こそこその話がやがて高くなり ピストル鳴りて 人生終る   石川啄木『一握の砂』(1910)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2016年9月9日

こそこその話がやがて高くなり ピストル鳴りて 人生終る   石川啄木『一握の砂』(1910)

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淡々とした叙述からの驚くような急展開。歌集では一首前に〈尋常のおどけならむや/ナイフ持ち死ぬまねをする/その顔その顔〉という歌が入っているため(啄木は親友金田一京助の前で、芝居の人殺しの真似をして実際にこういう行動をとったらしい)、啄木研究の泰斗である近藤典彦などは自殺の歌として解釈しているが、意図的に主語をぼかしていることからして殺人の歌として読める可能性も排除できない。近藤は「こそこその話」を「おれはもう死ぬ」「そんなことはよしなさい」というやりとりとして解釈している。だが私はもっと衝動的で無意味な殺意(あるいは自殺願望)、「ちょっと相手が口ごたえした」とか「世界がおれの思い通りに動いてくれない」という程度のことで張りつめた糸が切れたかのようにパァンとやってしまうような軽さを読み取ってしまいたくなる。啄木の世界観に満ちているどうしようもない命の軽さが、むしろリアルなのだ。

啄木の短歌では「ピストル」というモチーフが究極の自己破壊願望の象徴としてたまに登場する。〈いたく錆びしピストル出でぬ/砂山の/砂を指もて掘りてありしに〉という歌は有名だろう。啄木の生きた時代、ピストルは護身用として普通に一般販売されていた。

前回紹介した夢野久作の『猟奇歌』に混じっていたとしてもおかしくない歌である。久作は啄木のこうした作風に影響を受けていたことがよくわかる。
2016年9月9日 新聞掲載(第3156号)
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