映画時評集成 2004-2016 書評|伊藤 洋司(読書人)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2018年2月3日

映画を知覚できる時評 
「映画と共にあることを喜ばん」

映画時評集成 2004-2016
著 者:伊藤 洋司
出版社:読書人
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映画史はまさしく生きている人間によって創られる。その歴史、年月を経て私たちと共に今、映画は存在している。今も何処かで上映フィルムを見た者が映画の何かを知り、心打たれ、愛し、創ることに挑戦し、また新たな人へ映画を手渡す、映画を繋ぐ循環を繰り返している。その循環の一角を担うのが映画批評なのだろう。しかし映画は、そう、決して楽観視できる生半可な対象ではないのだ。そこには様々な要素、映像や音、光と陰、律動と静止、何より時間と空間が混在する。なかなか強豪なアマルガムだ。この混合軍といかに攻戦するか。観る者の視覚はカメラの分光像に欺かれ、感度を逸脱した音に聴覚を奪われる。見る者にとって暗中、映画との戦いでもある。映像の断片と映画の境界が埋没する昨今、いかに映画批評家は語ることができるのか。

伊藤洋司氏の答えは美しいまでに潔い。「映画と共にあることを喜ばん」。この原点が、その評言、言葉の節々に決意と共に現れている。「傑作である」とする勇気ある断言の連呼、「素晴らしい」と言い切る賞賛の嵐、そして作品と出逢った「快楽」に包まれ、酔いしれる。その文章表現に集約されている。この評者には、間違いなく二〇世紀はもとより十九世紀の錚々たる映画、今日までの隆々たる映画史が精神に刻み込まれているにもかかわらず、膨大な映画の渦に巻き込まれることもなく、かといって快楽と横滑りするわけでなく、あくまで今上映されている映画一作一作に全感覚の照準を合わせる。意志を持ち、動き続ける生身の暖かな身体感覚を持った一観客として、作品と対面し、接触する。と同時に一批評家として重厚な知性と、濃密な感性、正確で鋭敏な言明をもって、その作品自体が持つ質と真髄(エスキス)を抽出することを忘れない。この仕様はスピード感に溢れた文体に変化していき、あくまで簡潔に、また軽々とその作品の秘密を暴くのだ。映画混合軍への交戦的姿勢などではなく、映画と対話する喜びへの変換。それは、ホン・サンスを知り、ヤン・イクチュンへ至る喜び。ジョニー・トーの律動に合わせて言葉を放つ悦び。ジャック・ロジエに加えオタール・イオッセリアーニたちが捉えた奇跡の映像に出逢えたことに歓喜し、堀禎一の緻密な演出の創造的進化に心熱くし、唸る程の共鳴の言葉を発す。黒沢清と青山真治とある時代と記憶を共有し、映画という森羅万象に心躍らせること。つまり、そこに書かれている全てだ。

読み進めていくと、驚くべきことに、これら批評が単なる批評ではなく、映画と人との出逢いを画いた「短編映画」として「見えてくる」ことだ。文章の書き出しは、躊躇なく批評対象となる一本の映画の描写。つまり読者の視界全面に批評対象の映像が展開し、投影される。その作品の映像が蘇り、私たちの関心が本作へ移った次の瞬間、暗転。キャメラが俯瞰して銀幕と対自する評者の姿を捉え(るようであり)、そう、ディゾルヴである。そこへ批評家の主観映像、精神の映像が言葉で挿入される。それはまるでジャン=リュック・ゴダールが『映画史』という作品の中で繰り広げたように、映像に映像を投影し、自らの映画史を語ったように書き綴っていく。この評論の著者が、まるで短編映画作品に自由に映写機を持ち込んだかのような文章である。紙面という映画空間に終わりを告げるため、現に返えるかのような下り、これで読み手を日常に引き戻す。見事な映画技・デクパージュ(編集)である。まるでその文章に光が差し、日常の雑音が聞こえてくるかのような場面転換が描かれる。この短編映画のエンドロールに相応しいのが、あの紋切り型、批評最後締括りの「その他にも…映画が面白かった。」と映画タイトルを列挙する評言。読者の視線が文字を追う速度とも相まって、タイトルエンドまでに流れていく字幕のようだ。今回の批評もこれで終わるが、先ほどまで流れていた本編とは全く関係ない上奇想天外、抱腹絶倒間違いなしの映画タイトルが選りすぐられて出現するのだから、読者=観客は一気に魅せられる。この批評は見開きたった二頁の紙面で掲載されているが、私はやはり、この批評を読むとき、その作品を見ている感覚を楽しむのである。これは映画を知覚できる時評であることに間違いはない。

現に戻ったなら忘れてはならないのが、この書物に加えられた第3部、とりわけ二〇〇九年回顧の箇所である。二〇世紀末から衰退し、過去に萎縮している日本映画批評の様相を経緯としてまとめ、苦言を呈している。紛れ無い事実として、氏のこの時評を携えて映画を見に行った多くの観客を私は知っている。映画批評の役目とは明らかに、映画を見るための、すなわち映画を存在させるためにある。伊藤氏の映画批評は、映画の生命を育む使命を不可能とせず、トム・クルーズ以上の責任を負って挑む姿であって、その勇ましさを改めてここに賞賛したい。

こうして書かれた映画時評は世界と共に呼吸をするように動きを止めず、この先も二一世紀の映画史を確実に氏の言葉で紡ぎ構築していくだろう。十二年間の映画時評は、映画史上から見れば一瞬かもしれない、しかし唯一無二の、確固たる映画史であり、数年後真の映画史の一部を担っているだろう。今それを得られる幸せを味わおう。そして、さらに約束してくれるのだ。「近日、当劇場にて、新たな映画とお会いしましょう」、と。
この記事の中でご紹介した本
映画時評集成 2004-2016/読書人
映画時評集成 2004-2016
著 者:伊藤 洋司
出版社:読書人
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年2月2日 新聞掲載(第3225号)
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