トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち / 藤原 辰史(中央公論新社)分厚く重量級の問いかけ  近代農業が傷つけた環境をいかに取り戻していくか|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年12月16日

分厚く重量級の問いかけ 
近代農業が傷つけた環境をいかに取り戻していくか

トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち
著 者:藤原 辰史
出版社:中央公論新社
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池沢さとしの漫画『サーキットの狼』が火付け役となって「スーパーカーブーム」と呼ばれる社会現象が一九七〇年代に起きたことがある。ポルシェ、フェラーリなど高価なスポーツカーが路上に駐車していると少年たちがカメラ片手に群がっていたものだ。

そんな中、憧れのスーパーカーのひとつだったランボルギーニにはよからぬ噂が流されていた。今でこそ自動車メーカーだが以前は農器具を作っていたらしい、と。その話を真に受けて幻滅し、ランボルギーニを毛嫌いする少年もいた。

藤原辰史『トラクターの世界史』を読むと、当時の少年たちの態度が一面で正しいが、一面で間違っていたことが分かる。確かにランボルギーニ社を創設したフルッチョ・ランボルギーニは第二次大戦中に軍用車両の整備でエンジニアとしての腕を磨き、戦後にトラクターの生産で財をなした。高級スポーツカーを蒐集し始めたフルッチョは、購入したフェラーリに自社のトラクターと同じ部品が使われていることを発見。しかもそれがとんでもない値段設定となっていることについてフェラーリ社に抗議したが聞き入れられず、対抗心を燃やして自らもスポーツカー製造に進出したのだという。

このようにランボルギーニにトラクターの血が流れているのは事実だった(自動車部門は独アウディ社傘下となったが、ランボルギーニのトラクターは分社化されて今も健在だという)。しかしそれはランボルギーニに限られない。自動車の普及に大きく貢献した米国のフォードも、ドイツのポルシェも、そして日本のホンダも、歴史を辿るとトラクター生産に関わっている。自動車技術とトラクター技術は隣接し、時に交わり、重なるのだ。

本書は馬や牛の力に頼っていた農業が、内燃機関で動くトラクターによって近代化されてゆく過程を丁寧に追う。最初にトラクターを生み出した米国に始まり、大西洋を跨いだ欧州、共産主義のソビエト、中国、アジア…とそれぞれのトラクター事情を幅広くカバーし、記述はまさに世界史的広がりを備えている。

トラクターは地域ごとに異なる近代化過程の中で個性的に利用されるが、共通するのは農夫を苦役から解放したこと。そしてその導入により牛、馬を使わなくなって堆肥が利用できなくなった農家は化学肥料を用いるようになり、それもまた収穫量を飛躍的に増加させる相乗効果を発揮した。

こうした経緯を描く本書は、トラクターを生み出した技術が歴史を大きく変革したと考える「技術決定主義」の文脈で読まれやすい(たとえば「人類の歴史を根底から変えた」と謳う本書の帯コピーにもその傾向が顕著にうかがえる)。しかし科学技術社会論では社会の方が技術のかたちを変化させながら受け入れる「社会構築主義」的な見方も必要。その点は同じ著者が僅かな時間差で刊行した『戦争と農業』の併読で見事に補完される。

技術的に共通するのは自動車とトラクターだけでない。フランスとイギリスの軍人や軍需産業はキャタピラー付きのトラクターを見てそれを自走兵器に作り変えられないかと考えた。こうしてトラクターからスピンオフして戦車が作られた。一方で化学肥料生産技術からも火薬が作られ、化学肥料の大量生産の道を開いた化学者フリッツ・ハーバーはドイツの毒ガス開発プロジェクトを率いた。農産物の収量を増やそうとした社会が育んだトラクターや化学肥料の技術は、戦争の勝利を目指す社会においては戦車や毒ガスにかたちを変えて用いられたのだ。
こうして社会と技術が相関する両方向性を描いた『戦争と農業』は、後半に至ってトーンをがらりと変えて食と農業の再定義に挑戦する。曰く、人間は陶器に載せた食物を摂取し、陶器で出来た便器に糞便を排泄している。ならば人間とは陶器と陶器の間にある食物の通過回路に過ぎないではないか! そう看破した著者は食物としてその回路を通過する資源が陶器前、陶器後も含めて循環する生態系の広がりの中で食と農業を省みようとする。

このスケールの大きな議論の下ではトラクターも愛すべき農具と捉えられて終わりにはならない。トラクターによる土壌圧縮と化学肥料の大量使用は、土壌の団粒構造を喪失させて砂塵に変える。その砂塵が強風に煽られ、吹き溜まる山を「ダストボウル」と呼ぶ。ダストボウル化による土壌侵食は世界中の農民を苦しめ、多くの国が対策に税金を投入している。技術の導入によって社会が支出を余儀なくされるコストを「社会的費用」の概念で検討した経済学者・宇沢弘文の手法を借りた著者は、ダストボウル対策などトラクター導入によって必要となった社会的費用が農作物の収量拡大の利得をむしろ上回ると考える。

トラクターに象徴される近代農業は環境を深層において傷つけている。その問題を乗り越える食と農業を今後いかに育むか。コンパクトな新書二冊にもかかわらずその問いかけは分厚く重量級だ。

この記事の中でご紹介した本
トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち/中央公論新社
トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち
著 者:藤原 辰史
出版社:中央公論新社
以下のオンライン書店でご購入できます
戦争と農業/集英社インターナショナル
戦争と農業
著 者:藤原 辰史
出版社:集英社インターナショナル
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年12月15日 新聞掲載(第3219号)
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