私たちの星で 書評|梨木 香歩(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年1月27日

多様な心象風景を呼び起こす思索された言葉たち

私たちの星で
著 者:梨木 香歩、師岡カリーマ・エルサムニー
出版社:岩波書店
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2010年、そして2011年は今を生きる私たちの中でどんな時間だっただろう。初めて師岡カリーマ・エルサムニーさんにお目にかかったのは、盲目のウード奏者ムスタファ・サイッドを日本に招聘した演奏会でだった。エジプト人である彼との出会い、コンサートツアー、続く福島被災地での演奏。滞在中慣れぬ環境の中、演奏後カリーマさんと言葉を交わしたムスタファの笑顔をはっきりと覚えている。

梨木香歩さんと師岡さんの往復書簡のかたちをとる本書。表象的な多様性という言葉の前で、彼女たちはむしろ各々の内に生まれる多様な思考と、生活の中で必然的に出会う外の多様性を照らし合わせながら書簡を交わす。境のどっち側かに固執しなければ、という世の動き、あるいは歴史的二分法を虚構とみなし、内と外を行き来しながら相互に思索する姿。

自分の生まれた地域とそこから展望する広い世界。イスラームの世界を知りたいという真摯な想いをもって問いかける梨木さんの言葉の機微。彼女が躊躇いながら置くそれを内に受け取る、カリーマさんの思惟の旅。その過程を読者は固唾を飲んで読み進めるだろう。

アルンダティ・ロイは『民主主義のあとに生き残るものは』(岩波書店)の中で「私は長いあいだアンティラの外に立って、陽が沈むのを見つめていた。その塔のような建物が、高さと同じだけの深さを持っていることを想像してみた。」と、彼女はこの表現を文脈上否定的に用いた。高さと深さ。それはお二人の書簡から見えてくる、内なるものと外のものとして肯定的に捉えられる。カリーマさんと梨木さん各々が互いの書簡の中で生みだす濃厚な思考の深さが、言葉の高みとなる。

ところで先ほどのウード奏者ムスタファの演奏の後、客席からある質問がでた。その内容は端折るが、おそらく質問者はエジプト人でアラブ音楽の第一人者であればイコールムスリムであると必然的に考えたのだろう。しかしムスタファは観客の前で断言した。「わたしは無宗教者です。」きっと質問者はじめ会場にいた人々はあっけにとられたことだろう。舞台袖でわたしはでかした、と唸ったものだ。彼がイスラム世界で生きてきたことは歴然としている。だが、宗教その本質を音楽によって求道する彼の姿をわたしは知っているからだ。彼の姿はまるで賢者ナータンの様だった。

ひとつだけではない無数の世界。無数の星のもとに人は生まれる。ひとりの中にある多様性は、やがてプレアデス星団のような輝きを放つ。彼女たちの多様な心象風景を呼び起こす思索された言葉たち。

書簡からにじみ出る愛情。それは彼女たちが、生活の中で生まれる人間の生きるという営みへの敬意である。

そして、「生活と女」は、とても密接な関係であることを改めて思った。所々に登場する食べ物を介した話に笑みがこぼれる。「オリーブとバター」の話にみられるように、わたしたちが食べるものは、その土地土地に訪れる気象、そして地勢と切り離して語ることができない。生活する土地、あるいは旅の道中で食べるごはん。人、生まれてこの方、食べることで生き存えてきたわたしたちの生。この生を、ごはんを作る女たちは、生活という営みの中でどっしりと支えている。

お互いの書簡を待ちわび、受け取り読みながら微笑む彼女たちの凜とした姿を思い浮かべる。大先輩に言うことを憚られるが、数々の星と交歓する彼女たちの存在が、限りなく愛おしい。
この記事の中でご紹介した本
私たちの星で/岩波書店
私たちの星で
著 者:梨木 香歩、師岡カリーマ・エルサムニー
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年1月26日 新聞掲載(第3224号)
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