカンドウ神父独自の文学的意識を打ち立てたことに言及している。シルヴィオ・ヴィータ氏が指摘するように、宣教師たちは一方に優秀な日本文化研究者・紹介者となり、自らもまた文学的開眼を遂げていったと言えるであろう。郭氏はヘルマン・ホイヴェルスの脚本「細川ガラシア婦人」を取り上げ、そこに「世界文学」の可能性を探っている。宣教師たちが達成した16世紀以降の日本文化理解の痕跡を、ただ宗教的なミッション活動とはせずに、文学的な交換と読み直し、新たな文学的磁場の生成を提示している。

ただ忘れてはならないのは、このミッションの道は、同時に植民地主義の回路と同じであることだ。本書はそのことも忘れてはいない。最終章で「朝鮮半島宣教とハングルによる著述(日本との比較)」という項を設け、朝鮮半島伝道について考察している。そこには西欧と日本の二重の植民地主義にさらされた朝鮮半島の布教史をたどることによって、文化混淆の根源的な問題を問うていることも、本書の特徴の一つとして記しておきたい。

この記事の中でご紹介した本
キリシタンが拓いた日本語文学  多言語多文化交流の淵源/明石書店
キリシタンが拓いた日本語文学 多言語多文化交流の淵源
著 者:郭 南燕
出版社:明石書店
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年12月1日 新聞掲載(第3217号)
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