文色と理方 知識の枠組み / 鷲津 浩子(南雲堂)徹底した科学的資料の探究を中心に文学の意義を問う|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年1月13日

徹底した科学的資料の探究を中心に文学の意義を問う

文色と理方 知識の枠組み
著 者:鷲津 浩子
出版社:南雲堂
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何が本当で何がフィクションか―多くの情報が飛び交う今日、真実を見極めるのは難しい。本当のことをわかろうとするために文学が必要ではないかという問いかけを本書はしている。科学の進歩とその逆襲のような自然の脅威を経験する今日、『時の娘たち』でアートとテクノロジーから「アメリカ」文学を読み解いた著者が10年の時を経て再び本書を出した理由もそこにある。

知識の大きな枠組みの変化があった19世紀の人々が謎に挑戦した跡を追っていく。新しい知識は何から生まれるか。著者は綿密に資料を提示して、トンデモ科学と真の科学の分かれ目はどこか考えることを読者に促す。

エドガー・アラン・ポウの『アーサー・ゴードン・ピムの物語』には、南極探検への前哨となるオーロラ諸島のエピソードがある。北半球の大陸の対蹠地としてのテラ・アウストラリス・インコグニタがオーストラリア大陸として発見された後も、さらに極点への興味は尽きず、南極探検から生還した者がほとんどいない中で、数々の南極探検記、体験記が書かれ、多くの人に読まれていく。南極大陸とはどのようなものか、あるいは果たしては存在するのか。中でもその存在が疑問視されるのが、『ピム』の物語に登場するオーロラ諸島である。当時の探検記ではこの諸島の存在は肯定と否定が繰り返される。ポウは、『ピム』の物語で体験と銘打った冒険記の信憑性を疑う作者を登場させる結末をつける。ポウの慧眼は、トンデモ科学が横行した19世紀の読者に、体験記の信憑性にも疑問の目を向けさせようとしていた。

また一方で、19世紀当時科学的な探求の裏には宗教があったことも明らかにする。19世紀中頃流通した地図に「鯨チャート」がある。『白鯨』にも登場するが、製作者は国立観測所長マシュー・モーリー海軍中尉である。世界地図上の海洋に鯨の絵を書き込んだものである。捕鯨船長の記録から捕獲された鯨の量を地図上に書き込んだものだが、科学的に役立つ地図ではなかった。では、なぜモーリーはこんな地図を描いたか。モーリーの意図は鯨の分布の分析が目的ではなく、自然を創造した神の意匠を明らかにするという宗教的なものであったと結論付ける。科学が学問領域として成立する19世紀だが、宗教と科学は必ずしも分離したものではなかった。しかしこれは19世紀だけの問題であろうか。数年前話題になったインテリジェント・デザインや、人種差別の根底にある本質主義も、科学と信仰の未分離を表しているとも言えるのではないだろうか。

著者は19世紀の人々の知への探求の対象を、「天」「海」「地」と3分野に分け検証する。これまでとりあげた「海」の探求の他に、「天」と「地」という対照的な自然への探求が検証されている。「天」への興味は、宇宙の成り立ちを説明しようとし、「地」への興味は地底の解明へと人々を向かわせる。しかし、科学的探究と裏腹に地球外生物の想像や地球空洞説による地底に住む人々の物語が生まれていた。科学の知識は人々の想像力を刺激し、壮大なフィクションの世界を生んでいく。フィクションには、トンデモ話になるものも、次なる科学の発展への可能性を秘めたものもある。

本書は文学の意義を今問うというスタンスの元に書かれているが、その手法は徹底した科学的資料の探求が中心となる。19世紀のテキストの深層にある折り重なった知識の層を掘り起こしていく丹念な作業が行われている。様々な議論の「多角的多様な解釈」を可能にする視座を提示することができるのが文学の意義だからだ。私たちが「科学の枠組みではからめとれない謎」に惹かれるのは、文色と理方の狭間に本当があるからではないだろうか。
この記事の中でご紹介した本
文色と理方 知識の枠組み/南雲堂
文色と理方 知識の枠組み
著 者:鷲津 浩子
出版社:南雲堂
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年1月12日 新聞掲載(第3222号)
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