内乱の政治哲学 忘却と制圧 / 神崎 繁(講談社)プラトンとホッブズを結ぶもの  惜しくも亡くなった大教養人の政治哲学論考|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

読書人紙面掲載 書評
2018年1月13日

プラトンとホッブズを結ぶもの 
惜しくも亡くなった大教養人の政治哲学論考

内乱の政治哲学 忘却と制圧
著 者:神崎 繁
出版社:講談社
このエントリーをはてなブックマークに追加
まだ『学士会月報』を購読していたふた昔前、神崎繁が寄せたエッセイを読んで瞠目した覚えがある。ホッブズが十三歳で、エウリピデスの悲劇『メデア』をギリシア語からラテン語に翻訳したという史実にまつわる名随筆であった。風貌はお兄ちゃんでも博覧強記の大教養人は、哲学史のこんな細部までお見通しなのか、と畏怖を抱いた。私自身ホッブズに関心を抱き始めていた頃であり、強烈な印象を植え付けられた。

しばらくして、二〇〇一年九月の米国テロ事件が起こった。神崎は翌年に出した『ニーチェ』(NHK出版)の中で、9・11の衝撃を率直に語ったうえで、政治について語ることをみずからに解禁する一種の政治哲学宣言を行なった。その延長線上にある最もまとまった神崎の仕事が、二〇〇九年に『ラチオ』に一挙掲載された長大論文「政治とは何か」である。このたび、神崎の遺稿論集の第一部「内乱の政治哲学――プラトンとホッブズにおける《アムネスティー》」として再読できるようになったのは喜ばしい。

古今の文献を渉猟する解釈のわざがうねうね繰り出され、読者を迷宮に連れ込む神崎のスタイルは、本書の中心篇たるこの試論ではしかし、政治哲学の根本問題の前にわれわれを連れ出す。「内乱」というテーマがそれである。ギリシア語で「スタシス(stasis)」と言う。「立つ(histanai)」という言葉から派生したこの語は、「運動」に対する「静止」という意でありながら、「徒党」「蜂起」という正反対の意味をもつ不思議な言葉である。

二十一世紀はその幕開けの年以来「世界内戦」の様相を濃くしている。それを先取りしていたかのようなカール・シュミットが、第二次世界大戦後ほどなくして、内戦の終結を意味する「アムネスティー(大赦)」について語った文章から、神崎の政治哲学論考は始まる。シュミットの手前にはホッブズがいる。そのホッブズが翻訳を手がけたトゥキュディデス『戦史』における凄惨な「スタシス」描写を、さっそく再記述したのがプラトンであった。ここにプラトンとホッブズが、「内乱」をめぐって結び合わされるのである。

王家一族が殺し合うさまを赤裸々に描いたアイスキュロスのオレステイア三部作に顕著なように、ギリシアの叙事詩や悲劇には至るところ、骨肉相食む内輪もめや内紛が噴出している。ギリシア人が発明したポリスという市民共同体は、同時に、市民同士の確執と死闘の空間でもあった。プラトンの政治哲学――西洋政治思想の始まり――の中心主題として「スタシス」が据えられたのも当然だが、『国家』では、内乱防止策が提言される一方、いわば「理想的な内乱」が想定されてもいる。哲人王が断行する政変が待望される以上は、是々非々でそう考えざるをえない。体制変革も一種の内乱として勃発するのだとすれば、プラトン以来のユートピア思想や革命思想もみな内乱を全否定はできない。

そればかりではない。プラトンが、ペリクレスの向こうを張ってソクラテスに語らせたもう一つのアテナイ讃美演説『メネクセノス』では、アテナイ史上の輝かしい「大赦」の出来事――三十人僭主政権打倒後の「復讐の禁止」の約定――に関して一切言及がない。つまりプラトンは、内乱を終結させるために市民同士の報復合戦を禁ずるとした解決法を、むしろ生温いとして肯んじなかったのだ、と神崎は推理する。

神崎はここからさらに、『国家』の正義論への視角を手に入れる。不正を加えることも受けることもないようにと互いに契約を結ぶのが得策だとして、よってたかって法を定めてはじめて成立するような「正しさ」など、復讐したくてもできない弱者の正義にすぎぬとする論調には、同胞市民の麗しき「和解」に「妥協」を見出したプラトンの原体験がひそんでいた、とするのである。社会契約的に取り繕った和合では真の解決にはならない、とする非情なまなざしを見出す神崎のプラトン解釈の冴えわたるところである。

正義をめぐるこの戦場にこそ、プラトンとホッブズの対決の最も重要な場面があると、私は思う。真の「強者の正義」を志す理想国家と、自己保存のための相互譲歩から成り立つ「コモンウェルス」。古今の政治思想のこの両極を戦い合わせることが肝要である。

神崎によれば、ホッブズの「各人の各人に対する戦争」論は、プラトンが『法律』で「万人が万人に対して、各人が自分に対して敵である」と書き記した魂およびポリスにおける葛藤の「一種の翻訳」だという。この大胆な仮説の当否は措こう。先頃惜しくも亡くなった碩学の内乱考からわれわれが糧とすべきことが少なくとも一つある。世界市民的な友愛精神のめざす「赦しと和解の政治哲学」は、「プラトンの挑戦」をどこまで受け止めることができるか。――ここに二十一世紀の政治哲学の試金石があると思われるのである。
この記事の中でご紹介した本
内乱の政治哲学 忘却と制圧/講談社
内乱の政治哲学 忘却と制圧
著 者:神崎 繁
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年1月12日 新聞掲載(第3222号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 政治学関連記事
政治学の関連記事をもっと見る >