森へ行きましょう 書評|川上 弘美(日本経済新聞出版社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!
▶メールマガジン登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

読書人紙面掲載 書評
2018年1月27日

立体感ある豊穣な世界 
物語の果てに広がる、もう一つの別の人生

森へ行きましょう
著 者:川上 弘美
出版社:日本経済新聞出版社
このエントリーをはてなブックマークに追加
人生という森のなかには、無限の道が存在している。そして小説という言葉の森のなかには、豊穣な物語があふれかえっている。「森へ行きましょう」と題されたこの作品は、物語の果てしない広がりのなかに読者を連れて行き、人生の複雑な不思議さに出会わせてくれる、立体感のある長篇小説だ。

留津とルツは、一九六六年の同じ日に生まれた、ふたつの物語の主人公である。二人の境遇はとてもよく似ているが、ほんのわずかな違いが、二人の人生を少しずつ異なるものにしていく。引っ込み思案で消極的な留津は、中高一貫の女子校に通い、女子大の文学部に入学する。卒業後は中堅の薬品会社に就職するものの、友人に紹介された男性と結婚することを決め、専業主婦になる。もう一人の主人公、ルツは、区立中学から都立高校を経て、第一志望の大学の理学部に合格し、その後、研究所に勤める技官の道を選ぶ。留津とはちがって、自分らしさに率直に生きるルツは、結婚して子どもをもつというスタンダードなスタイルを選択しない。

たくさんの選択肢のなかから、何かを選ぶことは、選ばなかった「私」の可能性を捨ててしまうことになるのかもしれない。だが、この小説のなかでは、選ぶことは捨てることを意味しない。捨てられた選択肢は、別の主人公によって生きられているからだ。留津とルツは、ありえたかもしれない、もう一人の違った「私」であり、自分とは別の「私」が、異なる可能性を生きていくのである。いくつもの選択肢を前にして、ルツはこう考える。「無数の岐路があり、無数の選択がなされる」。「左を選んだ時の『運命』と、右を選んだときの『運命』は、当然異なるはずで、だとするならば、『運命』は選択の数だけ増えつづけてゆくのではないか」。選ばなかった可能性を生きる、違う世界の誰かの手触りが、物語の想像力を媒介として、ヒロインのすぐそばに感じ取られるのである。

二人の主人公が四〇歳を過ぎると、人生はより複雑になり、物語もまた、複数に分裂していく。受動的にみえた留津のなかには、意外な大胆さが潜在しているし、自分の世界観に忠実に生きてきたはずのルツが、案外と不安定に揺らいだりもする。小説のなかには、琉都、るつ、瑠通、る津、流津と、おなじ響きの名をもった女性たちの複数の人生が現れて、二人のヒロインの間には、「私」が生きたかもしれない、何通りもの人生の物語が編み込まれていく。

小説家になった留津は、自分が書いている小説のなかの出来事があまりにも鮮やかすぎて、「外にいる自分の方が何かの物語の登場人物にすぎなく思えてくる」。あるいは、ミステリーの主人公のように、自らの手で夫を殺してしまった瑠通は、非日常的な出来事を目の前にして、自分が「まるで誰かが書いた小説の中の登場人物のようだ」と思い、さらに、「今自分は、自分の書いた小説の中にいるのかもしれない」という感覚にとらわれていく。

リアリティのある虚構、あるいはフィクショナルなのに生々しい現実感は、物語の中と外を入れ替えてしまうような奇妙な感触を、読者にも伝染させるだろう。小説を読み進め、物語の森に深く潜り込んでいくと、森の奥には、選ばなかった可能性のすべてが、自分の歩く道のすぐ横に、境界を接し合わせて並び立つ、そんな風景が広がっている。
この記事の中でご紹介した本
森へ行きましょう/日本経済新聞出版社
森へ行きましょう
著 者:川上 弘美
出版社:日本経済新聞出版社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年1月26日 新聞掲載(第3224号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
内藤 千珠子 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 日本文学 > 人生関連記事
人生の関連記事をもっと見る >