田原総一朗の取材ノート「七六年前の一二月八日を思う」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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田原総一朗の取材ノート
2017年12月19日

七六年前の一二月八日を思う

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この原稿を書いているのは、一二月八日である。七六年前のこの日に、太平洋戦争がはじまった。日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃したのである。

私は、国民学校(現在の小学校)一年生であった。ラジオが真珠湾での大戦果を報じていたのを憶えている。

学校でも、担任の先生が、輝やかしい戦果を得意そうに話し、これから日本軍がすさまじい活躍をするはずだ、と自信いっぱいで説いた。

その戦争が、無惨な敗戦というかたちで終ったのは、四年後、私が国民学校五年生の夏であった。成長してから、本を読み、あるいは学者や、当時の政府、軍部の生き残りの人々を取材して知ったのだが、七六年前に、アメリカやイギリスと戦って、勝てると考えていた日本人は一人もいなかったのである。

戦争をはじめたときの首相だった東条英機も、勝てるとは考えていず、最終的に海軍が反対をするので、戦争は回避できる、と思っていたようなのである。

昭和天皇も、もちろん戦争に勝てるとは考えていず、戦争を回避するために、あえて陸軍大臣であった東条を首相にしたのであった。

昭和天皇は、側近の木戸幸一に「虎穴に入らずんば虎児を得ず」だ、と語っている。

あえて東条を首相にして、強硬派の陸軍を抑える、という思惑だったようだ。

昭和天皇は、七月末日に、陸軍のトップと海軍のトップに会って、「こんな戦争をしてもよいのか」と問うた。すると、海軍の永野修身総長が、「いまなら戦えます。一年半たったら石油がなくなって戦えない。だから、早く戦いに打って出るべき」だと主張した。

それにしても、誰一人として、アメリカ、イギリスと戦って、勝てると考えていた人間が、政府の幹部にも、軍の幹部にもいなかったにもかかわらず、わが日本は戦争に突入してしまったのである。こうした、どのように考えてもあり得べきでないことが、七六年前に起きたのである。この日本がやってしまったのである。そのことを知っている人間としては、日本はこういうことを起こし得る、だから、絶対にそのような流れをつくってはならない、生命を懸けても止めなければならない、と決意している。

2017年12月15日 新聞掲載(第3219号)
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