学問をしばるもの 書評|井上 章一(思文閣出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年1月13日

各自の学問を束縛するものが何であるかを明らかにする試み 
京都学派の雰囲気が受け継がれたと感じる

学問をしばるもの
著 者:井上 章一
出版社:思文閣出版
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本書は、二〇一二年から一六年にわたって、国際日本文化研究センターで実施された共同研究「人文諸学の科学史的研究」の成果である。全一六回の研究会が行われ、発表者の中から一七名が執筆している。「第一部 大日本帝国の時代から」「第二部 戦後の光景」「第三部 戦後は明治をどうとらえたか」「第四部 再録」に、論文八編・論考九編・対談一編を収録し、「幕間」にコラム四編が入る。巻末の執筆者紹介を生年順に並べたのは見識で、研究者の態度が世代によっても違うことを意識するのに役立つ。

井上がこの共同研究を企画した動機は、『つくられた桂離宮神話』(一九八六年)まで遡る。これはサントリー学芸賞を受けたが、建築史学会では無視されたという。その憤懣を述べた講談社学術文庫版(一九九七年)のあとがきを、「『つくられた桂離宮神話』より」として再録する。同様のことは出版でも生じ(二〇一六年)、島原遊里の揚屋角屋と皇室の別荘桂離宮の通底性が宮内庁の怒りを買ったという。その経緯はコラム「角屋と桂離宮」で述べられている。

受賞した『つくられた桂離宮神話』は自信作であっただけに、自らが所属する学会に対する不信感は大きかったにちがいない。井上に限らず、そうした思いは多くの研究者が持っているはずである。私自身も言いたいことならたくさんあるが、むしろ、意図して学会に依存しない活動を展開してきた。井上と歩み方は違ったが、憤懣やるかたない思いは誰よりも共感できる。だが、井上の功績は、これを酒席の話に終わらせず、テーマを立てて学術研究にして見せたところにある。

それぞれの執筆者は、各自の学問を束縛するものは何であるかを明らかにしようと試みる。重鎮の今谷明は「学問への内外の規制――日本史学の場合」で、学界の内在的批判が乏しいことに言及する。中堅の斎藤成也は「日本人起源論研究をしばってきたものごと」で、研究史の中に自分を位置づける。若手の永岡崇は「特高警察と民衆宗教の物語」で、特高と民衆宗教研究の共犯関係を明らかにする。こうした論考は学問の相対化にまで踏み込むが、研究史の整理や学会の内部告発に終始した文章も見られ、かなり揺れがある。

井上自身は竹村民郎との対談「明治絶対王政説とは何だったのか」で、戦後歴史学の桎梏を浮き彫りにした。その意義は認めるが、一般書として公刊し、「学問をしばるもの」というテーマを読者と共有するには、もっと開かれた議論の場を設けるべきだったのではないか。このテーマは個別の研究分野の課題である以上に、学問という制度そのものが抱え込んだ体質と向き合わねばならないところがあるからである。

それにしても、本書が国際日本文化研究センターの共同研究から生まれたのは偶然ではない。センターの様子は、井上のコラム「真理と自由、そして学会」がよく伝える。かつての京都学派の雰囲気がこうした共同研究に受け継がれたと感じるのは、私だけではあるまい。だが、その際に重要な働きをしたのは外国人研究者の視線だったのではないか。にもかかわらず、本書に外国人研究者が含まれないのは残念でならない。
この記事の中でご紹介した本
学問をしばるもの/思文閣出版
学問をしばるもの
著 者:井上 章一
出版社:思文閣出版
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年1月12日 新聞掲載(第3222号)
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